遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『回帰 警視庁強行犯係・樋口顕』 今野 敏  幻冬舎

2018-03-21 12:36:55 | レビュー
 四谷にある大学の門の近くで自動車の爆発事件が起こる。大学の警備員と通行人の二人が爆発に巻き込まれ死亡する。10人弱が重軽傷を負う。その大学は樋口の出身大学でカトリック系の大学だった。樋口たちは現場に急行する。小椋は街灯の支柱に設置された防犯カメラに気づき、その記録を区に問い合わせる手配をする。処理班の検証では爆発の原因が爆弾と判断された。その後、爆発現場に公安の捜査員が現れると、刑事たちは現場から退去させられる。
 
 麹町署に爆弾テロ事件として、指揮本部が設置される。その後の分析で、爆発はコンポジション4(C4)を使った時限装置による爆発と判明した。刑事部と公安部が合同で捜査にあたることになる。田端捜査一課長が実務的には指揮本部の長の役割を担う。刑事部は天童管理官、公安部は国際テロ第一の梅田管理官がこの事件を担当する。
 公安部からは指揮本部に、黒スーツの男たち6人が姿を見せる。外事第三課の柳瀬と佐藤がその中核である。柳瀬はゼロ帰りのエースだった。佐藤は刑事たちにはカチンとくる話し方をし、無愛想で周りに敵を作りやすいタイプだった。天童管理官ですら言葉を荒げてしまう。刑事部と公安部は捜査のしかたが全く異なる。刑事部に対し公安部はエリート意識もあり、刑事部の捜査を軽んじているところもある。指揮本部が発足した時点から、刑事部と公安部の確執がそれとなく始まって行く。
 一方で、梅田は最初の捜査会議に遅れて指揮本部にやって来る。そして、開口一番、天童に対し、因幡芳治が警視庁を辞めたあと、海外に出ていて、経緯は不明だが国際テロ組織と関わりがあったという情報を入手していること、そして最近因幡が日本に入国したという情報もあると告げる。梅田は、今回の自動車爆発というのが爆弾テロで因幡が絡んでいるのではないかと匂わせる。そして、梅田は天童と相談しながら捜査をやろうと持ちかける。

 この小説の楽しみの一つは、刑事部と公安部がその後の捜査の進展で、捜査方法の違いも含めた両者の確執がどうなるのか、それが捜査活動の足を引っ張ることになるのか、どういう関係で捜査が展開していくのか・・・・・そういうストーリー展開だろう。
 もう一つは、梅田管理官が口にした国際テロ組織と関わりをもつ因幡が日本に入国しているという事実である。因幡は天童の下にいた刑事で、樋口と同様に天童の弟子になる。樋口の二年後輩だが、同じ部署で樋口と一緒に働いたことはなく、面識がある程度だった。因幡は担当していた事件の措置に憤りを感じ、10年ほど前に警察を退職していたのだ。その因幡が、この爆弾テロ事件が発生する3日前の4月2日に、天童にテロを防ぎたいので協力してほしいとだけ言う形で電話をかけて来ていたのだ。天童は因幡から具体的な話を聞く前に、この爆弾テロ事件に関わってしまったことになる。つまり、因幡がこのテロ事件と無関係とは言えないだろうが、どういう関係かすら把握できないのである。一方、梅田は何らかの因幡に関する情報を入手している。それがどこまでの情報かも不明。
 因幡の元上司であり、因幡から電話でコンタクトを受けた天童は、指揮本部の管理官として、二律背反的立場に投げ込まれる。樋口は、「因幡を覚えているか?」という天童の問いかけに始まり、因幡から電話があったと天童から聞かされたことで、天童の微妙な立場と因幡に関係してしまうのである。実際のところ、因幡が何者なのか? この爆弾テロ事件とどういう風に関わっていくのか? 天童はどうするのか? 樋口はどういう立場で関わって行くことになるのか? 因幡に関わる側面が、このストーリー展開を興味深くしていく。捜査活動の進捗と混迷の中で、因幡の行動がどのように絡まっていくかが、このストーリーの読ませどころの一つになる。

