遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『平成22年度 代表作時代小説 凜とした生きざま、惚れ惚れと』 日本文藝家協会編  光文社

2019-03-19 14:54:37 | レビュー
 単行本や文庫本以外で、葉室麟の作品を掲載しているものがあるのかどうか検索していて、この代表作時代小説のシリーズに取り入れられた作品があることを知った。そこで手始めに手にしたのがこれである。「まえがき」の冒頭に、このシリーズは「半世紀に余る歴史の重みを持つ」そうである。一人の作家の作品追跡から初めて知った。
 安西篤子・磯貝勝太郎・伊藤桂一・縄田一男の四人が編集委員となり、平成22年度として選ばれた16作品が収録されている。「凜とした生きざま、惚れ惚れと」というのがこの作品集のテーマなのだろう。「凜と」という副詞は「引きしまって威厳の有ることを表す」(『新明解国語辞典』三省堂)という意義である。この意味からすれば、全ての作品がそうとばかりは言えないようだ。人間の生き様の頂点側を捉えたいわばキャッチ・フレーズと言えそうである。要は様々な生き様の人間模様をキラリと光らせた短編がここに編集されているといえる。目次の順で、各短編のテーマと印象をまとめてみたい。

「びんしけん」 宇佐美真里
 下谷車坂町・等覚寺の裏手にある市右衛門店という裏店には店子の一人で42歳、独り者の吉村小左衛門が住んでいる。彼は旗本の子だったが妾腹の子。父の死後、屋敷を母とともに追い出された。そして、手跡指南の師匠として生計を立てている。行儀にうるさい小左衛門が手習いに来る子供らに付けられた渾名が「びんしけん」である。同年で幼なじみの森野倉之丞が訪ねて来る。彼は南町奉行所の吟味方の同心。盗賊の娘を一人預かって欲しいと言う。名はお蝶。この娘が来ることで生じたエピソードである。
 小左衛門の戸惑いと心の揺れ動きが描かれていておもしろい。末尾の文が、「・・・・・『残念、閔子騫』と昔ながらの口癖を呟くのだった」である。
 文中に「びんしけん」の由来も述べられている。なるほど!である。呪文ではない。

「喧嘩飛脚」  泡坂妻夫
 江戸城中奥に建つ雲見櫓の警護役で番頭の亞智一郎が主人公。時は蛤御門の暴動後、将軍家茂が征討軍を派遣し、長州征伐に踏み切った時期を背景とする。智一郎は将軍側衆の鈴木阿波守正團から品川の薩摩屋敷下見の指示を受ける。品川宿で薩摩侍が喧嘩沙汰を起こしていて、飛脚の鈴の音に気づかずに飛脚とぶつかる。飛脚が落とした書状を智一郎が結果的に手にし、その文面を読むことになる。その書状の謎解き話となる。
 当時の世情と商人が早飛脚を使った理由がわかって興味深い。幕府も公用の継飛脚を使っていた。もう一つ、雲見櫓で勤務中の智一郎の駄洒落で始まり、雲見櫓での駄洒落で締めくくるところもおもしろい。
 
「不義密通一件」 岩井三四二
 おきせの夫・長蔵は古手(古着)問屋を営んでいた。取引先に滝田屋の半右衛門がいた。この滝田屋に古手を卸し、三十七両三分の売掛金があった。長蔵は半右衛門の女房おすみと不義密通に及んだとして半右衛門に殺された。おきせは不義密通という大罪を犯して殺された夫の女房という汚名を着せられ、商売もうまく行かなくなる。友だちに教えられた天竺屋時次郎という出入師の助力を得て、売掛金回収という訴訟を名目に夫の無実を晴らそうとする。
 当時の訴訟の手続きやしくみがわかるとともに、事実を解明するために時次郎がおきせに秘策を授ける。死んだ夫にあやまらねばならぬ嘘をお白洲でおきせが述べる事で事件が再審され夫の無実が判明するというもの。この秘策がおもしろい。おきせの生き様は凜としている。

「舞燈籠」  蜂谷 涼
 上七軒の売れっ子である梅嘉姐さんと一緒に梅乃姐さん、舞妓の小梅は壬生狼(新選組)の座敷に初めて出る。小梅は座敷に出る前から怖い思いを抱いている。見張り役をする新選組副長助勤、尾形俊太郎に挨拶をするが、尾形に少し脅かされる。再び新選組のお座敷がかかることで、小梅は尾形と話し合う機会を得たことから、尾形への思いを深めて行く。大政奉還から鳥羽伏見の戦いへと時代が急転回していく中で、尾形の後を追うという思いを無理矢理にでも押しとどめようとする小梅を描き出していく。小梅の心が切ない。

「ヴァリニャーノの思惑」 山本兼一
 東インド巡察師ヴァリニャーノは、来日し安土で織田信長に対面している。そのヴァリニャーノがなぜ聖職者・巡察師となり来日することになったのか、その背景を描く。その上で、日本での布教活動の成果に加えて、何を持ち帰れば喜ばれ、己の出世にプラスとなるかと考え、日本の見目麗しい貴公子を使節として帰国に随伴させることを考え準備する。日本人使節は別の神父がヨーロッパに連れていくが、ヴァリリャーノはゴアに留まるように総長からの指示を受けてしまうという顛末を描く。断片的史実をおもしろい想像でまとめあげていて、興味が深い。

