遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『跳ぶ男』  青山文平  文藝春秋

2019-03-27 23:57:03 | レビュー
 能を鑑賞する機会を時折得て、能楽堂に足を運ぶことがある。だが、謡曲や能を習うことなく、能鑑賞には関心があるという門外漢にとって、この小説は江戸時代に幕府の式楽となった時点での「能」がどのようなものであり、大名たちの間で能がどのような機能・役割を担っていたかを知る機会にもなった。このストーリーはフィクションであるが、当時式楽となった能の有り様と、能の演目並びに能が演じられる際の決まり事などは、史実を踏まえているのだろうと思う。そう受け止めると、知識として学ぶことも多かった。
 著者が能・謡曲について長年嗜んできた経験を基盤にしているのか、この小説のテーマと構成を設定して能の世界を知的に探求した結果を踏まえているのか、その点はどうなのかは知らない。能や謡曲の世界を経験されている方には、門外漢の私とは違う視点で、能そのものに対する著者の解釈や記述等を自己の知識・体験と対比し分析的に読みみ込める興味深い小説になると思う。

 この小説のテーマは、身代わりという仮面を付けさせられた男が、己の能を演じきることで、身代わりの目的をやり遂げる生き様を描くことである。
 能にしか己が生き延びる道がないと思い定めた屋島剛(やしまたける)がある日突然藩主の身代わりにされる。剛は己の能を手段にして、憧れですらあった能舞台に立ち、己の能を演じきる。その能のスゴさが口コミで大名間に伝わり、有力大名から次々に招請があり、次々に能を演じて行き、能を介して目的とする関係性に達する。剛は奇策を発想し、己の自裁と引き替えに、身代わりの目的である藩主継承への道作りを終える。能一筋の屋島剛の生き様がここに創造されていく。

 さて、本書の面白さ、興味深さには上記と重なるが2つの柱がある。
1.江戸時代の大名の間で式楽として広まった能の有り様と能を演じる折りの決めごとがかなり詳細に描き込まれていく。
  この知識内容や能の世界に関心のない人には、取りつきにくく、おもしろくない小説と途中から感じ投げ出すかもしれない。
2.屋島剛は石舞台を能舞台として、一人で能の跳ぶ技を修練し続け、藩主の身代わりを演じ、能を演じて、16歳で奇策を案出し己の自裁により与えられた目的を達成する。屋島剛という男の生き様ストーリーを描く。
  こちらに目を向けると、波乱万丈・紆余曲折の短い人生だが濃密な人生ストーリーとなる。おもしろい。

 そこで、このストーリーに少し触れておこう。
 ストーリーの舞台は、前段は藤戸藩二万二千石の領内。藤戸藩は高い段丘の上の台地にあり、領内に大きな川や豊かな水田がない貧しい藩で、藩の表高と裏高は同じで、含み資産がない。段丘の崖下を大きな川が流れるが、その河原は野宮と称され、死者の遺体は浅く埋めて、川の増水で海へ流し出す。つまり小さな仮墓は別地にあるが、死者を葬った本当の墓がない藩である。その野宮の近くに、死者を野宮に運び葬送をする人々からは隠れていて、誰も知らない能舞台ほどの平坦な大岩がある。それを岩船保が石舞台と名づけた。
 屋島剛は、道具役、屋島五郎の長男として生まれるが、6歳で生母を亡くし、乳母の乳でしばらく育つ。その乳母が父の後妻となることで苛めを受け始め、その後妻が妊り男児が誕生すると、長男の立場を追われる境遇になる。道具役は藩で能を担当する役割でもある。剛は屋島家で居る場所がなくなり、6歳以降、石舞台で能を練習するのが己の生きる唯一の道に繋がると思い定める。石舞台を己の居場所とする。
 岩船保はもう一人の道具役岩船光昭の長子である。剛より年長。彼は能・謡曲を良くするとともに、英才の誉れが高く、俊傑への路を歩む。剛は石船保を能における己の師と位置づける。岩船家の家の庭から能を拝見する機会以外は、石舞台で保の導きを受け、あとは一人で修練を積む。岩船保は藩校に進み、文武を磨いていく。だが、17歳の時にある事件が起こり、藩門閥の子弟である半藤拾史郎に刃を向ける結果となり、岩船保は切腹する。その事件を取り調べたのが目付の鵜飼又四郎だった。保は理由の一端として「能は侮られてよいものではない」と述べたという。
 江戸屋敷で16歳の藩主が風病で死亡した。そのことが剛の人生に関わって行く。
 公儀の法で藩主が死亡したとき「急養子」の制度が設けられていたが、それが適用されるのは、死亡した藩主が17歳以上の場合である。つまり、藤戸藩は廃藩という存亡の危機に立つ。岩船保が実は適材だったのだが、思わぬ事件で切腹して果てた。その岩船保が屋島剛の事を又四郎に語っていたのだった。
 保は、剛のことを「素晴らしい役者」「想いも寄らぬことをやる」「うらやましい」と評していたのだ。
 又四郎は、屋島剛を死んだ藩主の身代わりに立てる画策をする。江戸屋敷に剛を同道し、密かに藩主の身代わりを務めさせるのだ。剛はこの時15歳であるが、1歳くらいのさばを読む事くらいは出来る。
 石舞台で剛は能の修練を行う。保の導き以外は自問自答で修練する日々を送る。そして「跳ぶ」という所作に撃ち込む。「トビ安座」「トビ返リ」をひたすら繰り返し研ぎ上げる。そして「仏ダオレ」の修練をやってみるが、しくじった。
 その時、剛を助け介抱するのが鵜飼又四郎である。

