不可思議なオカルト・ミックスの古代歴史冒険譚が始まった。副題にあるとおり、主人公となるのは厩戸御子である。目次の次の見開きページの右側には年表と天皇家系図が載っている。年表には「574年 厩戸御子誕生」、「622年 厩戸御子薨去」と記され、その下の天皇家系図には、第31代用明天皇の子として「厩戸皇子」と記されている。なぜか系図の中では皇子と記し、他は御子となっている。皇子=御子と受け止めれば終いのことかもしれないけれど、逆に気になる。
それはさておき、見開きの右ページには、本篇に関連する地図が掲載されている。「厩戸御子倭国脱出関連図」である。本書の篇名とこの関連図名からおわかりになるだろう。これが古代歴史の点的史実を踏まえながらも、著者の想像力を羽ばたかせて、壮大なフィクションを創造していく始まりであると。
主な登場人物の紹介ページで、「厩戸御子 尋常ならざる力を持つ少年。後の聖徳太子」と記されている。つまり、厩戸御子は厩戸皇子なのだが、歴史上に実在したとされる厩戸皇子-聖徳太子不在説もあるようだが-と識別するために、意識的に厩戸御子と表記して、一旦切り離してフィクションのストーリーを展開するということと理解すればよいのかもしれない。記録に残る史実とこのストーリーでのフィクションとを切り分けるための一方法とも言える。
いずれにしても、この小説のタイトルは読者を引き寄せるのに魅力的である。
さて、この小説がどのように展開していくのかわからない。そこで各篇ごとにその読後印象をご紹介したい。
本書は三部構成になっている。「第一部 大和」、「第二部 筑紫」、「第三部 揚州」である。
冒頭は、青の鳥居の鎮座する池端で、厩戸が金光明経を禍霊に対して唱えている場面に、布都姫が現れて祝詞を唱える。禍霊が退散すると、二人は少時言葉を交わす。そして、相互に関心を抱き始める。それは二人に共通する異能を認め合う切っ掛けとなった。そこへそれぞれの従者が現れてきて、互いの主人が無事だったことに安心する。彼らには、一瞬それぞれの主人が雲隠れしたかに見えて、探していたのだった。そんなシーンである。
布都姫には女剣士柚蔓が護衛に付いていた。一方、厩戸には傅役の大淵蜷養と従者細螺田葛丸が護衛に付いていた。これら従者が現れたことにより、厩戸御子が池辺皇子家の皇子の次男であり、布都姫が大連物部守屋の娘であることが互いに分かることになる。この出会いが後にストーリーの展開へのトリガーになっていく。
厩戸が血縁上、蘇我馬子に繋がる。蘇我馬子の父稲目は天皇から仏像を託され自邸で祀ることになった。仏の効験を明らかにするためという。馬子は父から継承し、崇仏派の筆頭である。厩戸の優れた資質を見抜き、己の所蔵する仏典を厩戸御子が学べる場を順次提供している。いずれ、崇仏派の旗印に厩戸を引っぱり出す肚である。
一方、大連物部守屋は、日本古来の神々を敬い、排仏派の首魁である。蕃神である仏が我国に広まることを断固反対している。蘇我馬子と物部守屋は政治の場でも常に勢力的に対立する関係である。その物部守屋は排仏のためにも、仏教の弱点を知るために仏典を自邸に密かに幅広く収集して、その内容にもあるていど通じている(と設定されている)。
つまり、崇仏派と排仏派が対立する狭間に厩戸が存在する。
このストーリーの興味深いところは、厩戸の能力である。厩戸は3歳から漢籍に親しみ、読む先から諳んじていく能力を身につけている。このとき、厩戸は7歳で、馬子から提供された仏典はすべて読み諳んじているのである。一度目を通して読めば記憶に残り、頭の中で、仏典間の章句の関係性を引き出せるという尋常ならざる能力が備わっていた。7歳の厩戸御子は今は仏典を批判する立場というより、未読の仏典を読みたいという意欲がまさっている段階だった。また、仏典を読むのも、己が禍霊に遭遇し、怖い思いをしたくないということ、また、禍霊を見ることを人には語れないと隠している状態だったのだ。そんな時に、禍霊のことを知る布都姫と出会ったのだから、彼女の考えを知りたくなるのは自然。
田葛丸の手助けを得て、物部守屋の邸に忍び入り、その気配を事前に感知した布都姫と話をする機会をもつ。それを契機に、厩戸は物部守屋と面談し、守屋所蔵の仏典を自由に渉猟し読んでも良いと許されるという方向に進む。守屋は厩戸がいずれ仏教の瑕疵、排仏すべき事項を発見することに賭ける思いと厩戸を己の方に取り込む意図があった。
