遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『メディチ家の暗号』 マイケル・ホワイト  ハヤカワ文庫

2016-08-24 12:20:28 | レビュー
 イタリア、ルネサンス期のフィレンツェのメディチ家は東方貿易と銀行業で財をなし、フィレンツェの市政を掌握した名家である。メディチ家礼拝堂は現在ではフィレンツェ観光の名所の一つでもある。
 この小説は、1966年11月4日に起こったフィレンツェの大洪水の場面から始まる。メディチ家礼拝堂の管理人マーリオ・スポラーニが礼拝堂地下の墓室への浸水被害を心配して見回りに出かける。地下室に浸水し、スポラーニ自身が危険な目に遭う。その時、偶然長さ30cmくらいの円筒を水の中で見つけたのである。これが、後の伏線となる。
 そして時代は現在に。研究者たちがメディチ家礼拝堂で科学的な調査を行う現場に場面が転換する。墓室の遺体から化学分析のためにサンプルを採取するという作業をしている。古病理学者のカーリン・マッケンジー教授が、コジモ・デ・メディチの遺体の中に、薄くて真っ黒な長方形の物体、謎の人工物を発見したのである。墓室に残り、その人工物を分析していて、不思議なことに気づく。発見したことを伝えるために、ある所に電話を掛ける。留守番電話に繋がったために、彼はためらうことなく人工物の石板の表面に起こったことを吹き込んだ。その直後に、彼は侵入者に殺害されその小さな石板は盗まれてしまう。この事件からストーリーが始まって行く。その石板はメディチ家の秘密に関わる物体だった。
 翻訳本は『メディチ家の暗号』というタイトルだが、原題は『THE MEDICI SECRET (メディチ家の秘密)』である。2009年7月に翻訳出版されている。

この小説の特徴は、史実の語らない空隙にフィクションを織り交ぜるという形で、今までの史実理解に新たな光を与えるように構想されたストーリーではなく、明らかに歴史上実在した人物や事象についての多くの史実の上にフィクションを加えた形であり、その上で虚実を織り交ぜてストーリーを展開するという渾然一体化にある。この人物ってそんな行動をとっていたかな・・・と思わせる描写がまずおもしろい。
 興味深いのは、作品の最後に、「小説の骨格をなす真実」と題して、小説に登場する重要事項について、史実と作家として加えたフィクションの部分を截然と識別できる説明を添付している。こういう構成には初めて接した。著者が説明している項目名称を列挙してみる。イ・セグイカンメ(信奉者)、ヴィヴァルディ、ヴェネツィアと疫病、ヴェネツィアの建築物、コジモとメディチ家、古代の手稿、古病理学、ゴレム・コラブ、ジョルダーノ・ブルーノ、人文主義、生化学兵器、ダ・ポンテ、ニッコロ・ニッコリ、フィレンツェの洪水、マウロのマッパムンディ。そして、その中に参考文献やソースの説明もある。

 もう一つが、作品構成のおもしろさにある。基本は2つの時空間が併行して同時進行していく。勿論、一つは「現在」である。スポラーニが偶然発見した円筒と、マッケンジー教授が遺体から見つけ、取り出して分析していた人工物の石板と留守電に教授が残したメッセージがもたらした謎の解明というストーリーである。フィレンツェのメディチ家礼拝堂地下の墓室から始まり、主な舞台はヴェネチアに移っていく。
 他方は、フィレンツェの1410年5月4日から始まるストーリーである。この時、コジモ・デ・メディチは22歳。父親のジョヴァンニ・ディ・ビッチが、コジモにイタリア国内にある銀行の支店をまわる旅に出るように手配していることを告げるところからスタートする。ところが、同日夜遅くコジモが元傭兵隊長ニッコロ・ニッコリの家を訪れ、友人達とともに、4日前にフィレンツェについたというフランチェスコ・ヴァリアニが持ち帰ってきたある未完成の複写の地図に関わる話を聞いたことがきっかけで、父親の指示を無視し、冒険譚となる旅に出立する。その旅にはニッコロ・ニッコリが一緒に出かけることになる。重要性から意図的に未完成の地図に作られた複写の地図について、ヴァリアニの説明でその謎解きのためにまずヴェネチアに行くことから、こちらの時空間が進展していく。このコジモの旅の結果がメディチ家の秘密に関係していく。そして、「現在」の時空間で始まった謎解きの進展がストーリーのクライマックスで合流していくのである。

