『嘉永・慶応 新・江戸切絵図』(人文社)に載る嘉永6年に尾張屋が出版した「今戸箕輪 浅草絵図」を見ると、金龍山浅草寺の広大な境内の北東側は殆どが田地である。その中に「おはぐろどぶ」に囲まれた矩形の場所がある。幕府公認の遊郭・新吉原がある。その新吉原に行くのは、ほぼ南北方向に流れる川沿いの日本堤1本だけである。新吉原から南西方向の浅草寺境内地の境界道路までの直線距離を、新吉原からほぼ西方向の田地の先へと延ばせばそこには仕置場(小塚原刑場)があった。かつての新吉原は特異な地理的環境の中に存在した。
「おわりに」で、著者は「江戸時代とそれ以降、正確には明治五年の娼妓解放令以降の吉原は全く別のものといってよく、自分が大きな誤解をしていたことに気がつきました」と自己の吉原観経験を述べている。そこに、この「江戸時代の吉原に特化した本」を著した動機があるそうだ。
本書は江戸時代に存在した幕府公認の遊郭「吉原」について、江戸時代の目線でまずこの吉原をとらえようとする。勿論、江戸時代の遊郭・遊女にまとわりつくブラックな側面を無視している訳ではなく、その点にも言及している。しかし、まず江戸時代目線で「吉原」が果たしたポジティヴな側面に目を向けてみようというのがテーマである。
著者の論点はサブタイトルに凝縮されていると言える。吉原が江戸文化の一面を育む場所になった側面を重視している。江戸文化の一つとして、浮世絵がブームとなり様々な絵師がその絵筆を競っていた。そして、草子・読本・洒落本・人情本などが生み出されていく。それらので吉原が題材となり大いに取り上げられたという事実をビジュアルに示す。江戸の人々が魅惑を感じ、行って見たいと思い、もてはやしたからこそ、浮世絵や絵入り本等が量産されたといえる。吉原は人々を魅了し、江戸文化のインキュベーターとなっていたのである。
著者のわかりやすい語り口とともに、新書を開けば見開きページの中に必ず浮世絵や諸本の挿絵などがカラーあるいはモノクロで載っている。かなりビジュアルな編集になっていて、それらについてのキャプションもあり、本文とのコラボレーションになっている。 吉原が江戸文化を育んだ証拠がそこにビジュアルに例示されているともいえる。つまり、浮世絵文化の精華を楽しめる本でもある。
本書は三部構成である。遊郭吉原に因んで、第○夜という表示で記している。
「第一夜 苦界は”公界”! お江戸の特殊空間・遊郭への誘い」
江戸幕府により公認された吉原が内部統制がとれ、人工的な孤立環境として創造された遊郭である点を明確にしている。歌川広重(二代)『東都新吉原一覧』の吉原全体図や、切絵図『東都浅草絵図』、『吉原細見五葉枩』、『吉原細見(弘化4年版)』などをビジュアルに使って、吉原の地理や遊郭内の町の構造などを説明する。そしてこの吉原で遊ぶしくみと手続きを説明する。妓楼には格付けがあり、遊女にもランクづけが明確になっていたことや、その格付けに応じていわば公明な料金設定がなされていたこと、遊ぶ費用がどれくらいかかったものかを説明している。「花魁道中(おいらんどうちゅう)」という言葉が良く知られ、その場面が映画のシーンになったりもしている。花魁レベルとの遊びには、客の方が気を遣うという状況だったことや、初会・裏・馴染という遊びのプロセスが確立していたこと。初会ならば、「一晩待っても本懐を遂げることができずフラれることだってあるが、それでも料金はきっちり請求される」(p57)というような独自のルールがあったことなども記されていて、興味深い。
「第二夜 スターとスキャンダルと 共に振り返る☆吉原の歩み」
遊女屋を経営する庄司甚右衛門が中心となり同業者とともに幕府に陳情して、ウィンウィンの関係で遊郭が公認された理由や背景が明かされている。そして、湿地を埋め立ててできた遊郭は、当初「葭原(あしはら)」と呼ばれていたが、その音が悪しに繋がる故に、縁起を担いで良し原=吉原に改称された。その吉原が、幕府の命令で移転したのが浅草田圃の中、浅草寺の北東である。移転という経緯があるため、新吉原と通称される。
ここでは、公認の吉原に対し、江戸には街中の風呂屋の発展が私娼の湯女を輩出していった点に触れている。吉原には実質的な商売敵がその存立を危うくする局面があったという。吉原の存立史がわかりやすく説明されている。
吉原を公認する幕府にとって、吉原以外での売春は禁止である。度々取締の法令を出している事実が残るが、徹底されず事実上の黙認状態だたようだ。発展拡大する江戸の男女比率の極端なアンバランスが、幕府が黙認せざるを得ない状況を生み出したのだろう。