だが国内問題に留まらない事態が出現する。厩戸を抹殺せんとする一団が動き出したのである。現天皇渟中倉太珠敷天皇(敏達天皇)が厩戸について、伊勢神宮に斎宮として居る己の娘を介して天照大神の神意を問わせ神託を受けさせるという行動に出たのだ。神託の結果は「厩戸を逐降(かむやらいやら)え」という。そこで中臣大夫を使い、密かに厩戸を抹殺するという行動を選択する。天皇を護る中臣の存在が浮上する。
このことが分かると、物部守屋は対立する蘇我馬子の邸に乗り込み、直接交渉をして、それぞれの持つ目論見から、厩戸を護るために急遽連合して、敏達天皇・中臣の企てを阻止する行動に出る。それは何か? 厩戸を大和(倭)国から追放するという名目で外国に逃すという戦略だった。この辺りから、フィクションの独壇場へと転換して行く。
馬子と守屋は、厩戸の逃走に護衛として従者を付ける。厩戸の従者であった蜷養と田葛丸、そして剣士がさらに二人。守屋は布都姫の護衛であった柚蔓と称する女剣士、馬子は虎杖(いたどり)と称する剣士である。蜷養もまた剣の使い手であり、虎杖とはともに剣を極めようとする繋がりがあった。
大和を脱して、船でまずは筑紫に向かおうとする。だがその過程で敏達天皇が放った不可思議な追っ手との闘争が海上で起こる。その結果、7歳の厩戸とっては、大きなショックとなる悲劇がまず発生する。この闘争はまさにオカルト場面である。読者にとってはおもしろい。
第一部には、闘いの場面がけっこう破天荒でエンターテインメント性に富んでいる。
「第二部 筑紫」では、厩戸は筑紫物部の館に潜み、倭国から安全な海外への脱出への待機となる。安全な海外とは敏達天皇の勢力が及びがたい揚州である。筑紫で厩戸御子は発熱し床に就く。口がきけなくなった。厩戸は大和へ、母の許に戻りたがる。
筑紫においても、厩戸は中臣の発した暗殺団の襲撃をうけることになる。厩戸危うしということを念力で察知したのは倍達多法師だった。倍達多法師は百済国での布教を断念し、揚州に帰国しようとしたのだが、難破により倭国に漂着していた。揚州への帰国を願っていたのだ。
危機を脱した厩戸は、倍達多法師を師として、揚州への外洋定期船に乗り込むことになる。厩戸御子の唯一の救いは、この倍達多法師との出会いである。
「第三部 揚州」では、揚州の広陵という殷賑な港に上陸する。この上陸時点から、次の不穏な動きへの予兆が現れてくる。一つは、道教の道士である九叔師とその弟子正英が監視していた。正英は霊性のある人を識別する能力があった。九叔は倍達多法師に気づく。彼がヴァルディタム・ダッタということを思い出す。かつては九叔が論敵とした人物だった。そして、正英は厩戸御子に霊性を見出す。厩戸御子は彼らの標的となる。一方、下船した後、厩戸御子は広という少年に目を留めていた。
この広陵で一行は物部商館に入るが、なんと通りを隔てて蘇我商館が真向かいに建っている。どこまでも蘇我と物部は対立関係にある。
この揚州から天竺への船は倍達多法師が伝手があるという。
だが、厩戸御子が物部商館の天蓋で覆われた寝台で寝ているときに、そこから拐かされるという事態が発生する。倍達多法師はその行方を追うことになる。
また、厩戸御子が港で目にとどめた少年もまた、相前後して何者かに拐かされてしまっていた。
この篇は厩戸御子が揚州に着くなり、道士に拐かされるまでの展開で終わる。つまり、この後、厩戸御子はどうなるのか、気をもませる場面で次篇に引きつがれる。
世に知られた聖徳太子の幼少年時代を思わぬ方向に展開させていくところがおもしろい。フィクションといえど、納得性を得る為には、いずれ蘇我と物部間の対立が戦争レベルになり、聖徳太子は蘇我に味方し、仏教の公認に進むという方向の史実と整合させることだろう。それまでの展開がどのようにストーリー化されていくのか楽しみである。
ご一読ありがとうございます。
本書からの波紋としての関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
蘇我氏 :「コトバンク」
蘇我氏 :「飛鳥の扉」
聖徳太子とは :「四天王寺」
あの人の人生を知ろう~聖徳太子 :「文芸ジャンキー・パラダイス」
物部氏 :「コトバンク」
「物部氏論考」⇒ 『越中』に残る物部氏族 :「赤丸米のふるさとから 越中のささやき」
物部氏/石上氏 :「日本の苗字七千傑」
関裕二・物部氏の正体 :「松岡正剛の千夜千冊」
石上神宮 公式サイト
物部氏族の起源の地 高良大社 筑後平野説 :「神旅 仏旅 むすび旅」
筑紫物部、磐井 :「古代史俯瞰」
揚州市 :ウィキペディア
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
