遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『古事記及び日本書紀の研究 建国の事情と万世一系の思想』 津田左右吉 毎日ワンズ 新書版 

2021-02-08 10:56:14 | レビュー
 津田左右吉という名前は日本史の授業等を介して知識としては知っていた。『古事記及び日本書紀の研究』が2018年に新書版で発行されていることを、最近の新聞広告で知った。この書はいずれ読んでみたいと思っていたので、広告を目にしたことが本書を開くきっかけになった。

 手許に時折参照する少し古い出版の学習参考書が幾冊かある。『新選 日本史図表』には、文化の欄に、”1940 津田左右吉「神代史の研究」発禁”の一行が載る(p191)。『詳説 日本史研究』には、「大衆文化の芽ばえ」の項に、”歴史学の分野では津田左右吉(1873~1961)が日本古代史の実証的研究を通じて、「記紀」の記述が史実ではなく皇室の支配の由来を示すための創作であることを説き、”(p419)と記述され、「戦時体制下の文化と国民生活」の項で、”早稲田大学教授津田左右吉の日本古代史の実証的研究(『神代史の研究』『古事記及日本書紀の研究』)が、皇室の尊厳を傷つけるものとして著書が発禁となったりした事件(1940年)”と記述されている(p445)。また、一時期有名になった教科書本の家永三郎著『検定不合格 日本史』は、「人文科学の発達」という項で、「白鳥憲吉の東洋史学研究、津田左右吉の日本古典の批判的研究、柳田国男の日本民俗研究などは、この方面における最高の業績の一部である」(p242)と記述する。その上で、「思想界・文化界の右傾」の項で、”自由主義思想を排斥する声が高まり、美濃部達吉の憲法学説は天皇機関説であると言うので迫害され、津田左右吉の「神代史の研究」などの著書が不敬であるという理由で起訴された」(p267)と記述している。

 本書の冒頭に、南原繁元東大総長による「津田左右吉博士のこと」と題する一文が寄稿されている。この中に、上記諸本の説明から一歩踏み込み具体的な経緯が記されている。私はここまでの内容を初めて知った。
*昭和13年に津田博士には、著書『支那思想と日本』について、軍部や右翼の攻撃を受けるという事態が起きていた。
*昭和15年に『神代史の研究』『古事記及日本書紀の研究』『日本上代史研究』『上代日本の社会及び思想』の4冊が発禁となった。
*昭和16年11月~昭和17年1月 皇室の尊厳を冒涜するという罪名の下での公判、20回あまりの尋問が行われた。
*昭和17年5月 『古事記及日本書紀の研究』のみが有罪判決となる。禁個三カ月(執行猶予)。
*検事控訴がなされたが裁判所が受理する以前に時効となり、事件そのものが免訴となった。
この経緯の続きに、次の説明がある。
「博士の研究は、そもそも出版法などに触れるものではない。その研究方法は古典の本文批判である。文献を分析批判し、合理的解釈を与えるという立場である。そして、研究の関心は日本の国民思想史にあった。」(p3)

 『古事記及日本書紀の研究』を通読し、冒頭に引用した「日本古代史の実証的研究」「日本古典の批判的研究」、また「本文批判である。文献を分析批判し、合理的解釈を与えるという立場」という諸氏の説明がまさにその通りであると実感した。古典の実証的分析による合理的批判が綿密に行われているに過ぎない。「記紀」という古典に含まれる説話(物語)と歴史的事実を厳密に峻別し、歴史的事実の変遷をとらえる必要があるということが論じられている。至極、オーソドックスな研究者の立場であると思う。さらに、説話と判断し仕分けた内容そのものについては、なぜそれが取り上がられて記述されているのか、そこに込められた思想があるという側面の事実こそ研究する意義があるとしている。

