遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『腐れ梅』 澤田瞳子  集英社

2018-01-13 11:06:40 | レビュー
 「ほとがかゆい」という独り言で始まり、「ほとがかゆい」という独り言でストーリーが締めくくられる。一瞬、ええっ!と艶っぽさを感じさせる冒頭である。そして、巻末も同じ独り言で終わる。しかし、この同じ語句が全く異なる状況での独り言であり、一人の女の生き様を翻弄した象徴にもなっている。更に「腐れ梅」というタイトルがその女の絶頂から奈落へと人生を転換させるキーワードにもなり、また物語を深読みすれば別の解釈も物語の背景に感じさせる局面を内包する。これは一人の巫女がかつぎだされて、様々な人々と関わりを持ち、己が巫女として頂点に立ち神社を創建しようとした顛末物語である。新しい神社の草創期と確立期の断絶の経緯及び神社の生成・発展・存続の過程に発生する合理化・後づけが描き込まれていて、興味深い。このフィクションの生み出すリアリティが宗教というものを改めて考える材料にもなると言える。神とは何か?

 京都の北野には全国の天満宮の総本社として北野天満宮があり、祭神・菅原道真を祀っている。怨霊信仰という社会的、文化的文脈の中でその一柱として始まり、今は学問の神様として広く崇敬されている。この境内地の北側に文子天満宮の小社が併せて祀られている。一方、下京区天神町に文子天満宮が所在する。
 北野天満宮のホームページで、ご由緒のページを見ると、次のように記されている。
「北野天満宮の創建は、平安時代中頃の天暦元年(947)に、西ノ京に住んでいた多治比文子や近江国(滋賀県)比良宮の神主神良種、北野朝日寺の僧最珍らが当所に神殿を建て、菅原道真公をおまつりしたのが始まりとされます。その後、藤原氏により大規模な社殿の造営があり、永延元年(987)に一條天皇の勅使が派遣され、国家の平安が祈念されました。この時から「北野天満天神」の神号が認められ、寛弘元年(1004)の一條天皇の行幸をはじめ、代々皇室のご崇敬をうけ、国家国民を守護する霊験あらたかな神として崇められてきました。」

 この時代小説は、北野天満宮の創建期について断片的に史実として記録されている事実を踏まえて、「北野社」草創期を著者がフィクションとして描き挙げた北野社創建顛末記といえる。中心となる人物は、右京七条二坊十三町に住み巫女を生業とする綾児(あやこ)28歳である。そこは西市に近く市人、結桶師や籠師といった細工師、巫覡(ふげき)、医師や呪禁師(じゅごんし)など種々雑多な人々が住む地域にある。
 巫女といっても、祈祷をするだけではない。禁厭札(まじないふだ)も売れば憑坐(よりまし)もする。祈祷にかこつけてやってきた人に頼まれれば色も売る、つまり身を売ることをおこなうのが生業である。つまり、似非巫女だ。綾児は美貌で結構客足がある。しかし、その美貌も年を取れば衰えていく。綾児は周囲に居る老婆や醜女の巫女を見ていても、まだまだ自分は別だと高をくくっているところがある。自分の美貌と魅力が客を引き寄せると。
 そんな綾児のところに、近くに住む同業の巫女で綾児より一つ年上の阿鳥が話を持ちかけてくる。色を売る女はおおむね情人を作る。綾児も例外でなく、客の一人である秋永という男と半年ほど夫婦同然に住んでいて、男に出て行かれた後だった。一方の阿鳥は醜女の巫女の癖に、稼ぎが多く情人のような男の影がない。そんな阿鳥が綾児に持ちかけたのがいい儲け話があるというふれこみでの相談事。それは社を二人で作ろうというもの。
 阿鳥は30年前に死んだ右大臣の死霊を神様として祀りあげて、その社を建てて神社運営をしようという。12年前の6月末に愛宕山から黒雲が降りてきて豪雨が降り、御所に雷が落ちたことがあり、死傷者が出て、帝が病み臥して亡くなるという結果になった。阿鳥は、右大臣の怨霊がその原因だと噂されたという事実を引き合いに出し、綾児に説明する。未だ右大臣の霊を祀る神社は京にはないので、右大臣の死霊を神に祭り上げて、人々を神社に引きつければ本来の巫女となり、生活も安定するはずだと綾児にいう。公卿たちが右大臣の霊に怯えているからこそ、神社を作るチャンスがそこにあるのだともちかける。綾児の美貌にまだ人々が引き寄せられる今だからこそ、綾児に右大臣の霊が憑依し、社を創って祀れという託宣を告げたと言いふらすと、人々の意識を引きつけ、社の造営まで持っていけると目算を立てていた。
 似非巫女で身を売る生活は先が見える。年を取れば人が離れていく。今、社を作り信仰という形で人を集客すれば、将来の己の生活は安定する。社づくりは、儲け、金欲の手段という発想である。最初は阿鳥の話を人ごとに聞いていた綾児の考えが替わり、阿鳥の話に乗るという選択をする。このストーリーは、前段を踏まえて、この瞬間から動きだす。

