遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『御土居堀ものがたり』 中村武生  京都新聞出版センター

2019-07-18 11:30:13 | レビュー
 最近、ある講座を受講していて、講義の中で本書の紹介があった。その際、NHKの「ブラタモリ」に御土居が取り上げられたことにより、御土居巡りがブームになっているという話も聞いた。
 私は、近年史跡として現存する御土居跡を一通り探訪していたのだが、その時点ではこの本の存在を残念ながら知らなかった。そこで改めて、この秀吉の大改造事業に対する認識を深めたくて読んでみた次第である。史跡御土居跡を巡る際に、御土居の外側に堀が造られていたことは知ってはいたが、相対的に土塁の方に関心がいき、堀の方はそれほど深く意識していなかった。

  天正19年(1591)に天下統一を成し遂げた豊臣秀吉は平安京の大改造計画を実行した。その最たるものが、京都の周囲をほぼ完全に土を固めた城壁で封鎖するという大事業である。つまり土塁で囲い込んだ。「御土居」と称されるものである。実際は京都をぐるりと囲む御土居の外側に堀がセットとして造成された。西側では、紙屋川そのものを堀として利用するという箇所もあるが、土塁(土居)を築く一方で堀が同時に掘られたのだ。それ故、「御土居堀」というセットの概念で認識して考えることが重要だと著者は主唱する。本書はその観点から記されている。
 「御土居堀」というネーミングに、いわば頭をガツンという感じを受けた。御土居を御土居堀として再認識する機会になった。本書で得た知識と視点を踏まえて、再度御土居堀探訪にチャレンジしてみたいと思った。

 本書は二部構成で、第1部が「御土居堀ものがたり」、第2部が「御土居堀を歩く」である。第1部の見出しが本書のタイトルになっている。
 第1部は読みやすい。3ページでまとめられた読み物が一つの話となり、連続して繋がって行く形になっている。「むすびにかえて」を読んで理由がわかった。2001年~2002年に跨がり、毎週1回『京都新聞』の朝刊に「御土居堀ものがたり」として54回連載された記事がこの第1部のベースに成っていたのだ。
 ここでは、京都を囲んだ城壁と堀がどのようなもので、秀吉は京都をどのように改造したのかという基本的情報を押さえることから著者は始める。その御土居堀が江戸時代、明治・大正・昭和を経て、平成初期までにどのように変化してきたか、過去と現在を往復しながら語っていく。そこには史跡の維持保存と土地開発による史跡破壊との相剋の歴史が語られて行くことにもなる。文化遺産保護についての時代の認識の深浅が深く関わっている。勿論、著者は史跡保存の立場からこの御土居堀の状況の変遷と問題点、保存のための方策に言及していく。一般の御土居堀についての認識のなさ、史跡保存行政の脆弱な過去の対応、荒っぽい土地開発の事例、私有地となっている御土居堀の地権者の悩み、御土居堀が破壊されて行ったケースの具体例などを物語る。著者は読者に御土居堀への認識を喚起するとともに、その史跡保存の重要性を熱く語っている。

 第2部は、第1部の連載物をもとにして、本書を刊行するにあたり書き加えられたものである。実際に御土居堀跡を歩くという形で「九条通~八条通」を起点にして、時計回りで、御土居堀跡を歩く形でのガイドが綴られていく。京都市発行の都市計画基本図(縮尺2500分の1)を参考に、各地域の部分地図に御土居堀跡の推定位置を書き加えた推定図が掲載され、必要に応じて御土居堀に関わる古地図などが併載されている。第1部で御土居堀の歴史的変遷と現状を押さえ、第2部で現状の現地を見つつ、現存しないが地形等から御土居堀の遺構を推定する。史跡として現存する御土居堀、史跡指定されていないが現存する御土居堀の箇所では現状と本来の御土居堀との対比をふまえたガイドをする。そういう形で案内解説を綴っていく。この第2部は実際に御土居堀跡を歩く上で、有益なガイドブックとなる。

