かなり以前に、『大阪学』というタイトルをおもしろく感じて、手に取り、文庫本のカバーで、大阪を髣髴とさせるイラストを見て、目次も見ないで大阪を諧謔気味に書いているのだろうとそのままやり過ごしていた。先日、大阪の知人が記した簡明な印象記を読み、関心を抱き直して読んでみた。その際、続編が出ていることを知り、併せて読んだ次第。
平成6年(1994)1月に経営書院より『大阪学』が刊行され、その続編として『続・大阪学』が11月に同書院から刊行されている。それらが、平成9年(1997)1月、同年12月に新潮文庫版として出版された。出版はかなり古いが、内容は地域文化論であり古さを感じない。「大坂、大阪」を理解し感じるための知的刺激に溢れる書である。知的好奇心が波紋を広げるはずである。以降、前者を「正」、後者を「続」と呼ぶ。
読後感の結論から言えば、大阪について真正面から、かつ様々な観点から、いたってまともに取り組まれたエッセイ風読み物である。テレビのバラエティ番組や報道番組の映像から受ける大阪のイメージ、おもしろさという表層的印象だけではなく、大阪をなるほど!と知り、目からウロコ・・・という部分が多々含まれていた。地域文化を理解するための多面的なアプローチがいいところである。
この本、実は1988年4月から帝塚山学院大学で始められた「大阪学」という講座の内容がネタになっていたのだ。れっきとした学問的アプローチがベースとなっている。「大阪に起きている現象をしっかりと捕らえる」そのために、学際的なアプローチ手法が使われ、かつ大阪を浮き彫りにするには、東西比較、すなわち東京との比較がわかりやすいし納得度も高まるということで、東西文化論的な展開になっている局面もあって、おもしろい。当時の女子大生のミニ・レポートの内容も、読み物として採り入れられている。歴史や史料を踏まえて、かつデータをベースに、実証主義的な分析手法で論理が展開されている。本書の語り口は、著者が新聞社での記者や編集委員の経験を経ていることもあってか、読みやすいものになっている。
「文庫のためのやや長い目のあとがき」に著者自身がお断りとして記していることをまず引用しておこう。
「私の考えている大阪とは、大阪市とか大阪府とかいう範囲よりずっと広い。普通に関西といわれている京阪神プラス奈良と思ってほしい。とくに京都、それに神戸はいくらかの違いがある。けれども、基本に大きな差異はない」(正編、p217)つまり、大きく捕らえれば関西文化論である。京都に生まれ育った目からみると、細部では当然ながら差異を感じるところがあるが、マクロでみると五十歩百歩的なところで、そうだなとうなづけるところが多い。関東、特に東京の持つイメージなどと対比すると、そんなもんやな・・・と感じる点が多い。
大阪を対象に多面的多角的に切り込んでいるので、本書のどの章に興味・関心を最も向け、どこに目からウロコのような思いを感じるかは、たぶん十人十色だろう。今までに「大阪」と接して、体験的に感じていたり、あるいは知識や情報があることから、想像通りと感じるところや、そんなもんやろ・・・とおもうところ、フゥ~ンと感じるところ、目からウロコ・・・と感じるところも相違するに違いない。
著者は「要するに、大阪人とは何か」をこの2冊で「大阪学」として述べた上で、大阪を解くキーが3つあると言う。「いらち 競争の社会」「なんぼ 損得の社会」「ほんま 本音の社会」である。この行動と思考を解く3つのキーはなるほどと納得できる。これが、様々な切り口から正・続の中で説明されている。
そして、損得・本音のレベルで「おまけ」がつくと、うれしいし、それを期待するのも大阪的発想だろう。私も「おまけ」は大好き! そこは著者も心得たもの。
正の「あとがき」でちゃんと、「おまけ」を付けてくれている。
それが大阪風[人間関係の秘訣7か条]である。まあ、これは本文説明から、大阪流人間関係のエッセンスをまとめたものと言い代えることができるかもしれない。わかりやすくまとめてくれているところが「おまけ」なのだ。その7か条を挙げておこう。
1. 人見知りせず、明るく大きな声で人から声をかける。
2. 身分や地位にこだわらず、おじけずえらばらず、同じ態度で接する。