 「総論」において著者は研究の立場を明確にしている。「記紀の批判は、第一に、記紀の本文そのものの研究によってせられねばならぬ。第二には、別の方面から得た確実な知識によってせられなければならぬ」(p49)という。第二の方法は、シナや朝鮮半島の文献に載る確実な歴史上の事実と認められる知識や明白な考古学上の知識などを関連付けて記紀の内容について実証的分析的批判を行うのである。本書はこれを詳細に論理的批判的に実践している。
 物語と史実を結びつけ融合させることは、世界各国の歴史でも同様に行われて来ている。そのことを踏まえ、本書を通読すると、軍部と右翼が主導権を握り動かした時代の方こそイデオロギーが先行し、それを基準に物事を当てはめて、一致しないものは排除するという行動を取ったのではないかという事実がよく見えてくる。研究内容が自分たちの考えに合わないから否定、排除するという行動である。
 本文を読む進めて行くにつれ著者の研究姿勢が良く分かってくる。「皇室の尊厳を傷つけるもの」「皇室の尊厳を冒涜する」という発想がなぜ結びついて行ったのか。そこにはイデオロギーとしての価値観が最初に前提としてあり、学問研究の立場から記紀を批判分析すること自体を排除しようとする思想が優先されたのだろうと理解するしかない。現時点で本書を読むことは、時代の歪みとその愚行に曝される事例となったという歴史的事実を改めて認識する一歩となるように思う。

 さらに、津田博士の記紀に対する論究プロセスを読む事によって、実証的研究、文献の分析的批判とはどういうものかというその有り様が体感できる。「はじめから一種の成心(*先入観)をもってそれに臨み、ある特殊の独断的臆見をもってそれを取り扱うようなことは、注意して避けなければならぬ」(p51)と論じている。そしてつづけて「記者の思想はそのことばその文字によって写されているのであるから、それをそのままに読まなければ、記事や物語の真の意義を知ることはできぬ」と断言されている。

 『古事記』の本文を主軸にしながら、記紀から関連する個所を博覧強記により引き出して対比し、ある記述個所についてそれが歴史的事実なのか、説話(物語)と捉えるべき事なのかを分析し批判していく。そこにさらに歴史的事実と認識できる文献の知識や考古学の知識など別の方面からの光りが当てられて、実証的に分析されていく。この考察プロセスにまさに圧倒されてしまう。記紀の内容を熟知している訳ではないので、著者の考察・論究の流れを追いつつ通読し学ぶというレベルにとどまった。しかし、その通読プロセスそのものが良い経験になった。津田博士の研究姿勢に学べた事柄、学ぶべきものが多々あるように感じている。

 記紀記載の内容を実証的に批判分析した結果、「総論」のまとめ部分で、「記紀の記載が、概していうと、ほぼ仲哀天皇と応神天皇との間あたりにおいて一界線を有することを示すものである」(p135)と論じている。その関連として、「応神天皇の朝に文字が伝えられ」という点と、「年代のほぼ推知し得られるのは応神天皇以後である、ということである」とし、「応神天皇の朝が四世紀の後半にあるということは、シナ及び百済の史跡の上から考察すると、何人も承認している如く、動かすべからざる事実であろう」(p135)と記している。仲哀天皇以前は、説話的な記述が主体になっているということであろう。

 津田博士は、是は是、非は非として明確に論じていく。その一例として本居宣長の思想についての記述をご紹介する。宣長は「当時世間を風靡していた儒者のシナ崇拝に対する反抗心から、一種の自国尊崇心を展開してきた上に一切のことは天皇の御心から出るべきものであると考える特殊な思想を抱いていたので、『古事記』をその眼でみたのであった。だから彼は彼自身の信念を古人と古代とに反映させて、そこに一つの幻影をつくり、それを錯り認めて歴史的事実だと思ったのである」(p127)と批判している。そして、国学者のつくり出した幻影に惑わされないように警告を発する。
 一方で、「宣長が『古事記』を尊重したのは卓見であり、その『古事記伝』が大いなる業績であり不朽の名著であることももちろんである」(p128)と肯定する。宣長の『古事記』に対する宣長の上記の思想は「僻説であって、そういう考え方では上表の解釈すら出来ないのである」(p128)と宣長の考え方を否定している。「宣長のように見なくとも『古事記』の価値は充分にあり、また宣長のこの考えは誤っていても、それがために『古事記伝』の価値が損せられるわけでは決してない。」(p128)と続ける。
 さらに、「『古事記』にも『日本書紀』にもそれぞれ特色があって、それぞれ異なった意味においてわれわれに役立つのである」(p128)と論じている。