公認遊郭の花魁、太夫と称されたレベルになれば、当初は文芸素養を修得した華やかな遊女であり、著者は「太夫は現代でいえば憧れの女優兼トップモデル兼人気歌手兼一流文化人的存在の、お江戸のスーパーウーマンなのだ」(p91)と説明している。わかりやすいたとえである。有名太夫が浮世絵の主題になり、スターのプロマイドのように扱われ世間に流布していった。またそこに描かれた衣裳などが一種のファッションリーダーの役割すら果たしていく。髪型もしかりである。
本書にはスターとして羨望された花魁達の浮世絵を列挙し、それぞれにミニ解説を付して紹介している。それぞれの特徴がとらえられていておもしろい。名前を列挙しておこう。丹前勝山、万治高尾、三浦屋小柴、中万字屋玉菊、扇屋花扇、富本豊雛、佐野槌屋黛、稲本屋小稲である。
「第三夜 夢の国のリアル」
その華やかに演出された吉原に、一歩踏み込み舞台裏から眺めた実態もここで説明している。冒頭に、葛飾北斎『吉原妓楼の図』を載せている。昼見世と夜見世の間のアイドルタイムの妓楼1階という舞台裏の様子である。式亭三馬『昔唄花街始(むかしうたくるわのはじまり』の挿絵や、歌川国貞『吉原遊郭娼家之図』などを提示し、裏方として遊郭で働いていた一群の人々、花魁を取り巻く脇役に話題を転じていく。上客を惹きつけるための花魁たちの手練手管を語る一方、吉原の遊女がどこまで自己負担をしなければならなかったかの裏話も述べている。遊女の大凡の一日を描いて行く。
この第三夜では、「吉原の遊女たちは果てしなく過酷でブラックな労働条件で働いていた」という事実側面もちゃんと押さえている。江戸文化を育んだ華やかさとその陰の部分を述べることで、江戸時代の新吉原のスゴさをわかりやすく解説している。
上記以外でおもしろいと思った事項をご紹介しておこう。揚代の価格表(p54)、『吉原遊郭遊び双六』という盤上遊戯・双六の絵(p64-65)、恋川春町『吉原大通会』の挿絵(p67)、岡本楼内重岡を描いた浮世絵(p73)はその衣裳姿がスゴイ。コラムとして記載の「お金の話」(p74-75)「演出の話」(p76-77)、「時間の話」(p164-165)は江戸目線で吉原を知る背景知識として役に立つ。
江戸吉原への導入ガイドとしてはビジュアルで読みやすい概説書と言える。
余談として2点ふれておきたい。
第一夜で、苦界は公界と記述されている。様々な理由から身を売られ遊郭という場所、苦界で働く遊女達が本書の主人公である。ここで著者は公界という言葉を定義して使ってはいないと記憶する。末尾の参考文献には、網野善彦『増補 無縁・公界・楽』(平凡社ライブラリーが挙げられている。手許にあるこの本の関係箇所を読むと、「七-公界所と公界者」のところで、弁才天で有名な相模の江嶋が戦国時代「公界所」であったと記録する文書を史料にして説明している。そこで、「公界所」が世俗と縁の切れた場であったことを論証し、「公界」という語が、戦国時痔、「無縁」と同じ意味で用いられる場合が多かったことは間違いないと説明する。吉原を無縁の人々が形成していたと考えると、公界所と言える。
もう一つは、本書の参考文献一覧には載っていない本のことである。三谷一馬著『江戸吉原図聚』(中公文庫)である。
手許の本の奥書を見ると、1992年2月に出版され、翌3月に再版されている。1978年8月に立風書房から出版された同名本の文庫化である。これは吉原に関わる浮世絵や本の挿絵など絵を集め、テーマ毎に分類して、絵画の人物や場面等を主体にしそれにテーマの流れで参照文献からの抽出引用と説明を加えていくというスタイルにまとめられている。本書が著者の解説を主としてビジュアルな絵や史料を紹介していくのとは逆である。目次の大見出しを列挙する。「はじめに、吉原概説、登楼、廓内、妓楼、遊女の生活、年中行事、遊女の風俗、吉原風俗」という構成である。
本書『吉原はスゴイ』を概説書として読んでから、絵に語らせるこの『江戸吉原図聚』を読むと、読みやすさが加わりかつ相乗効果が産まれるように思う。
ご一読ありがとうございます。
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吉原大鑑 2巻 :「国立国会図書館デジタルコレクション」
吉原大全 :「国立国会図書館デジタルコレクション」
江戸名所花暦 :「国立国会図書館デジタルコレクション」
吉原略年表
新吉原図鑑 花魁
葛飾北斎 吉原楼中図 :「Google Arts & Culture」
吉原遊郭の図 創作ノート :「酔雲庵」
お江戸の桜の名所だった!? 遊郭の吉原に桜が咲いた理由 :「suumo ジャーナル」
幕末~明治、在りし日の吉原遊郭の古写真を街並みにスポットを当てまとめました!