3. 自分の欠陥や弱点や失敗談を平気で披露し、自らを卑下して相手の自尊心を高める。
4. 格好をつけず、建前や見栄をはさまない。
5. 人の話をよく聞き、喜怒哀楽を十分に表現する。迎合せずに、ときには突っ込む。
6. 何んにでも「はる」というインスタント敬語を付けておく。
7. 相手の考えに反対の場合は必ず「それは分かるけど」と応じ、あるいは「ちゃう、ちゃう」と軽い調子でいなす。相手の頼みを拒否するときは「考えときまっさ」と穏やかに断る。友好の雰囲気を壊さない。
この6番目の「はる」は日常の話し言葉の中で、何気なくしょっちゅう使っていることを改めて再認識した。著者の言う「インスタント敬語」だという意識すらなしに自然につかっている。「・・・へ行かはる?/・・・に行ってきはった?」「・・・言わはったわ」「もう食べはったん」「それ使わはったらええわ」「・・・見はる?/・・・・見はった?」などと。
最後に、私の個人的印象を述べておきたい。
*大阪の歴史的な説明に学ぶところ、目からウロコ・・・の説明が多々あった。
それは、主に正編の後半である。「第6章 古ベイエリア-大阪の位置」「第7章 中世の近代人-楠木正成」「第8章 都市の誕生-蓮如、信長、秀吉」「第9章 大阪人写実-西鶴と秋成」「第10章 実証と自由と-町人の学問」「第11章東京が何んや-近代文学の系譜」。そして、続編の「第3章 奇想天外の才覚-インスタント・ラーメン」「第10章 大坂、生々流転す」「第12章 目立ちたがりの商法-サトリーとグリコ」。
*吉本興業を明治45年(1912)に、吉本せいという女興行師が築き上げたとは知らなかった。:正編「第2章 お笑い」
*きつねうどんが大阪生まれとは知らなかった。きつねうどんとたぬきの七化け。この蘊蓄が興味深い。 正編:「第3章 きつねうどん」
同様に、続編の「第2章 庶民グルメの味 お好み焼き」も楽しい読み物になっている。
*大阪弁として紹介されている言葉については、私も使っている言葉があるが、まったく縁のない言葉もある。正編「第5章 好っきやねん」にある「けったいな」「ややこしい」「はる」は使っている。しかし、「すもんとり」「ゆうれん」は使わない。「考えときまっさ」は「考えときますわ」という形で普段使っているように思う。
続編の「第4章 ちゃうちゃう 大阪弁は、いま」では、生きた大阪弁としてよく使うものが調査データとしてランキングで説明されている。1994年の調査データによる分析である。当時のダントツは「ちゃうちゃう」だったようである。
さて、それから20年経った今、生きた大阪弁は変化しているのだろうか?
*なぜ、宝塚歌劇ができたのか? 続編の「第5章 清く正しく美しく 宝塚歌劇」も興味深い章である。小林一三の経営発想は学ぶところが多い。宝塚歌劇団の生徒について、「記念写真を撮ったりすると自然と年次順にきちっと並びますよ」(荒木義男氏)というやりとりが載っている。この伝統は今もそうなのだろうか?
*思わずニヤリとしたくなる「おもろい」と感じる記述を含む章がある。これが大阪!というところか。正編:「第1章 不法駐車-街へ出よう」「第2章 お笑い-吉本興業」、続編:「第1章 絶唱、六甲おろし 阪神タイガース」「第5章 ピカピカ、イキイキ ファッション」「第7章 みんながタレント テレビ番組」「第8章 元気に本音で語る コマーシャル」
*著者は大阪の見せる2つの顔として、文学では西鶴と近松の作品のコントラストを挙げている。それが、大阪の「キタとミナミの土地が持っているイメージにふとどこか通じている」という。今から20年前のキタとミナミの対比である。この2つの土地は、同時並行で再開発が進行して大きく変貌を遂げてきた。正編「第12章 キタとミナミ-二つの大阪」は、この章の説明が「現在」も同様にそのまま通用するのか・・・20年くらいでは文化風土は変わらない? この点、興味深いところでもある。
また、続編「第9章 商都のイベント 天神祭」を読み、この祭の歴史的背景を初めて理解できた。その一方、著者は「総費用は7000万円から1億円だが、その経済効果は60億円に上るだろうと市民は胸算用をする」と記す。本書刊行から20年経った現在、天神祭の経済効果は費用対効果でみて、どうなっているのだろうか?