 この新書版の『古事記及日本書紀の研究』は、「編集部において割愛したところがあります」ということである。どれだけのボリュームが割愛されたのか、現時点では知らない。ネットで調べると、同書そのものが単行本としても出版されているようだ。
 本書を初めて読む分には、本文中に括弧書きし*を付記して編集部による註釈が加えられている個所があり、本文で使われる語句の理解がわかりやすくなっている。「難解な表現を一部現代風に改め、ルビも施しました」という個所もある。それ故だろうか、読みやすさが加わっていて、現代の一般読者向けに配慮がなされていると思う。

 『古事記及日本書紀の研究』の構成は、次のとおりである。
   総論
   第一章 新羅に関する物語
   第二章 クマソ征討の物語
   第三章 東国及びエミシに関する物語
   第四章 皇子分封の物語
   第五章 崇神天皇、垂仁天皇二朝の物語
   第六章 神武天皇東遷の物語
   結論

 本書は、南原元東大総長の一文の次に、「建国の事情と万世一系の思想」(頁数で37ページ)という論文がまず収録されている。これは終戦後、岩波書店が昭和21年4月に発行した月刊誌『世界』第四号に掲載されたものという。
 この論文は、「一 上代における国家統一の情勢」「二 万世一系の皇室という観念の生じたまた発達した歴史的事情」の二部構成で論じられている。興味深い論文である。
 私が理解した範囲でその要点のいくつかをご紹介しておこう。
*日本の国家は「日本民族」と称し得られる一つの民族によって形づくられた。(冒頭の一文)
*ヤマト朝廷は諸小国の君主を相手にし、これらの君主を服属させる形で国家統一がなされた。直接に民衆を対象にして、武力で民衆を征討した国家統一ではない。
*日本という島国内では異民族との戦争がなかった。それが君主の地位を不安にすることはなかった。
*極めて希な例外を除き、天皇は政治上の責任のない地位、つまり「悪をなさざる」地位に居られた。皇室の精神的権威が維持しつづけられる状態が保たれた。日本国家の統治というしごとを皇室自ら行わないが、政治的統治者としての権威を保つという形がとられてきた。それが精神的権威を強化することにもなった。
*長い歴史の上において、政治の上で皇室と民衆が対立することは一度もなかった。
 故に国民の内部にあって、国民の意志を体現せられるという統治の関係性になる。
*現代、国家の政治は国民自らの責任によるという民主主義の政治思想が基盤にある。
 皇室は自ずから国民の内にあり、国民的結合の中心であり国民的精神の生きた象徴であるところに、皇室の存在意義がある。
 
 天皇が国家の政治のしごとに直接かかわらず精神的権威の地位にとどまり、それが維持されたが故に、民衆との直接的対立が生まれることもなく、万世一系という思想が続いてきたと論じられていると受けとめた。

 こちらの論文はインターネットでも閲読できることを後で調べていて知った。
 記紀という古典を読む上で、『古事記及日本書紀の研究』は記紀の形成とその構造を知るためにも一読の価値があると思う。
 
 ご一読ありがとうございます。

 
本書に関連して、関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
津田左右吉  :「コトバンク」
建国の事情と万世一系の思想 津田左右吉  :「青空文庫」
歴史とは何か  津田左右吉  :「青空文庫」
津田左右吉の学問と姿勢-没後五十年津田左右吉展に際して- :「WASEDA ONLINE」
津田左右吉博士顕彰会と津田博士記念館 :「美濃加茂市民ミュージアム」
津田左右吉博士記念館 :「NAVITIME」
古事記  :ウィキペディア
稗田阿礼 :ウィキペディア
太安万侶 :ウィキペディア
日本書紀 :ウィキペディア
本居宣長  :ウィキペディア
本居宣長について  :「本居宣長記念館」
南原繁  :「コトバンク」
南原繁 (1889~1974) 近代日本人の肖像  :「国立国会図書館」

    インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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