『神を統べる者』(全3巻)の最終篇である。副題は「上宮聖徳法王誕生篇」である。つまり、大和から放逐され海外に遁れ、インドに至った厩戸御子が、遂に倭国に戻ることで、最後のクライマックスを迎えるというストーリーになる。
この巻は、「第5部 タームラリプティ(承前)」「第6部 隋」「第7部 淤能碁呂島」「終章」という構成になっている。
第2巻『神を統べる者 覚醒ニルヴァーナ篇』の続きとして、第5部の後半からストーリーが展開していく。この後半は、厩戸御子が港湾都市タームラリプティの権力者の一人であるムレーサエール侯爵が陰の経営者である娼館が襲撃された直後の状況から始まる。襲撃者たちが厩戸御子を拉致して去った。襲撃者はトライローキャム教団に属するカウストゥパとその一団である。厩戸御子はイタカ長老が教団を創始した島であるアヌラーダブラに連れ去られる。
つまり、この第5部後半は、ムレーサエール侯爵たちによる拉致された厩戸御子の居所の探求、柚蔓たち攻撃部隊による厩戸御子の奪還プロセス、タームラリプティへの帰還が描かれる。
ここで面白いのは、2つの事象がパラレルに進行しながら、それが厩戸御子の存在を前提にして繋がっているという展開である。一つは、イタカ長老とその一団が教団の船で港湾都市タームラリプティの近海まで遠征する。港湾都市タームラリプティをトライローキャム教団が今後の布教の拠点とするために占拠し、支配下の置くという宣言をこの港湾都市を統治する十三人委員会に行うのだ。その円滑な拠点化のための教団の交渉人がカウストゥパである。ムレーサエール侯爵は委員会の一員である。交渉は遅々として進展しない。イタカ長老は教団の威力を海上から示す為に、奇想天外なものを繰り出し、破壊力をタームラリプティの護衛軍船に見せつけるところから始めて行く。
一方で、厩戸御子が拉致された島の所在地が判明し、イタカ長老たちと入れ違う形で柚蔓たち攻撃部隊が島に乗り込む。奪還作戦を始めるのだが、こちらでも意外な事態が発生していく。超巨大コブラが出現する。
厩戸御子は拉致されて、どうなっているか? これが第5部の興味深いところである。厩戸御子はイタカにより、霊力の根源、霊力源の役割を担わされているのである。そこに関わるのが、イタカがこの島で発掘した仏像「リンガのある仏像」だった。不可思議なストーリーの展開が始まる。島に捕らわれている厩戸御子が、タームラリプティの近海にいるイタカ長老の指揮する破壊力の霊力源となっているのだ。そして、柚蔓が厩戸御子を奪還できる時点で、霊力源にされていた厩戸御子が逆転劇を演じることになっていく。
ファンタジックな戦闘場面の描写がおもしろい。
第6部のタイトルは「隋」である。なぜ、隋か? 海路インドまで渡航してきた厩戸御子は、柚蔓、虎杖とともに、陸路で倭国に戻るという選択をする。いわば、大乗仏教がシルクロードを経由し、天竺→西域→中国→朝鮮半島→倭国と伝播してきた過程を踏むという次第である。
だが、この第6部はわずか7ページで終わる。隋の皇帝の子で、晋王の称号を持ち、19歳となった広に関わる話だけが語られる。そう、厩戸御子が広陵において道教の教団に捕らわれて、道観で知り合った広である。厩戸が広から九叔道士が埋め込んだ太一を除去してやるという次第。この部分は、「覚醒ニルヴァーナ篇」と関係している。
第7部は、用明天皇2年(587)、旧暦3月3日の夕刻に、厩戸が大和国と河内国の境界である生駒山の頂に立った場面から始まって行く。用明天皇は厩戸の父である。敏達天皇により放逐された厩戸御子は、父が天皇を継いだ後に、倭国に帰国したことになる。
この第7部で、厩戸は厩戸皇子と表記される。著者は、敏達天皇の時に、厩戸の父が皇族であった段階では、御子と表記されてきたことになる。
この第7部は、日本史の年表を読めば、「飛鳥時代 587年 蘇我馬子、聖徳太子らと物部守屋を滅ぼす」と記される一行を、272ページのボリュームでダイナミックに描き出したと言える。それも、奇想天外なファンタジー風の読み物としてである。「淤能碁呂島」、つまり『古事記』に出てくる「国生み」の話を踏まえたスト-リー設定が加わる。蘇我馬子と物部守屋との間の宗教戦争における物部守屋側の隠し兵器、淡路の神庫を開き、天地開闢以来の力に頼ると・・・・・。構想が奇抜でおもしろい。河内国におけるこの戦いの状況設定もかなり奇想を交えているようだ。河内における物部守屋の拠点は、河内湖の中州、阿都島にある堅牢な城と設定されている。湖上にあるた読み物になっていると思う。つまり、物部守屋と蘇我馬子両軍の戦は水上戦になるという設定である。このあたりは、フィクションだからこその楽しみかもしれない。