 現場の聞き込み調査から、現場付近で中東系の若い男性を目撃したという情報が入る。公安は既に何人かのリストを持っていた。公安独自の資料だという。テロの可能性を前提として作成されている資料のようである。早くも引っぱってくることを考えている。刑事の立場では、証拠・理由もなく身柄拘束するわけにはいかない。まず証拠を押さえるというアプローチになる。早くも捜査の進め方の違いが露呈する。
 そして、ムハンマド・シファーズ・サイード、26歳の旅行者で、来日後不法就労している男が身柄を拘束されてくる。公安の柳瀬が取調べ、樋口とSITの淺井が立ち会うことから始まって行く。目撃者の学生は、シファーズに間違いないと証言する。防犯カメラのビデオ記録が解析された結果、この爆弾テロ事件に関わりを持っていると推定できる人物像が写っていた。公安が事前に入手していたシファーズの写真をSSBCに送ってあったので、それとの照合がされた結果一致したという。シファーズは防犯カメラの映像を取調室で見ても、それは自分ではないと否定する。そこで、本人の承諾を得て鑑識により改めてシファーズの写真を撮ってもらい、SSBCに送り再鑑定を依頼することになる。
 だが、殺人犯捜査第二係長の戸倉が、会議より初動捜査を優先させた結果、別の目撃者を見つけたという。目撃者は牧田詠子、35歳。現場近くの大学出身で、半年ほど前から大学図書館で働いている女性である。彼女はマジックミラー越しにシファーズを眺めて、目撃したのはシファーズではないと否定する。防犯カメラの静止画像を樋口が見せると、目撃したのはその画像に写る男だと証言し、その画像の男はシファーズではないという。
 一旦、振り出しに戻ることになる。シファーズは釈放され、監視をつけることになる。その後、別にバングラデッシュ人が身柄を拘束される。その男はシファーズに似ていた。一方で、目撃者の牧田詠子の行方が分からなくなる。姿を隠したのだ。なぜか?
 ビデオ記録の分析精査が引きつづき行われるのだが、その記録から意外な事実が発見されることになる。
 シファーズの釈放と監視。新たに拘束されたバングラデッシュ人への取り調べ。牧田詠子の失踪の追跡。因幡の足取りと事件関与の可能性などが、刑事部と公安部の確執の中で、捜査を混迷させていく。
 そして、天童に因幡からの電話が入る。このフィクションは、ストーリーとしておもしろい展開となっていく。

 このストーリーは、日本における爆弾テロ事件を想定したものである。そういう意味で現実味のある想定として興味深く読める。警察という組織機構の下にある刑事部と公安部が合同で捜査活動をするという想定は、今後発生しうる可能性は高いだろう。そういう意味では、刑事部と公安部の合同捜査で起こりうる確執についての、一つの捜査プロセスのシミュレーション・ストーリーといえるかもしれない。現実に、捜査方針、捜査手法が異なる刑事部と公安部は、実際のところ「テロ」対策をどう進めているのだろうか? そちらの方にも関心の波紋が広がる。

 本書のタイトルである「回帰」は、このストーリーでのキーパーソンとなる因幡の思いと行動に関係している。その含意はストーリーを読んで感じていただきたい。

 このストーリーにサブストーリーが織り込まれていく。それが爆弾テロ事件という幸いなことに我国では未経験のフィクションの捜査プロセスの展開故に、フィクションにしても現実味が薄く、リアル感が減殺されている局面がある点は否めない。それを現実感の側に引き寄せるのが樋口の家庭問題を組み入れていることである。樋口家の一人娘照美は今は大学生になっている。その娘が母親に海外旅行でバックパッカーをしたと言い出したといという。その計画を実行するならば、ビザの取得のしかたなどもあり、決断を早めにする必要があるという。母親として樋口に相談しようと思っていた矢先に、この爆弾テロ事件が起こったために、取りあえず電話を樋口にしたというのである。樋口は危険じゃないかと思い、止めさせたいが、海外旅行の体験の良い面もあるので、己の過去を振り返り、思案してしまう。家庭内の問題だが、指揮本部事案に関わっているなかで、こちらもズルズルと先延ばしできる問題でもない。樋口がこの問題にどう対処するか? ちょっと、興味本位で楽しめるサブストーリーである。