「辻斬り 無用庵隠居修行」 海老沢泰久
 立て続けに3人が辻斬りに斬られるという事件が起こっている最中に、日向半兵衛を訪ねてきた奈津に誘われ、二人は上野の山に葉桜見物に行く。黒門前の蕎麦屋に入ったところで、幼な馴染みの安田善四郎にばったり出会う。彼は歳の離れた後妻の里と一緒に先妻千代の墓参りの帰りだった。善四郎が数日後半兵衛を訪ねてくる。辻斬りは倅の正太郎かもしれないと言う。半兵衛は正太郎の行動を見張ってみることを引き受ける。そして半兵衛は事実を告げ、善四郎に自分で始末をつけるように仕向けた。そこから思わぬ展開になって行く。多感な少年期に抱いた正太郎の心情と善四郎・里の思いがテーマとなっている。

「うどんげの花」 鳴海 風
 幹之介と江戸へ駆け落ちした幸は、幹之介に裏切られ藤之家の女となり、おこうと称し身をひさぐ境遇になる。手あぶりが必要となる季節に一人の男が客として現れる。そして、幾年月が経過した頃、その男が再びおこうの前に客として現れる。そして、過去を語り、おこうにとって大きな幸せの話を残す。「思い出すだけではない思い出」がおこうに小さな幸せを与える話である。その男にも生きる目的ができたのだ。

「蓬ヶ原」 東郷 隆
 芝新網町・願人坊主溜りの宗哲・源哲が繰り広げる奇想な話。楊弓師の次郎八は日置流の俊才でもある。次郎八は芝神明の土弓場『須磨屋』に弓矢道具の修理に行く。『須磨屋』には美形の矢場女・お喜多がいる。お喜多と次郎八が通し矢の勝負をすることになり、わずか一筋違いでお喜多の勝ち。負けた思いが屈して、次郎八は「惚れて」しまった。再度勝負をするための金を次郎八が貯めた頃には、お喜多は妾に引かれていた。宗哲・源哲が居所を見つけた時には、お喜多は首を吊り死んでいた。その死人・お喜多を蓬ヶ原で次郎八に抱かせて思いを遂げよとけしかける。屍姦をテーマにしているところが興味深い。その顛末が意外な展開をしていくことになる。どんでん返しのおもしろさがある。

「逍遙の季節」 乙川優三郎
 前年に江東の中村楼の座敷飾りを手伝ったことから、その主人に気に入られた紗代乃は、藤間流の春の大ざらいの会場の座敷飾りをすべて任されることになる。活花で食べているとはいえ紗代乃は未だ無名の華道家である。藤間流門下の娘は数百人。それらの踊り手が親族や知人を大勢招くので観衆がどこまで広がるかわからない。活ける時間は公演前日の夜から半日と限られている。紗代乃が座敷飾りに新工夫を加えるまでが描かれる。
 この大ざらいで重要な役割を担う踊りの師匠藤枝は紗代乃にとり幼い頃からの友人である。違う道を歩みながら相互に助け合う一方で、それぞれの道で競っている面もある。紗代乃と藤枝のそれぞれの生き方の背景が織り交ぜられ、藤間流家元の二世勘十郎を支える高弟の勘弥がそこに関わってくる。三者の感情の機微がもう一つの読ませどころである。

「犀の子守歌」 西條奈加
 錠前職人の加助が若い男を背負い通称「善人長屋」に戻って来る。その男を、長屋の文吉が、芝神明町の陰間茶屋の色子だった頃に助けられた同朋の犀香と気づく。本名は三浦斎之介とわかる。斎之介は井筒藩刈田家の上屋敷の門前で殿にあわせて欲しいと言い、揉めていたのだと加助はいう。家督を継ぐ前の現藩主は小姓だった斎之介と衆道の関係にあった。その藩主が重い病気で倒れられたという。善人長屋は実は小悪党ばかりの住むところである。斎之介の話を契機に、刈田家の跡目争いが絡んでいることが分かってくる。先代藩主の末弟、つまり叔父が跡目を狙っていて、幕府への裏工作の大金を持ち込んでいるという。小悪党たちが、斎之介を助けて一石二鳥の働きをする顛末がおもしろい。

 「二つの鉢花」 北 重人
 江戸広小路には小間物問屋が多く、小間物を扱う床店が軒を並べる。その中の一軒「櫛九」の話である。主は櫛屋九藏。店は九藏の娘で、三十近くて出戻りのおすくが切り盛りしている。九藏は得意先に櫛を売り歩く。九藏は出入りしていた問屋が潰れそうだと聞き、その前にいい櫛をたくさん仕入れようと借金をした。借金はなんとかできたのだが、そこには仕組まれた裏があった。その借金返済のために、店を手放さなければならなくなる。さてどうなるか・・・・というストーリー。すったもんだの借金話に化粧道具を扱う紅屋吉五郎が関わわっていく。まわりは吉五郎とおすくはお似合いとみている。しかし、あることを契機に、吉五郎を買っていた九藏は毛嫌いするように・・・・。だが、最後は「うまくいくときは、すっとみな一つところに納まる」ということに。ストーリーの展開がおもしろい。タイトルはハッピーエンドの象徴である。

