遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『常設展示室』  原田マハ  新潮社

2021-11-13 17:45:54 | レビュー
 カバーは展示室の景色。見たことのある絵がシックな図柄の壁に掛けてある。タイトルと併せてみると、アート絡みの小説かなと想像した。壁に掛けられた絵はよく見ると、ヨハネス・フェルメールの「デルフトの眺望」である。
 奥書を見ると、「小説新潮」(2009年3月・7月号、2018年1月号~7月号)に掲載された短編6つを収録した短編集。2018年11月に刊行された。

 想像通り、美術館の常設展示場が登場する。カバーには、「Permanent Collection」と英文タイトルが併記されている。上記のとおり6つの短編を収録した小品集である。それぞれ独立した作品であり、短編自体のタイトルにも、英語あるいはフランス語のタイトルが併記されている。各短編は場所も状況も異なるけれど、一方で共通点もある。ストーリーに常設展示場が様々に異なる意味づけの場所として登場する。主人公は女性であり、常設展示場を身近なものに感じている人である。ストーリーに関わる人あるは人々がそこを訪れる。短編それぞれは様々に異なる色合いの余韻を残す。そこがいい。

 各短編について、いくつかの視点で簡略にご紹介しよう。どのようなストーリーかをちょっと想像して、本書を開いて見る契機になればと思う。
 視点は、a) 常設展示場について、b)主人公、c)登場する主な人々、d)ストーリーについて e)読後印象としての余韻、を簡略に記したい。

<群青 The Color of life>
a)メトロポリタン美術館  U.S.A ニューヨーク
 障害者向け教育プログラムを実施する会場に使用する。
b)美青(ミサオ・オノ) 日本人、メトロポリタン美術館教育部門のアシスタントプログラマー
 銀行員の父の転勤で小学生時代にNYに在住し美術館に出会う。高校生の時に帰国。
 ニューヨーク大学で美術史を学ぶ。小さな美術館、サンフランシスコ近代美術館の教育部門を経て、メトロポリタン美術館の教育部門で職を得る。すでに10年近く在籍。日本には帰らないつもり。「美術館が、私の家なのだから」(p18)
c)上司でシニアプログラマーのアネット・ジェイソン、印象派・近代部門のキュレーターであるアーノルド・ウィリアムズ、美青が眼科で出会った女の子パメラ、ほか
d)美青は、知的障害・聴覚障害を持つ子供たちを対象に、メトのキュレーターがコレクションを解説する障害者向けプログラムを担当する。当日、キュレーターのアーノルドがピカソの<盲人の食事>を参加した子供たちに解説する。
 企画実施より少し前に、アーノルドに勧められ美青は予約して眼科に行く。そこで弱視のパメラと出会ったエピソードが描写される。美青は緑内障であり緊急手術の必要性を告知される。
 美青はワークショップ実施日の直前にワークショップ・タイトルの変更を提案する。
e)「深く静かな、群青のさなか」で「満ち溢れる命の息吹、かすかな光り」(p40)を感じる。生、希望という余韻。

<デルフトの眺望 A View of Delft>
a)マウリッツハイス美術館  オランダ ロッテルダム近郊のデン・ハーグ
 なづきは海外出張の最後に商用が予定より早くすみ、丸一日の自由な時間を過ごす。
 フェルメールの<真珠の耳飾りの少女>を見る目的で行った。が、そこで「デルフトの眺望」に出会い、魅了される。
b)なづき(七月生) 現代アートを扱う大手ギャラリーの営業部長
c)なづきの弟・ナナオ(七生)、なづきとナナオの父(死亡)、看護師の中村さん
d)なづきとナナオの父は、最後の時を<あじさいの家>という施設で過ごす。ナナオが父の看護を引き受ける。なづきは営業部長として忙しく世界各地を飛び回っている。姉弟の生き方と父の最後の時に関わる経緯が綴られていく。デン・ハーグからロッテルダムへの帰路の列車の中で、なづきはナナオからの父死亡のショートメールを受信する。
e)<デルフトの眺望>は「きのうの続きの今日がこの街にはある。今日の続きの明日が、またきっとくる」(p62)と感じさせる。父の死を知る前に、なづきはナナオに「帰ったら、いっぱい話したいことがあります。話そう。三人で。」と記して送っていた。
 落差の余韻が残る。