:「Japaaaan」
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「おわりに」で、著者は「江戸時代とそれ以降、正確には明治五年の娼妓解放令以降の吉原は全く別のものといってよく、自分が大きな誤解をしていたことに気がつきました」と自己の吉原観経験を述べている。そこに、この「江戸時代の吉原に特化した本」を著した動機があるそうだ。
本書は江戸時代に存在した幕府公認の遊郭「吉原」について、江戸時代の目線でまずこの吉原をとらえようとする。勿論、江戸時代の遊郭・遊女にまとわりつくブラックな側面を無視している訳ではなく、その点にも言及している。しかし、まず江戸時代目線で「吉原」が果たしたポジティヴな側面に目を向けてみようというのがテーマである。
著者の論点はサブタイトルに凝縮されていると言える。吉原が江戸文化の一面を育む場所になった側面を重視している。江戸文化の一つとして、浮世絵がブームとなり様々な絵師がその絵筆を競っていた。そして、草子・読本・洒落本・人情本などが生み出されていく。それらので吉原が題材となり大いに取り上げられたという事実をビジュアルに示す。江戸の人々が魅惑を感じ、行って見たいと思い、もてはやしたからこそ、浮世絵や絵入り本等が量産されたといえる。吉原は人々を魅了し、江戸文化のインキュベーターとなっていたのである。
著者のわかりやすい語り口とともに、新書を開けば見開きページの中に必ず浮世絵や諸本の挿絵などがカラーあるいはモノクロで載っている。かなりビジュアルな編集になっていて、それらについてのキャプションもあり、本文とのコラボレーションになっている。 吉原が江戸文化を育んだ証拠がそこにビジュアルに例示されているともいえる。つまり、浮世絵文化の精華を楽しめる本でもある。
本書は三部構成である。遊郭吉原に因んで、第○夜という表示で記している。
「第一夜 苦界は”公界”! お江戸の特殊空間・遊郭への誘い」
江戸幕府により公認された吉原が内部統制がとれ、人工的な孤立環境として創造された遊郭である点を明確にしている。歌川広重(二代)『東都新吉原一覧』の吉原全体図や、切絵図『東都浅草絵図』、『吉原細見五葉枩』、『吉原細見(弘化4年版)』などをビジュアルに使って、吉原の地理や遊郭内の町の構造などを説明する。そしてこの吉原で遊ぶしくみと手続きを説明する。妓楼には格付けがあり、遊女にもランクづけが明確になっていたことや、その格付けに応じていわば公明な料金設定がなされていたこと、遊ぶ費用がどれくらいかかったものかを説明している。「花魁道中(おいらんどうちゅう)」という言葉が良く知られ、その場面が映画のシーンになったりもしている。花魁レベルとの遊びには、客の方が気を遣うという状況だったことや、初会・裏・馴染という遊びのプロセスが確立していたこと。初会ならば、「一晩待っても本懐を遂げることができずフラれることだってあるが、それでも料金はきっちり請求される」(p57)というような独自のルールがあったことなども記されていて、興味深い。
「第二夜 スターとスキャンダルと 共に振り返る☆吉原の歩み」
遊女屋を経営する庄司甚右衛門が中心となり同業者とともに幕府に陳情して、ウィンウィンの関係で遊郭が公認された理由や背景が明かされている。そして、湿地を埋め立ててできた遊郭は、当初「葭原(あしはら)」と呼ばれていたが、その音が悪しに繋がる故に、縁起を担いで良し原=吉原に改称された。その吉原が、幕府の命令で移転したのが浅草田圃の中、浅草寺の北東である。移転という経緯があるため、新吉原と通称される。
ここでは、公認の吉原に対し、江戸には街中の風呂屋の発展が私娼の湯女を輩出していった点に触れている。吉原には実質的な商売敵がその存立を危うくする局面があったという。吉原の存立史がわかりやすく説明されている。
吉原を公認する幕府にとって、吉原以外での売春は禁止である。度々取締の法令を出している事実が残るが、徹底されず事実上の黙認状態だたようだ。発展拡大する江戸の男女比率の極端なアンバランスが、幕府が黙認せざるを得ない状況を生み出したのだろう。