 このシリーズにもう一つの特徴がある。それは樋口が己の言動の裏側の思いを自己評価している状況を描き込んでいることである。それに対して、同僚・上司を含めた周囲の人々は樋口の言動について、樋口の自己評価とは対極的なプラスの反応で評価し、受け止めるという状況が要所要所で点描されていく。このギャップが樋口の人間味を際立たせていき、一層この主人公に親しみを感じさせるのである。私は、このギャップの記述とその展開を読むことも、楽しみにしている。今回も樋口の人間味を楽しませてもらった。

 おもしろい設定と構想のストーリーであると思う。日本国内でのテロ事件の発生、ありえないことではないという時代に勅免しているのではないか。

 ご一読、ありがとうございます。

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本書からの関心の波紋としてネット検索したものを一覧にしておきたい。
C-4(爆薬)  :ウィキペディア
C-4 (explosive) From Wikipedia, the free encyclopedia
400g of C4 Plastic Explosive  :YouTube
100 kilos of C4 Check out the shock wave!  :YouTube
C4 Explosive Explained   :「Military.com」

テロ対策特別措置法 :「内閣官房」
テロ対策特措法の概要  :「首相官邸」
警備警察50年 焦点 警察庁第269号 目次  :「警察庁」
  国際テロ対策
  サイバーテロ対策
我が国の国際テロ対策  :「外務省」
「国内の緊急テロ対策関係」ホームページ :「厚生労働省」
鉄道のテロ対策  :「国土交通省」
ソフトターゲットにおけるテロ対策のベストプラクティス  :「首相官邸」
中小企業におけるテロ対策マニュアル pdfファイル  :「警視庁」

論点 日本のテロ対策  2016年1月8日 東京朝刊  :「毎日新聞」
テロ対策特別措置法 トピックス :「朝日新聞DIGITAL」
日本のテロ対策は英国流・フランス流のどちらにすべきか :「DIAMOND online」
日本の治安組織はテロを防げるのか? ~警察庁・外事情報部長「見えない敵との戦い方」 
         :「現代ビジネス」
海外旅行でテロに遭遇したら?命を守る3つの方法を、イギリスのテロ対策警察が教えてくれた         :「HUFFPOST」
テロ対策か人権尊重か~揺れるフランス 2017年11月17日(金) :「NHK」
テロリズム対策と日本法の諸変動  山本 一 氏  論文 pdfファイル
共謀罪は「テロ対策」に騙されるな! 国家権力の暴走を監視せよ :「iRONNA」
共謀罪(テロ等準備罪)法案が通常国会に提出される予定なので問題点を挙げていく。
      :「45 For Trash」
『共謀罪』でテロが防げないこれだけの理由  :「ホウドウキョク」
日弁連は共謀罪法の廃止を求めます  :「日本弁護士連合会」

「共謀罪」法が施行 2017年7月11日 朝刊 :「東京新聞」
組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律等の一部を改正する法律案
      :「法務省」
   法律


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このブログを書き始めた以降に、徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『変幻』  講談社
『アンカー』  集英社
『継続捜査ゼミ』  講談社
『サーベル警視庁』  角川春樹事務所
『去就 隠蔽捜査6』  新潮社
『マル暴総監』 実業之日本社
『臥龍 横浜みなとみらい署暴対係』 徳間書店
『真贋』 双葉社
『防諜捜査』  文藝春秋
『海に消えた神々』  双葉文庫
『潮流 東京湾臨海署安積班』 角川春樹事務所
『豹変』 角川書店
『憑物 [祓師・鬼龍光一]』  中公文庫
『陰陽 [祓師・鬼龍光一]』  中公文庫
『鬼龍』  中公文庫
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