<マドンナ Madonna>
a)パラティーナ美術館  イタリア フィレンツェ ピッティ宮殿の一角
 フィレンツェでの商談中、上司の指示でホテル待機となったあおいが訪れる。
 ラファエロの<大公の聖母>との出会い。
b)橘あおい ギャラリー「太陽画廊」のディレクター・相田七月生の部下
c)あおいの母、あおいの兄(札幌在住、銀行員)、相田七月生
d)あおいはひとり暮らしの母の家に時々会いに行く。母は腰の手術をして腰痛はなくなったものの手足に多少の不自由が残り、いつなんどき転倒するかわからないという状況にある。だが本人はいたって元気にふるまっている。あおいがこまるのは、タイミングが悪い時に母から「とんでもない電話」がかかること。母とのそんな関係がつづく。ハーモニカの話が基底になる。フィレンツェでの商談中にあおいの兄からの電話が着信した。母に関わる連絡だった。
e)<大公の聖母>の絵が、あおいに古い記憶を呼び起こさせた。そして母の慈愛が母との約束を思い出させる。母への思いが深まる余韻。

<薔薇色の人生 La Vie en Rose>
a)上野の美術館  日本 東京・上野 (美術館名不詳、架空の設定か)
 会期終了後の「ゴッホ展」チケットについている常設展入場券での鑑賞
 多恵子はフィンセント・ファン・ゴッホの<ばら>の絵を見出す。
b)柏原多恵子 ある県の地域振興局「パスポート窓口」を担当する派遣社員
c)御手洗由智(パスポートの申請者)、牛島瑞穂(県の正職員、同僚)
d)御手洗由智が新規パスポート申請書類を窓口担当者の柏原多恵子に差し出す。彼女は45歳独身。御手洗はその時、殺風景な窓口の壁の色紙について「どなたの色紙ですか」と尋ねた。多恵子は誰の作品かは知らなかった。色紙には「ラ・ヴィ・アン・ローズ」と書かれていた。「薔薇色の人生」。受付手続きが終わった頃に終業を知らせるチャイムが鳴る。多恵子が役所を出た所で、ハイヤー待ちの御手洗に再び出会う。駅まで同乗させてもらうことになり、車中語りで御手洗は自分の人生を語り出す。その結果が思わぬ形で、多恵子の心を動かす。最後は彼女を上野の美術館に導いていく。御手洗に対する多恵子の心情が綴られていく。
e)多恵子と瑞穂という二輪のオールド・ローズが、色紙の言葉「La Vie en Rose」にそれぞれの異なる思いを胸に秘めながら笑いあうという交差しない余韻。

<豪奢 Luxe>
a)ポンピドー・センターにある国立近代美術館  フランス パリ
 下倉紗季は、常設展示室でアンリ・マティスの<豪奢>に出会う。
b)下倉紗季 榎本の画廊に入社しギャラリースタッフに。1年9ヵ月後に退社。谷地の愛人。
c)谷地哲郎(IT起業家、IT長者)、榎本進(画廊の社長)
d)両親の影響で美術好きになった紗季は画家をめざすが力量を悟り、大学では美術史を学ぶ。通い馴れていた画廊に就職でき、ギャラリースタッフとして活躍する。だが、画廊を訪れたIT長者の谷地と付き合い始め、退社し谷地の愛人となる。そして半年余が経つ。紗季と谷地の関係が、紗季の視点から描かれて行く。谷地からミンクのコートとパリ行きの飛行機のeチケットが宅急便で届く。
e)マチスの<豪奢>は水辺に集まる三人の女性たちを描く。中心になっているのは、一糸まとわぬ女性像。紗季はこの絵に<豪奢>と名付けたマチスの真意を思う。そして確信する。ミンクのコートを置き去りにして木枯らしの中に走り出す。自由になるという余韻が残る。