 「捨足軽」 北原亞以子
 著者は、捨足軽についてたった三行だけ書いた資料あると言う。その三行から生み出された短編である。
 文化5年(1808)8月、イギリスの軍艦フェートン号が長崎港に侵入し、オランダ人二人を人質にして、薪や水を要求する事件が起こった。長崎警護の役目を命じられている佐賀藩は、捨足軽を組織した。異国船が長崎港に侵入し、無法な振る舞いに及んだ場合、火薬を入れた筒を軀に巻きつけて船に乗り込み自爆する男たちをそう呼ぶ。
 佐賀城下に近い正里村の源太がその捨足軽として長崎出兵に加わる命令を受ける。捨足軽80人の一人となる。一緒になった浅吉とは長崎に行く道中如何に生き延びるかの話となる。長崎で、事故が起こる。その事故の処理の仕方のメンタリティは現代も連綿として続いているのではないか。特攻隊編成的発想が江戸末期に既にあったという事実を、この短編小説を通じて知った。

 「闇中斎剣法書」 好村兼一 
 青山泰之進は家禄500石の御書院番士で、一刀流の目録取りである。密かに他流の剣術書や伝書の類いを探し求めて研究している。彼は同僚・村石秀三郎が柳生鍔の一品を手に入れたという自慢に辟易とするが、己も柳生鍔を欲しくなり刀屋や道具屋を物色を続ける。遂にある道具屋で柳生鍔を見つけた。代金を支払おうとしたとき、開いたままの引き出しに付票に「剣法書」の文字だけ残る古びた錦の巻物に目が止まった。道具屋の主がその巻物を開いて見せてくれた。九字印から始まり、血の跡らしき染みもある。巻末には『闇中斎』と署名されている。泰之進はその剣法書に関心を抱き、買うという。主は讓るのは良いが、少し不可解なことがあることも正直に告げた。泰之進は気にせずにそれを買う。そして、その内容の研究に勤しむが、数日後鳴海甚右衛門と名乗る武士が訪れてくる。それから不可思議な体験をする羽目になる。少しオカルト的でおもしろい設定と展開になっている。

 「銀子三枚」 山本一刀
 嶋?介は、土佐藩の重役五藤安左衛門に『差し出し』(身上調書)の提出を命じられた。元日の夜に、それを書き終えようとするが、なかなかはかどらない。書き方次第で、嶋家の命運を左右しかねないからである。亡父のことを差し出しとしてまとめることに苦慮している。過去を回想しながら如何に書くかを考える。父五郎左衛門の過去について回想が始まって行く。そこには長宗我部家との極秘の関わりがあった。最後に銀子三枚の意味が明らかになる。血統を絶やさないという命題がテーマになっている。  ヨ 王+與

 「朝鮮通信使いよいよ畢わる」 荒山 徹
 徳川幕府が崩壊し天皇を戴く明治政府が誕生した時、日本は朝鮮に従来通りの交流を継続したい旨の国書を朝鮮に提出した。朝鮮はそれを峻拒した。対馬藩に代わり外務省の使者が釜山入りして交渉を試みた。交渉に応じない朝鮮に対し、日本は軍艦を派遣し黒田清隆を全権大使にした武力外交に転じる。そして、通信使ではなく、修信使一行が朝鮮から日本に来日する。その一行に金福奎が訳官として加わる。その時、日本は一行にすべてをオープンに視察させようとした状況を金福奎の観点から描いて行く。
 その時点の日本と朝鮮の国家存立に対するスタンスと認識の違いが鮮やかに切り取られている。伊藤博文と金福奎が語り合う場面を最後に置いているところが興味深い。

 「女人入眼」 葉室 麟
 慈円の『愚管抄』に「女人入眼ノ日本国イヨイヨマコト也ケリ・・・・」と記されているという。「入眼(じゅげん)」は叙位や除目の際に官位だけを記入した文書に氏名を書き入れて、総仕上げをすることだ。つまり、北条政子と女官藤原兼子が東西の二大権力者だったことを意味する。その北条政子が親王の一人を宮将軍として鎌倉に迎える決断をし、兼子と交渉をした。その政子が父時政に宣言し、治承元年(1177)に頼朝のもとへ走った時からの政子の政治的な側面での生き様が活写される。武家政権でありながら、京から親王を将軍に迎える独特の政治形態を確立させた政子の才腕と凄味が印象的である。

 この短編集の一つの利点は、いままで読む事が無かった作家たちの作品にも触れることができるということにある。きっかけがなかった作家に出会う楽しさ、おもしろさを味わえる。これもまた読書の波紋を広げる一つの契機となる。

 ご一読ありがとうございます。


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