著者の作品で以下の読後印象記を書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『高麗秘帖 朝鮮出兵異聞』 祥伝社
『秘伝・日本史解読術』 新潮社
それはさておき、見開きの右ページには、本篇に関連する地図が掲載されている。「厩戸御子倭国脱出関連図」である。本書の篇名とこの関連図名からおわかりになるだろう。これが古代歴史の点的史実を踏まえながらも、著者の想像力を羽ばたかせて、壮大なフィクションを創造していく始まりであると。
主な登場人物の紹介ページで、「厩戸御子 尋常ならざる力を持つ少年。後の聖徳太子」と記されている。つまり、厩戸御子は厩戸皇子なのだが、歴史上に実在したとされる厩戸皇子-聖徳太子不在説もあるようだが-と識別するために、意識的に厩戸御子と表記して、一旦切り離してフィクションのストーリーを展開するということと理解すればよいのかもしれない。記録に残る史実とこのストーリーでのフィクションとを切り分けるための一方法とも言える。
いずれにしても、この小説のタイトルは読者を引き寄せるのに魅力的である。
さて、この小説がどのように展開していくのかわからない。そこで各篇ごとにその読後印象をご紹介したい。
本書は三部構成になっている。「第一部 大和」、「第二部 筑紫」、「第三部 揚州」である。
冒頭は、青の鳥居の鎮座する池端で、厩戸が金光明経を禍霊に対して唱えている場面に、布都姫が現れて祝詞を唱える。禍霊が退散すると、二人は少時言葉を交わす。そして、相互に関心を抱き始める。それは二人に共通する異能を認め合う切っ掛けとなった。そこへそれぞれの従者が現れてきて、互いの主人が無事だったことに安心する。彼らには、一瞬それぞれの主人が雲隠れしたかに見えて、探していたのだった。そんなシーンである。
布都姫には女剣士柚蔓が護衛に付いていた。一方、厩戸には傅役の大淵蜷養と従者細螺田葛丸が護衛に付いていた。これら従者が現れたことにより、厩戸御子が池辺皇子家の皇子の次男であり、布都姫が大連物部守屋の娘であることが互いに分かることになる。この出会いが後にストーリーの展開へのトリガーになっていく。
厩戸が血縁上、蘇我馬子に繋がる。蘇我馬子の父稲目は天皇から仏像を託され自邸で祀ることになった。仏の効験を明らかにするためという。馬子は父から継承し、崇仏派の筆頭である。厩戸の優れた資質を見抜き、己の所蔵する仏典を厩戸御子が学べる場を順次提供している。いずれ、崇仏派の旗印に厩戸を引っぱり出す肚である。
一方、大連物部守屋は、日本古来の神々を敬い、排仏派の首魁である。蕃神である仏が我国に広まることを断固反対している。蘇我馬子と物部守屋は政治の場でも常に勢力的に対立する関係である。その物部守屋は排仏のためにも、仏教の弱点を知るために仏典を自邸に密かに幅広く収集して、その内容にもあるていど通じている(と設定されている)。
つまり、崇仏派と排仏派が対立する狭間に厩戸が存在する。
このストーリーの興味深いところは、厩戸の能力である。厩戸は3歳から漢籍に親しみ、読む先から諳んじていく能力を身につけている。このとき、厩戸は7歳で、馬子から提供された仏典はすべて読み諳んじているのである。一度目を通して読めば記憶に残り、頭の中で、仏典間の章句の関係性を引き出せるという尋常ならざる能力が備わっていた。7歳の厩戸御子は今は仏典を批判する立場というより、未読の仏典を読みたいという意欲がまさっている段階だった。また、仏典を読むのも、己が禍霊に遭遇し、怖い思いをしたくないということ、また、禍霊を見ることを人には語れないと隠している状態だったのだ。そんな時に、禍霊のことを知る布都姫と出会ったのだから、彼女の考えを知りたくなるのは自然。
田葛丸の手助けを得て、物部守屋の邸に忍び入り、その気配を事前に感知した布都姫と話をする機会をもつ。それを契機に、厩戸は物部守屋と面談し、守屋所蔵の仏典を自由に渉猟し読んでも良いと許されるという方向に進む。守屋は厩戸がいずれ仏教の瑕疵、排仏すべき事項を発見することに賭ける思いと厩戸を己の方に取り込む意図があった。
だが国内問題に留まらない事態が出現する。厩戸を抹殺せんとする一団が動き出したのである。現天皇渟中倉太珠敷天皇(敏達天皇)が厩戸について、伊勢神宮に斎宮として居る己の娘を介して天照大神の神意を問わせ神託を受けさせるという行動に出たのだ。神託の結果は「厩戸を逐降(かむやらいやら)え」という。そこで中臣大夫を使い、密かに厩戸を抹殺するという行動を選択する。天皇を護る中臣の存在が浮上する。