 中段は、藤戸藩領での又四郎の語りから始まり、藤戸藩江戸屋敷への道中のプロセスが描かれるあたりと言えるだろう。
 又四郎が剛を藤戸藩十六代御藩主、武井甲斐守景道の身代わりにするのである。そのために、必要な様々な情報を又四郎は剛に伝えていく。要らない話、要る話を両面織り交ぜながら、様々な側面に話が及ぶ。岩船保を身代わりに立てるつもりが思わぬ事態となり、その身代わりのお鉢が剛となったのである。
 剛には、保が言った「この国をちゃんとした墓参りができる国にする」という言葉が頭に焼き付いている。剛は保の身代わりという立場なのだという理解を介して、死んだ藩主の身代わりになることを我が身に引き寄せていく。
 江戸在府の藩主に課せられた年中行事における江戸城内の様子から始まり、末端大名にとって要る話が全て又四郎から剛に伝授されていく。大名にとって、式楽となった能の持つ意味とその役割、大名にとっての関わりが語られる。
 さらには、藤戸藩と能との関わりが明らかにされていく。要る話として、先々代の文林院様が能において大名の間で一目置かれていた事実と外向き・内向きでの功罪も語られて行く。文林院様のもとで小姓の又四郎が能の子方として鍛えられたことにも触れる。又四郎は、目付として剣の腕も立つが、能の世界について博識となっていた。その知識をも、道中で、また江戸屋敷で、藩主身代わりとなっる剛に伝授していく。
 この又四郎による能に関連した剛への語りが、読者にとっては能の世界の知識学習につながっていく。勿論、著者の解釈を通しての知識情報と言えるが。
 道中で跳び、逃げ出す機会もあるが、剛は自らその機会を封じてしまう。
 藩主の身代わりとなり、大名の間での能の上演という魅力が剛の中に沸き起こっていく。剛には石舞台の上での能修練の経験しかなかったのだから。

 後段は、藤戸藩江戸屋敷で、剛は藩主の身代わりを演じる。外面は藩主そのものとして行動する。江戸屋敷内で藩主の顔を直接見せる場を極力なくすために、又四郎が取り次ぎの役割を果たす立場になっていく。大名の間では藤戸藩当代藩主の顔を知る者はいない。
江戸留守居役の井波八右衛門がもう一人の情報源として剛の前に登場する。彼は、当然ながら大名事情や江戸城内の事情に詳しく、その一方で和歌のことにも堪能な家臣だった。又四郎と八右衛門が剛を支えていく。一方、剛は藩主としての振る舞いが板についてくる。まずは「素晴らしい役者」ぶりから始まって行く。
 ありていに言えば、死んだ藩主を生きていると偽る。身代わりの剛は、末端大名の一つである藤戸藩が有力大名との結びつきの縁を培い、将軍筋へのコミュニケーションを円滑にできるルートづくりを目指す役割を担う。つまり一種のコネづくりである。
 その手段が、いずれの有力な大名も力を入れている式楽の能の場における交流ということになる。
 つまり、藩主が17歳を迎え、藤戸藩が「急養子」の制度を上手に利用して、藩存続を図るために、剛が身代わりになり、藩主自身として有力大名との縁を培っていく立場になる。それは、観点を変えると、保が評した「素晴らしい役者」「想いも寄らぬことをやる」「うらやましい」という言葉が何を意味しているのかを自己確認していくプロセスでもある。それに与えられた期間は7月である。

 前段と中段がこのストーリー展開の下準備とすれば、後段は、剛の江戸城登城の場面が積み重ねられ、一方、能舞台で武井甲斐守景道(剛)が難しい能の演目を次々と演じるプロセスに展開していく。江戸城に登城した剛は、末端大名としての居場所からはるかかなたの上段で御簾の背後に座す上様の存在と脈動を感じ取ることにもなる。それが、遂に剛が奇策を案出するということにも繋がって行く。
 この後段が読ませどころとなっていくのは当然の成り行きと言える。
 
 能を己が生き残る唯一の道と思い定めた少年が、藩主の身代わりを演じるという立場になり、本物の能舞台で能を演じる事になる。江戸城登城の積み重ねから藩存続の奇策を発想するというストーリー。楽しみながら、能の世界に親しめるというところがおもしろい。

 ご一読ありがとうございます。
 



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