<道 La Strada>
a)国立近代美術館   日本 東京 上野
 交換留学生として日本芸術大学に通う貴田翠が東山魁夷の「道」を鈴木に見せたいために誘う。
b)貴田翠 5年前に日本芸術大学の教授となる。「新表現芸術大賞」審査会の審査員
c)鈴木(表参道路上で水彩画を売る人)、鈴森明人の娘・彩、西川佳代子(中学校教諭)
 友山明彦(審査会事務局)、長谷部堂潤(審査員・日本画家)、井川京香(翠のアシスタント)

d)イタリアの大学で現代美術を教えていた貴田翠は日本芸術大学の教授として呼び戻された。翠が国立中央美術館での「新表現芸術大賞」の審査会に出席する途上から始まる。翠はこの大賞の建て直しを実行し、今や時代の寵児になりつつあった。翠はエントリーナンバー29番の作品に惹きつけられる。画用紙をつなげて百号ほどの大きさの一枚の厚紙にした水彩画で、一本の道が描かれていた。その絵がなぜか、翠の幼い頃の記憶を呼び覚ましていく。翠の過去が回想される。イタリアから一時帰国し、交換留学生として日本芸術大学に通っていた時、表参道路上で水彩画を売っていた鈴木のことも思い出す。彼にほんものの絵を見せるために国立近代美術館の常設展示室に誘ったことも。
 翠は29番の応募者の名前と連絡先を尋ねた。記憶の回路が繋がって行く。
e)記憶の場所との邂逅、さらに運命的な出会いと出発の余韻が残る。

 6つの短編それぞれに色合いの異なる余韻が残るが、最後の「道」は一番ジーンとくる作品だった。
 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
【教養を深める】ピカソの『青の時代』解説  :「CASIE MAG」
盲人の食事 画家:パブロ・ピカソ :「MUSEY」
真珠の耳飾りの少女 :ウィキペディア
デルフトの眺望   :ウィキペディア
大公の聖母  :ウィキペディア
作品解説「大公の聖母」 ラファエロ 1483~1520  :「西洋絵画美術館」
ゴッホ作品《薔薇》とは?魅力と3つの鑑賞ポイント :「よく分かるゴッホ」
エディット・ピアフ プロフィール :「WARNER MUSIC JAPAN SPECIALS」
エディット・ピアフ バラ色の人生  YouTube
豪奢、静寂、逸楽 画家 : アンリ・マティス 作品解説 :「MUSEY」
アンリ・マティス《豪奢、静寂、逸楽》の詳細画像  :「MUSEY」
道(絵画) :ウィキペディア
東山魁夷 「道」
The Met ホームページ (メトロポリタン美術館)
Mauritshuis 日本語ホームページ (マウリッツハイス美術館)
王宮美術館パラティーナ :「フィレンツェからボンジョルノ!」
国立近代美術館(フランス) :ウィキペディア
ポンピドー・センター    :ウィキペディア
東京国立近代美術館  ホームページ

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こちらの本も読後印象を書いています。お読みいただけるとうれしいです。
『<あの絵>のまえで』   幻冬舎
『風神雷神 Jupiter, Aeolus』上・下  PHP
『美しき愚かものたちのタブロー』  文藝春秋
『たゆたえども沈まず』  幻冬舎
『アノニム』  角川書店
『サロメ』  文藝春秋
『デトロイト美術館の奇跡 DIA:A Portrait of Life』  新潮社
『暗幕のゲルニカ』   新潮社
『モダン The Modern』   文藝春秋
『太陽の棘 UNDER THE SUN AND STARS』  文藝春秋
『楽園のカンヴァス』  新潮文庫
『翼をください Freedom in the Sky』  毎日新聞社



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