 「現在」の時空間に焦点をあててみると、円筒を発見したスポラーニは円筒そのものを手放さなければならない立場になるが、その円筒が秘めていた謎を独自に研究するという行動は続けていた。そのスポラーニがフィレンツェから出向いて、今はヴェネチアに住むジェフ・マーティンを訪ねるのである。ジェフは中世初期の歴史研究では世界的な権威とみなされる学者だった。訪れたのは、メディチ家の墓所の発掘計画が発表された直後、それは1年前なのだが、「友人を止めろ。メディチ家の墓に触れるな。息子は死んだが、まだ妻はいきているだろ」という短いメッセージを受け取っていたことに関係する。
 スポラーニはマッケンンジー教授に会おうとしたが会えなかったという。それは、ジェフがイーディー・グレインジャーの友人だと知ったからだという。イーディーは化学と病理学を学び、古病理学の博士課程を修了した後、叔父のマッケンジー教授の発掘計画に参画していたのである。
 マッケンンジー教授が殺害されたことをニュースで知ったジェフは、フィレンツェにイーディーを訪ねる。ジェフは、イーディーの携帯電話に残さされていたマッケンジー教授の石板に関わるメッセージを、イーディーから聞かされることになる。イーディーとジェフの乗る車が追跡され、更にはイーディーの住むアパートメントの部屋も荒らされていた。その石板には詩のような暗号が記されていたことが携帯電話のメッセージには記録されていた。そして、その暗号の謎解きはヴェネチアに導いていくことになる。
 そこから、メッセージの謎解きが始まる。ジェフは、ヴェネチアの友人である音楽学者のロベルト・アルマトヴァニの協力を得る。彼はヴェネチアの名家の子孫であり、この地の名士でもあった。ロベルトが暗号の謎解きの強力な協力者となっていく。
 つまり、ジェフ、ロベルトとイーディーが、マッケンジー教授の残したメッセージを起点にし、その秘められた暗号の謎解きをするという知的サスペンスである。

 「現在」にはもう一つのサイド・ストーリーが併行する。それは、マッケンジー教授を殺害して石板を奪い、イーディーの周辺を付け狙い、ジェフやロベルトにも害意を向ける人間を操っている黒幕の意図と行動に関わるストーリーの進展となる。このサスペンスはジェフ達の敵にあたる人物が途中から明らかにされているのである。その人物とは、リュック・フルニエ。暗闇の世界、死の商人の領域で暗躍し、その利益で贅沢な生活をする。彼の趣味は、ルネサンス初期の工芸品のコレクションだった。そして、それがコジモ・ディ・メディチの旅行記を手に入れるということから、メディチ家の秘密に踏み込んで行く。そして、クライマックスでは敵のフルニエも表に現れてくる。
 
 つまり、この小説は殺人事件や傷害事件、盗難事件の発生などの犯人捜しでなく、メディチ家の秘密の謎解きが本命なのだ。様々な事件は謎解明の途中に起こる波乱万丈のプロセス、悲しい局面にすぎない。

 この小説、メッセージに秘められた詩の様なメッセージに秘められた暗号の解読、未完成の複写地図に組み込まれた謎の解明がパラレルに進行する。そこに、ジェフ達の敵であるフルニエが研究してきた局面での謎の解明が加わっていく。それら別々のストーリーが合流していき、ジグソウパズルの部分集合がやがて結びつき全体絵図が完成するようにクライマックスを迎えるという構成になる。この推理の進展プロセスが面白い作品である。 勿論、コジモ・デ・メディチの青春時代の話としてここに描かれた冒険譚自体は、作者のフィクションなのだが、もしコジモがこんな冒険をしていたら・・・・と思わせるロマンがあって、この点も面白い。
 フィレンツェやヴェネチアの町について、各所に描写が出てくる。建物など町全体の描写は事実に基づくものだという。特にヴェネチアの詳細な描写はヴェネチアを観光旅行した人には、興味深いと思う。私も短時日ながら観光した一人として興味深く読んだ。

 ご一読ありがとうございます。

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この小説に出てくる事項で、特に関心を持ったものをいくつか検索してみた。一覧にしておきたい。

メディチ家礼拝堂  :ウィキペディア
マッパ・ムンディ  :ウィキペディア
初期の世界地図  :「Wikiwand」
サン・ミケーレ島  :「イタリアの誘惑」
リアルト橋  :「Expedia.co.jp」

  インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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