*続編「第11章 昭和、経営の神様 松下商法」は、一時期、松下幸之助の経営について書かれたものを読んでいたので、当然ながら内容が重なり既知のことがかなりあった。それはさておき、著者は、昭和44年(1969)に松下電器の発展の要因が語られ9点が挙げられていたと記している。
「仕事が時代に合った、人材に恵まれた、理想を掲げた、企業を公のものと考えた、ガラス張りの経営をした、全員が経営を心がけた、社内に派閥をつくらなかった、方針が明確であった、自分が凡人であった」
今、パナソニックは少し不調のようである。この9つの要因を踏襲するなら、何が真の問題要因なのだろうか?
著者は、「幸之助が真に偉大だったのは、大いなる夢と理想と事業への使命感を持ち続けたことである。しかも、その夢と理想は、実現不可能な空言ではなかった」と記す。現時点のパナソニックはどうなのだろうか・・・・。20年前に記された本は、「温故知新」として、今を考える材料にもなる。
『続 大阪学』の方も、文庫のためのオマケとして、「大阪人の大阪意識」というオマケが付いている。これも調査データを分析した実証的な説明文である。こちらのオマケはやはり、本文を読んだ上での楽しみに、触れないでおこう。同じ調査分析が著者により現時点でなされたら、同じ結論になるだろうか。20年程度で「大阪意識」が変わることはまあないだろう・・・とは思うけれど。
さて、この大阪学に対抗する「東京学」ってあるのだろうか? 寡聞にして知らない。
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本作品と直接間接に関連する事項をいくつか検索してみた。一覧にしておきたい。
5.1.大阪弁における方言イメージとキャラクターの性格の関係
:「マンガにあらわれる方言2」(日本大学文理学部国文学科)
都道府県間の親密度 :「社会実情データ図録」
関西弁最高、永遠の宿敵は東京都? - 大阪府出身者に地元事情を聞いてみた
アリウープ [2013/09/19] :「マイナビニュース」
関西人論の研究 ~個性の認識とメディアの影響~ ゼミ論文 :「大阪経済大学」
東京・静岡・大阪・兵庫の防災意識調査について 和田隆昌氏 :「AllAbout」
恵方巻「食べる」派が関西でさらに増加中!? 一方関東は..:「タウンネット大阪府」
『お好み焼き・たこ焼きに関する意識と実態調査』 日清フーズ株式会社
沈む大阪、消える若者 (百葉箱番外編) 日本経済研究センター
話者分類に基づく地域類型化の試み 田中ゆかり・前田忠彦氏 国立国語研究所論集
大阪 どんな特長? :「とことん県民性」
東京と大阪の生活意識地域ギャップを見る :「ハイライフ研究所」
ハイライフアンケート調査結果を読む 最終回(第六回)
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平成6年(1994)1月に経営書院より『大阪学』が刊行され、その続編として『続・大阪学』が11月に同書院から刊行されている。それらが、平成9年(1997)1月、同年12月に新潮文庫版として出版された。出版はかなり古いが、内容は地域文化論であり古さを感じない。「大坂、大阪」を理解し感じるための知的刺激に溢れる書である。知的好奇心が波紋を広げるはずである。以降、前者を「正」、後者を「続」と呼ぶ。
読後感の結論から言えば、大阪について真正面から、かつ様々な観点から、いたってまともに取り組まれたエッセイ風読み物である。テレビのバラエティ番組や報道番組の映像から受ける大阪のイメージ、おもしろさという表層的印象だけではなく、大阪をなるほど!と知り、目からウロコ・・・という部分が多々含まれていた。地域文化を理解するための多面的なアプローチがいいところである。
この本、実は1988年4月から帝塚山学院大学で始められた「大阪学」という講座の内容がネタになっていたのだ。れっきとした学問的アプローチがベースとなっている。「大阪に起きている現象をしっかりと捕らえる」そのために、学際的なアプローチ手法が使われ、かつ大阪を浮き彫りにするには、東西比較、すなわち東京との比較がわかりやすいし納得度も高まるということで、東西文化論的な展開になっている局面もあって、おもしろい。当時の女子大生のミニ・レポートの内容も、読み物として採り入れられている。歴史や史料を踏まえて、かつデータをベースに、実証主義的な分析手法で論理が展開されている。本書の語り口は、著者が新聞社での記者や編集委員の経験を経ていることもあってか、読みやすいものになっている。
「文庫のためのやや長い目のあとがき」に著者自身がお断りとして記していることをまず引用しておこう。