 本書は2005年10月に初版が発行された。その後の10数年の時代の経過の間に、史跡保存と土地開発の相剋は繰り返されているだろうし、史跡保存の点でも案内板や史跡表示面で改善されているところもある。読んでいて、案内板や表示の面、史跡保存状況などでここは少し変化しているなと感じた箇所がいくつかある。一方、実際に御土居跡を探訪した記憶からは本書に記載が無い箇所の案内板などで読みづらくなっているものも見ている。
 御土居堀の歴史の時間軸から言えば、本書が執筆された時点以降の期間は微々たる長さであり、近年の文化遺産認識は向上しているし、無茶な土地開発は相対的に難しくなっている。総合的にみると、御土居堀ガイドブックとしては第一線に位置づけ得るかなり詳細な内容の本だと思う。第2部は参考資料として読み応えがあった。
 特に推定図が役に立つ。個人的に御土居巡りをした時に入手した資料・情報での御土居跡地図には、一部区間を除き、ここまでの具体的にビジュアルな推定図はなかった。

 最後に、御土居堀の歴史的な基本事実を本書から要約して、ご紹介しておこう。詳細は本書をお読みいただきたい。
*秀吉の京都改造:居城「聚楽第」建設。武家町・公家町・寺社が集中する町づくり。
   碁盤目状の町割りに南北の通りを貫通させ、長方形の町割を誕生させた。
*御土居堀は「惣構」である。御土居は城壁に相当する。
*御土居堀の全長は約22.5km。天正19年(1592)の1月・翌閏1月の2ヵ月で築造。
 多く見積もっても4ヵ月でつくった。
*御土居は土塁。上部には竹が植樹された。
*土塁(御土居)の規模(実測例): 基底部約22m、高さ約5m
 堀の規模(実測例):最大幅約14m、高さ約4m
*土塁の体積は、堀の容積よりも大きい。つまり、土塁を築造の土を他所から搬入。
 土塁(御土居)の土盛は堀側と異なる方向から行ったという調査結果も出ている。
*豊臣期の御土居堀の出入口は十口(京の七口をあるていど含む)だったという。
 四条通は東への出入口はなかった。江戸時代に出入口が設けられた。
*江戸時代、御土居堀に角倉家がかなり関与。角倉与一は御土居堀支配に就任。
*江戸時代、鴨川に寬文新堤(石垣)築造と西側に新地開発・市街化の進展。
 それは、御土居堀の破壊に繋がる。
*江戸時代から御土居堀という公有地の私有地化が始まる。
*明治3年(1870)9月、御土居堀「悉皆開拓」令発布。申請方式採用。
*京都駅と鉄道敷設事業に伴う御土居堀の破壊と消滅。
*御土居堀の国史跡指定地は現在9カ所。史跡指定地後に大きく破壊された箇所もある。
*史跡指定地以外に、ある程度の高さを持った土塁遺構は少なくとも6カ所現存ずる。
*御土居堀の保存・活用の施策は今後の重要な課題。(地権者への対応を含む)

 本書を読み、文化遺産としての御土居堀についての重みを感じる。有名番組を発端とした現地探訪ブームを、単なる一過性の観光ブーム的なものに堕さしめないことが多分重要なことの一つだろう。歴史的文化遺産の保全と歴史を伝え、そこから学ぶスタンスが求められているのではないか。本書には「温故知新」という視点、まなざしが強いと感じる。

本書に関連してネット検索した事項を一覧にしておきたい。
史跡 御土居 :「京都市情報館」
御土居跡 pdfファイル  :「京都市」
聚楽第と御土居  都市史 :「フィールド・ミュージアム京都」
御土居跡  :「京都市埋蔵文化財研究所」
御土居の実像:目で見える巨大な「境界」 :「京都高低差崖会」
京都に今も残る御土居の痕跡まとめ  :「NAVERまとめ」
御土居 :ウィキペディア
続 秀吉が京都に残したもの 聚楽第の遺構とお土居 by 五所光一郎
    :「京に癒やされ」
京都七口  :「コトバンク」
「七口=七つの口」じゃない? 全国と京都をつなぐ「京の七口」
   :「Wa! 京都を発掘する地元メディア」
北野天満宮 ホームページ
廬山寺 ホームページ  
  御土居
  
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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その点、ご寛恕ください。)


 上記の読後印象記に、以前に御土居跡を私自身が巡ったことに触れています。
 その時の内容を整理したものを、もう一つの拙ブログに掲載しています。
 ご覧いただければうれしいです。

探訪 京都・御土居跡巡り -1 市五郎稲荷神社・北野中学校内の御土居、紙屋川
  7回のシリーズで御土居跡を巡った時の記録を整理したものです。


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