 このストーリー、現代社会において新興宗教が雨後の筍の如くに生まれ出てくる事実を背景に重ねていき、読み進めるとおもしろい。まさに新興宗教創立プロジェクトの展開プロセスという視点で眺めることができる。神とは何か? なぜ人々は神に祈願するのか? 人々が求めているものは何か? 託宣とは何か? 人々は巫女のお告げをどう解釈するのか・・・・・などの局面がストーリーのプロセスから浮き出てくる。この点が興味深く、このフィクションの事例を介して考える材料にもなる。

 当初は阿鳥が陰の操り師で、綾児が操り人形の役割分担。右大臣菅原道真の神霊からお告げを受けたと言いふらす実演を西市で試みる。だが綾児を見知った男の登場であっけなく失敗する。この場面描写の展開、リアリティを感じさせる失敗譚である。失敗は成功の母というように、そんなところから神社草創のストーリーが展開していく。
 
 単なるアイデアだけで話がうまく転がり出す筈がない。当時において怨霊として恐れられていても、神社として祀るというのは、やはり一大事業だろう。似非巫女の企みから発生した社作りが、北野社として立ち上がるには様々な思惑が絡み合い、関係する人々の思い、思惑、欲望が織りなされていく。このプロセスが巧みに描き込まれていく。
 まず最初の託宣劇に失敗した阿鳥と綾児は、綾児の七条の家に簡易な祭壇を設けて、祭祀場所を設け、既成事実を作り噂をばらまくことから地道に始める。道真の霊が祀られているという噂を聞いた菅原文時が確かめに来る。そして、地位名声欲を持つ文時は、祖父・道真を祀ることを己の出世欲に結び付けようとする。祖父を神として祀る社を然るべき場所に建てる必要を感じる。いわば出資者、スポンサーになる。
 神霊というアイデアを具現化するには、それなりの仕掛けが必要となる。どこにそのような形式で祀り、その由来や霊験を如何に知らしめるか。つまり、知恵者・プランナーが必要となる。文時は大学寮に文章得業生として選ばれていた秀才の学友を引き込む。ある事故が原因で、官途を抛ち出家し、比叡山に登った後、今は朝日寺に寄寓している最鎮である。この最鎮が北野に社を構えることを提案する。そして、道真の霊の託宣の信憑性を高める工夫を講じる。そのために近江の神社にも託宣があったという話を考案し実行に移す。神社の儀式などの経験者として、近江国比良の禰宜である神良種を巻き込んで行く。 文時・最鎮の思惑は、阿鳥と綾児という巫女の考えを取り入れて、社を帝から公認される格のある神社にしていくという方針である。そのため、文時が公卿への働きかけを行う。そうすれば、おのれの思惑を含み賛意を示し指示する者もいれば、勿論批判側に立つ者も出てくる。そんな紆余曲折がリアルに描き込まれていく。興味深く読み進められる。そのプロセスを通じて、当時の朝廷における官職や公卿の人間関係相関図の一端がわかるのもこの小説の副産物といえる。