「私の考えている大阪とは、大阪市とか大阪府とかいう範囲よりずっと広い。普通に関西といわれている京阪神プラス奈良と思ってほしい。とくに京都、それに神戸はいくらかの違いがある。けれども、基本に大きな差異はない」(正編、p217)つまり、大きく捕らえれば関西文化論である。京都に生まれ育った目からみると、細部では当然ながら差異を感じるところがあるが、マクロでみると五十歩百歩的なところで、そうだなとうなづけるところが多い。関東、特に東京の持つイメージなどと対比すると、そんなもんやな・・・と感じる点が多い。
大阪を対象に多面的多角的に切り込んでいるので、本書のどの章に興味・関心を最も向け、どこに目からウロコのような思いを感じるかは、たぶん十人十色だろう。今までに「大阪」と接して、体験的に感じていたり、あるいは知識や情報があることから、想像通りと感じるところや、そんなもんやろ・・・とおもうところ、フゥ~ンと感じるところ、目からウロコ・・・と感じるところも相違するに違いない。
著者は「要するに、大阪人とは何か」をこの2冊で「大阪学」として述べた上で、大阪を解くキーが3つあると言う。「いらち 競争の社会」「なんぼ 損得の社会」「ほんま 本音の社会」である。この行動と思考を解く3つのキーはなるほどと納得できる。これが、様々な切り口から正・続の中で説明されている。
そして、損得・本音のレベルで「おまけ」がつくと、うれしいし、それを期待するのも大阪的発想だろう。私も「おまけ」は大好き! そこは著者も心得たもの。
正の「あとがき」でちゃんと、「おまけ」を付けてくれている。
それが大阪風[人間関係の秘訣7か条]である。まあ、これは本文説明から、大阪流人間関係のエッセンスをまとめたものと言い代えることができるかもしれない。わかりやすくまとめてくれているところが「おまけ」なのだ。その7か条を挙げておこう。
1. 人見知りせず、明るく大きな声で人から声をかける。
2. 身分や地位にこだわらず、おじけずえらばらず、同じ態度で接する。
3. 自分の欠陥や弱点や失敗談を平気で披露し、自らを卑下して相手の自尊心を高める。
4. 格好をつけず、建前や見栄をはさまない。
5. 人の話をよく聞き、喜怒哀楽を十分に表現する。迎合せずに、ときには突っ込む。
6. 何んにでも「はる」というインスタント敬語を付けておく。
7. 相手の考えに反対の場合は必ず「それは分かるけど」と応じ、あるいは「ちゃう、ちゃう」と軽い調子でいなす。相手の頼みを拒否するときは「考えときまっさ」と穏やかに断る。友好の雰囲気を壊さない。
この6番目の「はる」は日常の話し言葉の中で、何気なくしょっちゅう使っていることを改めて再認識した。著者の言う「インスタント敬語」だという意識すらなしに自然につかっている。「・・・へ行かはる?/・・・に行ってきはった?」「・・・言わはったわ」「もう食べはったん」「それ使わはったらええわ」「・・・見はる?/・・・・見はった?」などと。
最後に、私の個人的印象を述べておきたい。
*大阪の歴史的な説明に学ぶところ、目からウロコ・・・の説明が多々あった。
それは、主に正編の後半である。「第6章 古ベイエリア-大阪の位置」「第7章 中世の近代人-楠木正成」「第8章 都市の誕生-蓮如、信長、秀吉」「第9章 大阪人写実-西鶴と秋成」「第10章 実証と自由と-町人の学問」「第11章東京が何んや-近代文学の系譜」。そして、続編の「第3章 奇想天外の才覚-インスタント・ラーメン」「第10章 大坂、生々流転す」「第12章 目立ちたがりの商法-サトリーとグリコ」。
*吉本興業を明治45年(1912)に、吉本せいという女興行師が築き上げたとは知らなかった。:正編「第2章 お笑い」
*きつねうどんが大阪生まれとは知らなかった。きつねうどんとたぬきの七化け。この蘊蓄が興味深い。 正編:「第3章 きつねうどん」
同様に、続編の「第2章 庶民グルメの味 お好み焼き」も楽しい読み物になっている。
*大阪弁として紹介されている言葉については、私も使っている言葉があるが、まったく縁のない言葉もある。正編「第5章 好っきやねん」にある「けったいな」「ややこしい」「はる」は使っている。しかし、「すもんとり」「ゆうれん」は使わない。「考えときまっさ」は「考えときますわ」という形で普段使っているように思う。
続編の「第4章 ちゃうちゃう 大阪弁は、いま」では、生きた大阪弁としてよく使うものが調査データとしてランキングで説明されている。1994年の調査データによる分析である。当時のダントツは「ちゃうちゃう」だったようである。
さて、それから20年経った今、生きた大阪弁は変化しているのだろうか?
