遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『去就 隠蔽捜査6』  今野 敏  新潮社

2017-05-19 12:35:00 | レビュー
 このシリーズも実質8作目となる。現在は、警視正・大森署署長となっている竜崎伸也という主人公の原理原則で警察官としての職責を貫き通すというキャラクターが好きなのだ。今野の作品シリーズで好きなものの1つである。

 今回の作品は、勿論大森署の管轄地域で発生した事件が主軸としてストーリーが展開する。そこに、事件と関連していく形で2つのサブ・テーマが織り込まれていく。
 一つは警察組織機構での企画業務の進め方である。上意下達の指示命令原理で動く組織が企画する業務の有り様を描く。具体的には、「続発するストーカーによる殺傷事件を重く見て、警察庁が警視庁および全国の道府県に対して、ストーカーに関する対策セクションを作るように指導をした」(p8-9)のある。警視庁はそれを受け、ストーカー対策の専門組織を作る一方、ストーカー対策チームを作ることにした。大森署を管轄する第二方面本部長から、大森署長宛てに警視庁本部の意向として対策チームを可及的すみやかに作りそのチーム担当者のリストを提出せよという指示が来ていたのである。所轄では新たに人員を追加できる訳ではない、現有人員で対策チームを編成して活動する訳である。それでなくても各課が現在業務で手一杯の所に、新たな企画で対策チームをつくれと命令してきたのだ。選ばれた署員は所属の仕事との兼任とならざるを得ない。このストーカー対策チームを竜崎はどう扱っていくか。警視庁本部・第二方面部長経由で下りてきた命令の取扱い方の顛末をサブストーリーとして描き込んで行く。早速、第二方面本部長直属の野間崎管理官が竜崎の前に現れるところから、このサブストーリーが始まる。かつて竜崎と対抗し敵対した野間﨑管理官が弓削本部長と竜崎との間で、板挟みになり困る姿が少しユーモラスである。この対策チームをどう作り、どう活かすか? このストーリーの中で、階級や役職の序列を含めた組織の問題点、受けた命令に対処する側の様々な対応など、現実感のある経緯が描かれる。そこには著者からみた批判精神も原理原則の竜崎を介して盛り込まれていく。
 もう一つは、メインのストーリーの展開における副産物として、ストーリー展開の最終コーナーで発生する事象である。弓削方面本部長が、捜査本部の置かれた事件において署長の権限を越えた行為があったと、警務部長に上申したのだ。それが発端となり、竜崎は警務部長が監察執行官となる特別監察を受ける対象者となる。つまり、原理原則で行動する竜崎に越権行為が認められば、大森署長更迭ということに成りかねない。署員達をはらはらさせる事態が起こる。この小説のタイトル「去就」がここに由来すると言える。
事件解決のやり方が生み出した副産物である。事件の解決というプロセスの中に、事件を解決するための原理原則の応用ではなく、個人の出世欲やパフォーマンスを内に秘めた運用という陥りやすい対応を絡ませるというシニカルな批判精神が描き込まれている。

 さらに、ストーカーという言葉からの連想ゲーム的な要素が加わる。竜崎の娘の美紀が登場する。美紀は竜崎の元上司の息子である忠典と長らく付き合ってきたのだが、ここにきて美紀が結婚を躊躇しているというのである。私人竜崎の家庭内の悩みが、所々で同時並行の話題として挿入される。そして、そのケジメの付け方が最後に描き込まれるのだが、竜崎はなかなか洒落た作戦を使うのだ。それにあの戸高刑事が一役演じるのだから重石居る。このサブストーリーは、この小説の中では、一種のアクセントづけ、フェーズの切り替えで読者にとっての息抜き、清涼剤的役割を担う形にもなっている。なぜなら、ここに竜崎という原理原則で行動する男の家庭人としての側面が書き込まれるのだから。勿論、そこにも原理原則思考が顔を覗かせているのだが・・・・・。