 阿鳥、その後は神良種の操り人形として、神霊菅原道真の託宣を語り、神社に詣でる人々の願いにお告げをする役回りの綾児自身が、その行為を通して、人々の反応や行動を眺める中で、己独自の思考を始めて行く。巫女綾児の存在価値への覚醒である。草創期として出来上がった北野社での活動を介して、己の存在の意義を自己評価し、北野社は自分自身であるという方向性を見つけていく。さらに、北野社を支持し寄進により盛り立てて行くのは、地位なき地方の刀禰や富豪、名もなき民衆こそが基盤となるという考えを抱き始める。その頂点に立つのが綾児だと。それは、綾児が己の似非巫女という生業を通じて、律令国家体制が崩れ、新たな時代が来ることを体感的に感じることからの志向でもあった。己の力で生き抜こうとする人々への神を確立するという志向である。著者は「やがて来る大いなる変革の先触れ」(p350)と表現をする。

 どんな事業プロジェクトでも、その展開プロセスで賛成・反対が生まれ、方針・方向性の調整や変更も生まれていく。内部分裂もあるし、経緯としてのトップの交替もあり得る。この北野社草創プロセス物語は、このプロジェクトのプロセスにおける紆余曲折を巧みに描き込んで行く。北野社草創期の経緯を踏まえながらも、最鎮が『北野天神縁起』を創作していくところが興味深い。神の設定に対する権威や存在意義のいわば箔づけである。記されたものが残り、世に伝えられ親炙していけば、時の経過の中でそれが事実もしくはあり得たこととして受け入れられていく。これもまた世の常の一端といえようか。
 このストーリーでは、北野社の草創期を縁起に書き記すにあたり、菅原在躬に縁起の書き直しのアイデアを最鎮に語る言葉を会話として書き込んでいる。
 「では、こうしよう。おぬし、北野天神縁起をもう一度、書き直せ。そこに北野社を創建するに際し、綾児-いや、文(ふみ)の子と書いて文子(あやこ)という巫女がお祖父さまの託宣を受けたと記すのじゃ」
 「文子でございますか」
 「そうじゃ。純真無垢な少女である文子が、道真さまの託宣を得て、北野社の巫女となったと記せ。何もかも綾児とは異なる清浄なる巫女がおったと縁起に書いておけば、仮に今後、綾児が再びわしらの前に現れても、別人じゃと言い立てることが出来よう。-ふむ、なんなら阿鳥の名を変えさせて、今後、文子と名乗らせてもよいな」 (p349)

 この小説、北野天満宮の草創期を想像して史実の断片を基にしてフィクション化された一種のパロディ風北野社草創記と言えるのかもしれない。たとえば、北野社の建物を右大臣・藤原師輔の寄進により取り替え、拡張していくに際し、北野社周囲の松の木が次々に切り倒されて境内地が整備される。最鎮は松の木を御神木と想定していたのだが、筆頭巫女の位置づけにいた綾児が、梅の木を御神木にしてしまうというエピソードにしている。 しかし、権勢欲、出世欲、金欲、色欲など人間の欲望をさらけ出した上での北野社草創プロジェクトのプロセスに、逆に人間社会のリアリティが実に巧みに描き込まれている。 「瓢箪から駒」ということわざがある。まさにこの小説はこのことわざをキーフレーズとするかのごときである。このフィクションが、実はそれに近い現実の草創期だったとしても、違和感を感じないのは私だけだろうか。
 興味深く、かつ楽しみながら読めた時代小説である。

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本書を読んだことから関連事項などをネット検索してみた。その一覧をまとめておきたい。
北野天満宮  ホームページ
北野天満宮 :ウィキペディア
北野天神縁起 :「コトバンク」
伝藤原信実《北野天神縁起絵巻(承久本)》(天拝山の段)謎を呼ぶ神気──「竹居明男」 影山幸一氏  :「artscape」
北野天満宮 北野天神縁起絵巻(承久本) :「京都観光Navi」
国宝の北野天神縁起、15年ぶりに公開 文化財特別公開 京都よむ・みる・あるく
  2017.11.1  :「朝日新聞DIGITAL」
北野天神絵巻 :「e國寶」
菅原道真  :ウィキペディア
菅原氏   :「公家類別譜」
菅原氏 姓氏類別大観  :「日本の苗字七千傑」

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徒然に読んできた著者の作品の中で印象記を以下のものについて書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『若冲』  文藝春秋
『弧鷹の天』  徳間書店
『満つる月の如し 仏師・定朝』  徳間書店


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