*なぜ、宝塚歌劇ができたのか? 続編の「第5章 清く正しく美しく 宝塚歌劇」も興味深い章である。小林一三の経営発想は学ぶところが多い。宝塚歌劇団の生徒について、「記念写真を撮ったりすると自然と年次順にきちっと並びますよ」(荒木義男氏)というやりとりが載っている。この伝統は今もそうなのだろうか?
*思わずニヤリとしたくなる「おもろい」と感じる記述を含む章がある。これが大阪!というところか。正編:「第1章 不法駐車-街へ出よう」「第2章 お笑い-吉本興業」、続編:「第1章 絶唱、六甲おろし 阪神タイガース」「第5章 ピカピカ、イキイキ ファッション」「第7章 みんながタレント テレビ番組」「第8章 元気に本音で語る コマーシャル」
*著者は大阪の見せる2つの顔として、文学では西鶴と近松の作品のコントラストを挙げている。それが、大阪の「キタとミナミの土地が持っているイメージにふとどこか通じている」という。今から20年前のキタとミナミの対比である。この2つの土地は、同時並行で再開発が進行して大きく変貌を遂げてきた。正編「第12章 キタとミナミ-二つの大阪」は、この章の説明が「現在」も同様にそのまま通用するのか・・・20年くらいでは文化風土は変わらない? この点、興味深いところでもある。
また、続編「第9章 商都のイベント 天神祭」を読み、この祭の歴史的背景を初めて理解できた。その一方、著者は「総費用は7000万円から1億円だが、その経済効果は60億円に上るだろうと市民は胸算用をする」と記す。本書刊行から20年経った現在、天神祭の経済効果は費用対効果でみて、どうなっているのだろうか?
*続編「第11章 昭和、経営の神様 松下商法」は、一時期、松下幸之助の経営について書かれたものを読んでいたので、当然ながら内容が重なり既知のことがかなりあった。それはさておき、著者は、昭和44年(1969)に松下電器の発展の要因が語られ9点が挙げられていたと記している。
「仕事が時代に合った、人材に恵まれた、理想を掲げた、企業を公のものと考えた、ガラス張りの経営をした、全員が経営を心がけた、社内に派閥をつくらなかった、方針が明確であった、自分が凡人であった」
今、パナソニックは少し不調のようである。この9つの要因を踏襲するなら、何が真の問題要因なのだろうか?
著者は、「幸之助が真に偉大だったのは、大いなる夢と理想と事業への使命感を持ち続けたことである。しかも、その夢と理想は、実現不可能な空言ではなかった」と記す。現時点のパナソニックはどうなのだろうか・・・・。20年前に記された本は、「温故知新」として、今を考える材料にもなる。
『続 大阪学』の方も、文庫のためのオマケとして、「大阪人の大阪意識」というオマケが付いている。これも調査データを分析した実証的な説明文である。こちらのオマケはやはり、本文を読んだ上での楽しみに、触れないでおこう。同じ調査分析が著者により現時点でなされたら、同じ結論になるだろうか。20年程度で「大阪意識」が変わることはまあないだろう・・・とは思うけれど。
さて、この大阪学に対抗する「東京学」ってあるのだろうか? 寡聞にして知らない。
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5.1.大阪弁における方言イメージとキャラクターの性格の関係
:「マンガにあらわれる方言2」(日本大学文理学部国文学科)
都道府県間の親密度 :「社会実情データ図録」
関西弁最高、永遠の宿敵は東京都? - 大阪府出身者に地元事情を聞いてみた
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関西人論の研究 ~個性の認識とメディアの影響~ ゼミ論文 :「大阪経済大学」
東京・静岡・大阪・兵庫の防災意識調査について 和田隆昌氏 :「AllAbout」
恵方巻「食べる」派が関西でさらに増加中!? 一方関東は..:「タウンネット大阪府」
『お好み焼き・たこ焼きに関する意識と実態調査』 日清フーズ株式会社
沈む大阪、消える若者 (百葉箱番外編) 日本経済研究センター
話者分類に基づく地域類型化の試み 田中ゆかり・前田忠彦氏 国立国語研究所論集
大阪 どんな特長? :「とことん県民性」
東京と大阪の生活意識地域ギャップを見る :「ハイライフ研究所」
ハイライフアンケート調査結果を読む 最終回(第六回)
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