 それではメインのストーリーとなる事件への読後印象に入ろう。
 大森署管内の太田区大森北四丁目という住宅街からの通報で始まった。その通報にまずは地域課が対応する。連れ去り事件が発生したようなのだ。通報者は寺川詠子56歳で、娘が昨夜男性に会いに行きそのまま戻らないというのだ。略取・誘拐と思われる事案の発生である。
 ストーカー対策チームを、竜崎方針のもとに作ろうとしている矢先にこの連れ去り事件の通報が入ったという設定である。朝の8時50分頃に、事案の無線がまず流れたのである。
 通報者に会いに行った捜査員が聞き出して分かったことは、寺川詠子の娘は24歳で服飾メーカーに勤めるOL。地元の高校の同級生で、24歳の下松洋平が真智子にしつこく言い寄っていたという。下松洋平は無職でバイト暮らしをしているようなのだ。住所は、山王一丁目。母と一緒に住み、父親は離婚して別のところに住む。母親の話では、下平洋平は、前日の夕方出かけて行ったきりで戻っていない。寺川詠子によると、真智子はどうやら最近交際を始めたように思える男性が同行したという。真智子の会社の先輩で、中島重晴、30歳。真智子は男性の同行により、下松洋平と連絡を取り合って、下松の自宅近くまで出かけたようなのだ。一方、真智子は既に大森署にストーカーの相談に来ていて、生安課の担当者にしつこく言い寄る男の話をし、男の名が下松洋平と話したという。
 つまり、ストーカー行為に起因する連れ去り事件が発生した。ストーカー対策チームという今後の対策と現下に発生したストーカー事件が絡まり合っていくという構想が面白い。
 関本刑事課長がこの把握情報を報告し、「ストーカーの相談を受けていながら、事件に発展したとなれば、またマスコミが騒ぎます」と表情を曇らせる。竜崎は即座に言う。「騒がせておけばいい。マスコミなど実情を知らずに勝手なことを言うだけだ」「心配ない。責任は俺が取る」と。
 最近、ストーカー問題への対処が大きな問題となっている。それを背景にタイムリーな事件テーマを設定し、そこから竜崎の去就問題にまで発展するという伏線を事件捜査の過程に組み込みつつ、ストーリーを展開させる。
 午後3時になろうとするとき、通信指令センターから無線が流れた。死体が発見されたという通報である。担当者が現場に急行する。その結果、遺体発見場所は大田区山王一丁目、死体の身元が確認され、被害者は中島繁晴と判明したのだ。ストーカー事件は殺人事件に拡大したのだ。大森署に捜査本部が設置される可能性が高くなる。
 例によって伊丹俊太郎刑事部長がまず電話で竜崎にコンタクトしてくる。その矢先、伊丹に連絡が入る。神奈川県警から連絡が入ったのだ。離婚し横浜市鶴見区の住む下松洋平の父親が、先日所持していた猟銃を紛失したという届けが出されていて、洋平は父親の自宅の合い鍵を持っていたということなのだ。大森署管轄で発生した事件の概要を知った神奈川県警が関連性があるかもしれないと連絡してきたという。このことを、伊丹は竜崎に告げる。
 連れ去りというストーカー事件が、殺人事件に拡大し、さらに逃走に猟銃が保持されているかもしれないという展開になっていく。
 伊丹刑事部長が捜査本部長になるのだが、「殺人犯が、猟銃を持ち、人質を取って逃走している。捜査本部が必要かもしれないな。SIT(特殊捜査班係)の投入も視野に入れる」(p73)と竜崎に告げる。
 竜崎は、指揮本部を設置し、随時前線本部を作るという小回りのきく対案を出す。指揮本部長は伊丹刑事部長であるが、竜崎は大森署に本部が立ち、大森署長がたてまえでの副本部長であり、捜査や事件対応の判断は警視庁本部の者がするという従来の慣行ではなく、本部長に次ぎ副本部長が実質的な権限を持つ形の指揮本部ということを本部長が明言するように条件をつける。伊丹はその条件を了解する。それには多少の裏があった。
 捜査一課長は例のノンキャリアの人望がある田端守雄。そこに二人の管理官が来る。第二強行犯捜査の岩井管理官とSITの加賀管理官である。どちらも五十代前半で、経験も気力も申し分ないが、二人は折り合いが悪く、対立することが多いという。伊丹はこともなげに、竜崎に「おまえがうまく仕切ればいいんだ」と下駄を預けたのだ。
 捜査が進むにつれ、事態が複雑に展開していく。
 中島繁晴は刃物で刺されていたのである。発見現場は山王町1丁目。
 山王町1丁目の駐車場から連れ去りで、下松の車は第一京浜を神奈川方面に向かっていたことがNシステムで把握されていたが、その車が山王1丁目に近い池上通りで発見されたのだ。
 寺川真智子が高校時代の友人にメールを送ったという情報が入る。下松が真智子を人質にし自宅に捕まっていると。
 猟銃を持ったストーカーで殺人を犯した犯人が人質と立て籠もる事件の様相に拡大する。
 ストーカー対策チーム編成の直接の指示を出していた弓削本部長が指揮本部に登場し、猟銃所持の立てこもりなら、機動隊を投入し早期解決の対処をする必要を論じ、その命令を別途出す形に発展していく。
 捜査ストーリーの展開は、ますます複雑になっていくという次第。
 その中で、この捜査に加わり、発見された車の現場に直接出向いた戸高刑事は、その車を見た時に、違和感を感じたという。そこから戸高刑事の独自の捜査と推論が始まって行く。戸高はストーカー対策チームに組み込まれ、かつ、同チームに組み込まれた生安課の根岸紅美巡査と一緒に、この事件で捜査活動に入っているのである。それは竜崎の命令でもあった。この二人の捜査活動が、竜崎に奇妙なな事実情報を知らせて行く事になる。
 事件はますます大事の動きになり、意外な展開を見せ始める。初動捜査での事実確認の詰めの不足に陥穽が開いていたのだった。そして、最後は戸高・根岸の二人が、活躍することになる。

 警察組織における組織単位の役割分担と、階級と権限の範囲の問題が捜査活動の上で軋轢を生み出す様が描き込まれていく。そこにリアル感がある。最後に竜崎署長が越権行為をおかしたのかどうか、その「去就」問題にまで及ぶ。
 一方、竜崎の抱えた家庭問題はどうなるのか? 
 このストーリーの構想と展開にはエンターテインメント性が十分に盛り込こまれている。やはり、竜崎の思考と判断、その行動は痛快であり、おもしろい。
 現実に、こんな行動をとる警察署長、もしくはキャリアの警察官が存在するのだろうか。

 ご一読ありがとうございます。

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