公認遊郭の花魁、太夫と称されたレベルになれば、当初は文芸素養を修得した華やかな遊女であり、著者は「太夫は現代でいえば憧れの女優兼トップモデル兼人気歌手兼一流文化人的存在の、お江戸のスーパーウーマンなのだ」(p91)と説明している。わかりやすいたとえである。有名太夫が浮世絵の主題になり、スターのプロマイドのように扱われ世間に流布していった。またそこに描かれた衣裳などが一種のファッションリーダーの役割すら果たしていく。髪型もしかりである。
本書にはスターとして羨望された花魁達の浮世絵を列挙し、それぞれにミニ解説を付して紹介している。それぞれの特徴がとらえられていておもしろい。名前を列挙しておこう。丹前勝山、万治高尾、三浦屋小柴、中万字屋玉菊、扇屋花扇、富本豊雛、佐野槌屋黛、稲本屋小稲である。
「第三夜 夢の国のリアル」
その華やかに演出された吉原に、一歩踏み込み舞台裏から眺めた実態もここで説明している。冒頭に、葛飾北斎『吉原妓楼の図』を載せている。昼見世と夜見世の間のアイドルタイムの妓楼1階という舞台裏の様子である。式亭三馬『昔唄花街始(むかしうたくるわのはじまり』の挿絵や、歌川国貞『吉原遊郭娼家之図』などを提示し、裏方として遊郭で働いていた一群の人々、花魁を取り巻く脇役に話題を転じていく。上客を惹きつけるための花魁たちの手練手管を語る一方、吉原の遊女がどこまで自己負担をしなければならなかったかの裏話も述べている。遊女の大凡の一日を描いて行く。
この第三夜では、「吉原の遊女たちは果てしなく過酷でブラックな労働条件で働いていた」という事実側面もちゃんと押さえている。江戸文化を育んだ華やかさとその陰の部分を述べることで、江戸時代の新吉原のスゴさをわかりやすく解説している。
上記以外でおもしろいと思った事項をご紹介しておこう。揚代の価格表(p54)、『吉原遊郭遊び双六』という盤上遊戯・双六の絵(p64-65)、恋川春町『吉原大通会』の挿絵(p67)、岡本楼内重岡を描いた浮世絵(p73)はその衣裳姿がスゴイ。コラムとして記載の「お金の話」(p74-75)「演出の話」(p76-77)、「時間の話」(p164-165)は江戸目線で吉原を知る背景知識として役に立つ。
江戸吉原への導入ガイドとしてはビジュアルで読みやすい概説書と言える。
余談として2点ふれておきたい。
第一夜で、苦界は公界と記述されている。様々な理由から身を売られ遊郭という場所、苦界で働く遊女達が本書の主人公である。ここで著者は公界という言葉を定義して使ってはいないと記憶する。末尾の参考文献には、網野善彦『増補 無縁・公界・楽』(平凡社ライブラリーが挙げられている。手許にあるこの本の関係箇所を読むと、「七-公界所と公界者」のところで、弁才天で有名な相模の江嶋が戦国時代「公界所」であったと記録する文書を史料にして説明している。そこで、「公界所」が世俗と縁の切れた場であったことを論証し、「公界」という語が、戦国時痔、「無縁」と同じ意味で用いられる場合が多かったことは間違いないと説明する。吉原を無縁の人々が形成していたと考えると、公界所と言える。
もう一つは、本書の参考文献一覧には載っていない本のことである。三谷一馬著『江戸吉原図聚』(中公文庫)である。
手許の本の奥書を見ると、1992年2月に出版され、翌3月に再版されている。1978年8月に立風書房から出版された同名本の文庫化である。これは吉原に関わる浮世絵や本の挿絵など絵を集め、テーマ毎に分類して、絵画の人物や場面等を主体にしそれにテーマの流れで参照文献からの抽出引用と説明を加えていくというスタイルにまとめられている。本書が著者の解説を主としてビジュアルな絵や史料を紹介していくのとは逆である。目次の大見出しを列挙する。「はじめに、吉原概説、登楼、廓内、妓楼、遊女の生活、年中行事、遊女の風俗、吉原風俗」という構成である。
本書『吉原はスゴイ』を概説書として読んでから、絵に語らせるこの『江戸吉原図聚』を読むと、読みやすさが加わりかつ相乗効果が産まれるように思う。
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