このことが分かると、物部守屋は対立する蘇我馬子の邸に乗り込み、直接交渉をして、それぞれの持つ目論見から、厩戸を護るために急遽連合して、敏達天皇・中臣の企てを阻止する行動に出る。それは何か? 厩戸を大和(倭)国から追放するという名目で外国に逃すという戦略だった。この辺りから、フィクションの独壇場へと転換して行く。
馬子と守屋は、厩戸の逃走に護衛として従者を付ける。厩戸の従者であった蜷養と田葛丸、そして剣士がさらに二人。守屋は布都姫の護衛であった柚蔓と称する女剣士、馬子は虎杖(いたどり)と称する剣士である。蜷養もまた剣の使い手であり、虎杖とはともに剣を極めようとする繋がりがあった。
大和を脱して、船でまずは筑紫に向かおうとする。だがその過程で敏達天皇が放った不可思議な追っ手との闘争が海上で起こる。その結果、7歳の厩戸とっては、大きなショックとなる悲劇がまず発生する。この闘争はまさにオカルト場面である。読者にとってはおもしろい。
第一部には、闘いの場面がけっこう破天荒でエンターテインメント性に富んでいる。
「第二部 筑紫」では、厩戸は筑紫物部の館に潜み、倭国から安全な海外への脱出への待機となる。安全な海外とは敏達天皇の勢力が及びがたい揚州である。筑紫で厩戸御子は発熱し床に就く。口がきけなくなった。厩戸は大和へ、母の許に戻りたがる。
筑紫においても、厩戸は中臣の発した暗殺団の襲撃をうけることになる。厩戸危うしということを念力で察知したのは倍達多法師だった。倍達多法師は百済国での布教を断念し、揚州に帰国しようとしたのだが、難破により倭国に漂着していた。揚州への帰国を願っていたのだ。
危機を脱した厩戸は、倍達多法師を師として、揚州への外洋定期船に乗り込むことになる。厩戸御子の唯一の救いは、この倍達多法師との出会いである。
「第三部 揚州」では、揚州の広陵という殷賑な港に上陸する。この上陸時点から、次の不穏な動きへの予兆が現れてくる。一つは、道教の道士である九叔師とその弟子正英が監視していた。正英は霊性のある人を識別する能力があった。九叔は倍達多法師に気づく。彼がヴァルディタム・ダッタということを思い出す。かつては九叔が論敵とした人物だった。そして、正英は厩戸御子に霊性を見出す。厩戸御子は彼らの標的となる。一方、下船した後、厩戸御子は広という少年に目を留めていた。
この広陵で一行は物部商館に入るが、なんと通りを隔てて蘇我商館が真向かいに建っている。どこまでも蘇我と物部は対立関係にある。
この揚州から天竺への船は倍達多法師が伝手があるという。
だが、厩戸御子が物部商館の天蓋で覆われた寝台で寝ているときに、そこから拐かされるという事態が発生する。倍達多法師はその行方を追うことになる。
また、厩戸御子が港で目にとどめた少年もまた、相前後して何者かに拐かされてしまっていた。
この篇は厩戸御子が揚州に着くなり、道士に拐かされるまでの展開で終わる。つまり、この後、厩戸御子はどうなるのか、気をもませる場面で次篇に引きつがれる。
世に知られた聖徳太子の幼少年時代を思わぬ方向に展開させていくところがおもしろい。フィクションといえど、納得性を得る為には、いずれ蘇我と物部間の対立が戦争レベルになり、聖徳太子は蘇我に味方し、仏教の公認に進むという方向の史実と整合させることだろう。それまでの展開がどのようにストーリー化されていくのか楽しみである。
ご一読ありがとうございます。
本書からの波紋としての関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
蘇我氏 :「コトバンク」
蘇我氏 :「飛鳥の扉」
聖徳太子とは :「四天王寺」
あの人の人生を知ろう~聖徳太子 :「文芸ジャンキー・パラダイス」
物部氏 :「コトバンク」
「物部氏論考」⇒ 『越中』に残る物部氏族 :「赤丸米のふるさとから 越中のささやき」
物部氏/石上氏 :「日本の苗字七千傑」
関裕二・物部氏の正体 :「松岡正剛の千夜千冊」
石上神宮 公式サイト
物部氏族の起源の地 高良大社 筑後平野説 :「神旅 仏旅 むすび旅」
筑紫物部、磐井 :「古代史俯瞰」
揚州市 :ウィキペディア
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その点、ご寛恕ください。)
著者の作品で以下の読後印象記を書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『高麗秘帖 朝鮮出兵異聞』 祥伝社
『秘伝・日本史解読術』 新潮社
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