飛鳥時代、6世紀頃の河内国の地理的状況はどうだったのだろうか。河内湖と称されるほど大規模な湖が実在したのか? 逆にそういう関心が生まれて来た。
もう一つ、この第3巻の副題「上宮聖徳法王誕生篇」に着目してほしい。著者は「法王」という用語を使用している。馬子に組みして厩戸皇子が崇仏派の立場に立ち、守屋を筆頭とする排仏派と戦ったという史実を踏まえている。しかし、著者は厩戸皇子が「法王」の立場に立つという決意をしたと位置づけているところが、この小説での要になる。本書のタイトル「神を統べる者」になる決心をしたという。この発想視点が新鮮である。そこには、倭国を文明社会にするという政治的視点が色濃くつきまとっている。厩戸は、馬子でもなく、守屋でもなく、独自の立場で仏教容認の立場をとったとするところが実に興味深い。その視点は、本書を読んで考え、楽しんでいただくとよい。
終章は、柚蔓・虎杖と厩戸の別れで締めくくる。柚蔓と虎杖は彼ら自身の生きる道を選び取る。それがどういう選択かは、終章をお読みいただきたい。
この作品、奥書を読むと、著者のデビュー20周年記念作だという。
読者の視点では、成人向けファンタジーである。楽しめる。
ご一読ありがとうございます。
本書からの関心の波紋でネット検索した事項を一覧にしておきたい。
蘇我馬子 :ウィキペディア
物部守屋 :ウィキペディア
『聖徳太子・物部守屋(もののべ の もりや)と八尾』 :「八尾市」
古事記「国生み」のオノコロ島どこ?(もっと関西):「日本経済新聞」
オノゴロ島 :ウィキペディア
おのころ島神社 ホームページ
古代大阪の変遷 :「水都大阪」
河内湖 :ウィキペディア
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
著者の作品で以下の読後印象記を書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『神を統べる者 覚醒ニルヴァーナ篇』 中央公論新社
『神を統べる者 厩戸御子倭国追放篇』 中央公論新社
『高麗秘帖 朝鮮出兵異聞』 祥伝社
『秘伝・日本史解読術』 新潮社
この巻は、「第5部 タームラリプティ(承前)」「第6部 隋」「第7部 淤能碁呂島」「終章」という構成になっている。
第2巻『神を統べる者 覚醒ニルヴァーナ篇』の続きとして、第5部の後半からストーリーが展開していく。この後半は、厩戸御子が港湾都市タームラリプティの権力者の一人であるムレーサエール侯爵が陰の経営者である娼館が襲撃された直後の状況から始まる。襲撃者たちが厩戸御子を拉致して去った。襲撃者はトライローキャム教団に属するカウストゥパとその一団である。厩戸御子はイタカ長老が教団を創始した島であるアヌラーダブラに連れ去られる。
つまり、この第5部後半は、ムレーサエール侯爵たちによる拉致された厩戸御子の居所の探求、柚蔓たち攻撃部隊による厩戸御子の奪還プロセス、タームラリプティへの帰還が描かれる。
ここで面白いのは、2つの事象がパラレルに進行しながら、それが厩戸御子の存在を前提にして繋がっているという展開である。一つは、イタカ長老とその一団が教団の船で港湾都市タームラリプティの近海まで遠征する。港湾都市タームラリプティをトライローキャム教団が今後の布教の拠点とするために占拠し、支配下の置くという宣言をこの港湾都市を統治する十三人委員会に行うのだ。その円滑な拠点化のための教団の交渉人がカウストゥパである。ムレーサエール侯爵は委員会の一員である。交渉は遅々として進展しない。イタカ長老は教団の威力を海上から示す為に、奇想天外なものを繰り出し、破壊力をタームラリプティの護衛軍船に見せつけるところから始めて行く。
一方で、厩戸御子が拉致された島の所在地が判明し、イタカ長老たちと入れ違う形で柚蔓たち攻撃部隊が島に乗り込む。奪還作戦を始めるのだが、こちらでも意外な事態が発生していく。超巨大コブラが出現する。
厩戸御子は拉致されて、どうなっているか? これが第5部の興味深いところである。厩戸御子はイタカにより、霊力の根源、霊力源の役割を担わされているのである。そこに関わるのが、イタカがこの島で発掘した仏像「リンガのある仏像」だった。不可思議なストーリーの展開が始まる。島に捕らわれている厩戸御子が、タームラリプティの近海にいるイタカ長老の指揮する破壊力の霊力源となっているのだ。そして、柚蔓が厩戸御子を奪還できる時点で、霊力源にされていた厩戸御子が逆転劇を演じることになっていく。
ファンタジックな戦闘場面の描写がおもしろい。
第6部のタイトルは「隋」である。なぜ、隋か? 海路インドまで渡航してきた厩戸御子は、柚蔓、虎杖とともに、陸路で倭国に戻るという選択をする。いわば、大乗仏教がシルクロードを経由し、天竺→西域→中国→朝鮮半島→倭国と伝播してきた過程を踏むという次第である。
だが、この第6部はわずか7ページで終わる。隋の皇帝の子で、晋王の称号を持ち、19歳となった広に関わる話だけが語られる。そう、厩戸御子が広陵において道教の教団に捕らわれて、道観で知り合った広である。厩戸が広から九叔道士が埋め込んだ太一を除去してやるという次第。この部分は、「覚醒ニルヴァーナ篇」と関係している。
第7部は、用明天皇2年(587)、旧暦3月3日の夕刻に、厩戸が大和国と河内国の境界である生駒山の頂に立った場面から始まって行く。用明天皇は厩戸の父である。敏達天皇により放逐された厩戸御子は、父が天皇を継いだ後に、倭国に帰国したことになる。
この第7部で、厩戸は厩戸皇子と表記される。著者は、敏達天皇の時に、厩戸の父が皇族であった段階では、御子と表記されてきたことになる。
この第7部は、日本史の年表を読めば、「飛鳥時代 587年 蘇我馬子、聖徳太子らと物部守屋を滅ぼす」と記される一行を、272ページのボリュームでダイナミックに描き出したと言える。それも、奇想天外なファンタジー風の読み物としてである。「淤能碁呂島」、つまり『古事記』に出てくる「国生み」の話を踏まえたスト-リー設定が加わる。蘇我馬子と物部守屋との間の宗教戦争における物部守屋側の隠し兵器、淡路の神庫を開き、天地開闢以来の力に頼ると・・・・・。構想が奇抜でおもしろい。河内国におけるこの戦いの状況設定もかなり奇想を交えているようだ。河内における物部守屋の拠点は、河内湖の中州、阿都島にある堅牢な城と設定されている。湖上にあるた読み物になっていると思う。つまり、物部守屋と蘇我馬子両軍の戦は水上戦になるという設定である。このあたりは、フィクションだからこその楽しみかもしれない。
飛鳥時代、6世紀頃の河内国の地理的状況はどうだったのだろうか。河内湖と称されるほど大規模な湖が実在したのか? 逆にそういう関心が生まれて来た。
もう一つ、この第3巻の副題「上宮聖徳法王誕生篇」に着目してほしい。著者は「法王」という用語を使用している。馬子に組みして厩戸皇子が崇仏派の立場に立ち、守屋を筆頭とする排仏派と戦ったという史実を踏まえている。しかし、著者は厩戸皇子が「法王」の立場に立つという決意をしたと位置づけているところが、この小説での要になる。本書のタイトル「神を統べる者」になる決心をしたという。この発想視点が新鮮である。そこには、倭国を文明社会にするという政治的視点が色濃くつきまとっている。厩戸は、馬子でもなく、守屋でもなく、独自の立場で仏教容認の立場をとったとするところが実に興味深い。その視点は、本書を読んで考え、楽しんでいただくとよい。
終章は、柚蔓・虎杖と厩戸の別れで締めくくる。柚蔓と虎杖は彼ら自身の生きる道を選び取る。それがどういう選択かは、終章をお読みいただきたい。
この作品、奥書を読むと、著者のデビュー20周年記念作だという。
読者の視点では、成人向けファンタジーである。楽しめる。
ご一読ありがとうございます。
本書からの関心の波紋でネット検索した事項を一覧にしておきたい。
蘇我馬子 :ウィキペディア
物部守屋 :ウィキペディア
『聖徳太子・物部守屋(もののべ の もりや)と八尾』 :「八尾市」
古事記「国生み」のオノコロ島どこ?(もっと関西):「日本経済新聞」
オノゴロ島 :ウィキペディア
おのころ島神社 ホームページ
古代大阪の変遷 :「水都大阪」
河内湖 :ウィキペディア
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
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その点、ご寛恕ください。)
著者の作品で以下の読後印象記を書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『神を統べる者 覚醒ニルヴァーナ篇』 中央公論新社
『神を統べる者 厩戸御子倭国追放篇』 中央公論新社
『高麗秘帖 朝鮮出兵異聞』 祥伝社
『秘伝・日本史解読術』 新潮社
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