遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『嵯峨野花譜』  葉室 麟   文藝春秋

2017-12-02 11:07:15 | レビュー
 文政12年(1830)に華道未生流二代目の不濁斎広甫は嵯峨野にある大覚寺の花務職に任じられた。大覚寺では広甫を花務に任じて華道を興隆させようとしたことによるそうである。それは「嵯峨上皇が大沢池の菊之島に生えていた菊花を取り、瓶にさした故事に由来するものだった」(p11)という。後に、嵯峨御流と称される華道の流派がここに栄え現在に至る。ただし、「いけばな嵯峨御流」のサイトにある「3分間でわかるいけばな嵯峨御流」のページには不濁斎広甫の名前は出ていない。あくまで花務職という職務での貢献者という位置づけなのだろう。
 この広甫が、この年の夏に大覚寺にひとりの少年連れてきて得度させた。少年は九州肥前の武士の子だったらしいが、誰にもその素性は知らされることがなかった。得度した少年は胤舜という法号で呼ばれるようになる。
 
 この小説は師の広甫から胤舜が「そなたは、今少し、ひとの心を見る修行をいたさねばならぬようだ。これからしばらく、わしの命じるところにて花を活けよ」という指示を受ける。師の命じたところに赴いて、胤舜が花を活ける修行をするというテーマを踏まえた物語である。テーマを踏まえたと書いたのは、読後印象として、この小説の構想とストーリー展開が以下のような特徴を持つと考えるからである。

1. この小説は10のセクションから構成され、胤舜の活花修業ストーリーとなっている。それぞれのセクションは章の表記はなく、題名が付けられているだけである。胤舜の華道修行として、一話完結型の短編の累積である。書名に「嵯峨野花譜」とあるが。嵯峨野は大覚寺の所在地である。花譜は各セクションが短編一話の中で毎回異なる花を活けるという活花修行となっている。
 「アンソロジー」という言葉には「花の収集、の意」があるという。詞華集などとも言われるが、この小説は胤舜が活ける花とその背景を描くと言う意味で、花譜であり、一種のアンソロジーといえる。各所に印象深い詞章を見出すことができる。

2. 一話完結型であるが、その短編の相互の連関はストーリーとしての時間軸が一貫している。師に命じられて、各所に胤舜が花を活けにでかけるのだが、そのプロセスの展開を通じて、胤舜の出生の謎が明らかになっていくという胤舜出生譚となっている。場と目的に最適の花を活けるというための背景となる状況が、胤舜の出生の謎を徐々に明らかにする形になる。

3. 歴史上の実在人物とその事績が描き出されながら、その間に胤舜の修行と有り様が織り込まれていく。作品化の背景に発想のトリガーになるモデルが存在するのかもしれないが、胤舜という小年僧は著者のフィクションなのだろうと想像する。一方で、それが実在人物だとしたら、おもしろいとも感じる。果たしてこの虚実皮膜はどうなっているのだろうか。
  このストーリーに出てくる歴史上の実在人物を私がネット情報その他から確認できた範囲で列挙してみる。実在人物の空隙が胤舜を登場させる形で、活けられた花の図柄が鮮やかに織上げられていくストーリーが生まれたと言える。
  不濁斎広甫、清原夏野、待賢門院璋子、水野忠邦、千利休、池坊専好、姉小路局、
  二本松義廉、西行、勢観房源智、蓮月尼、仁孝天皇、光格天皇、松平定信など。

4. 胤舜は水野忠邦が肥前唐津藩の藩主時代に奥女中に生ませた隠し子である。水野忠邦は、地方の一藩主から江戸幕府の幕閣に入り、政に力量を発揮するという目的で出世街道を突っ走る。その水野忠邦の生き様と政争の姿が、胤舜と母・荻尾を対比する形で描き込まれていく。この作品もまた、九州に根源を持つ題材から着想し、構想された京都バージョンのストーリーと言えるかもしれない。

5. 京都を舞台とするという構想からか、胤舜の活花修行に絡めて、池坊の華道や宮中立花会の復活、当時の天皇家と江戸幕府の関係、公家の生活状況などが織り込まれていて興味深い。

 それでは各セクションの一話完結型ストーリーのタイトルとそのストーリーで胤舜が活けた花、ストーリーのテーマ、印象深い詞章を一部ご紹介しよう。

<忘れ花>   椿の花。 松の枝と二輪の白椿
 法金剛院に出向き、参拝する女人の心を安んじるために花を活けよの指示に従う。
 女人の願いは、昔を忘れる花を活けていただきたいという課題だった。

 *ひとは忘れようとすればするほど、思い出してしまうものではないかと思います。
  それよりもただひとつのよき思い出を胸に抱いているほうが、思い出さずにすむのではないでしょうか。忘れるとはそのようなことではないか、とわたしは思います。 p34

<利休の椿>  利休の椿(塵穴の椿)
 兄弟子立甫と胤舜は大徳寺での茶会に臨席する。茶会後に京の呉服商一文字屋徳兵衛から、彼の女房の願いとして、女房志津の弟が18歳で亡くなった一周忌のための身内での茶会の花を活けることを頼まれる。志津は言う。「わたしの心の裡にある弟のような花を活けてほしいんどす」と。

 *花の心は花に訊け、と。    p53
 *ひとが引き出してこそ花の力は顕れるのだ。  p70
 *生きることに、たんと苦しめ。苦しんだことが心の滋養となって、心の花が咲く。
  自らの心の花を咲かせずして、ひとの心を打つ花は活けられぬ。  p71

<花くらべ>   山桜、しだれ桜
 師から公家の橋本様の姫様姉妹との花くらべをするように命じられる。姉は大奥に仕える伊与子様(のちの姉小路局)、妹は理子様(のちの花野井)。妹は近く御三家の一つ水戸家に上がることになるという。伊与子が花くらべに事寄せて、胤舜に対面したのには、隠された意図があった。

 *花は心だと存じます。おのれの思いを吹き込むことによって、野にあった花が活花となるのでございます。  p95
 *あなたの花が美しいのは心が美しいからです。それは誰にも変えられないものです。たとえ水野様が天下の政を司るようになっても、あなたの活ける花の美しさには及ばないでしょう。  p106
 *美しき花を枯らさぬ湧き水のようでありたいのです。  p106

<闇の花>  山梔(くちなし)
 胤舜は、母・萩尾のことで伝えたい事有りという文を受けとる。不審に思う広甫は兄弟子の楼甫の申し出に頷き、彼を供にさせる。だが、指定された嵐山の茶店で、謀られて胤舜は拉致されてしまう。那美と名のる女から、胤舜の母のことを伝える前に、暗闇の中で、暗闇に咲く花を活けてもらいたいと言われる。暗闇に落ちた者・唐津藩家老二本松義廉への手向けの花を活けよと言う。

 *闇の中でも花は咲くのだと信じることができました。  p136
 *わたしはひとの心といのちを大切にしていくばかりです。 p137

<花筐(はながたみ) > 桔梗、萩、雁金草
大覚寺の広甫の許に老武士が現れて、臨終が旦夕に迫っている方のために、胤舜を指名して死に往く人を慰める花を活けてほしいと依頼する。広甫は一旦拒絶するが、楼甫から伝え聞いた胤舜はそれを受け入れたいと願い出る。老武士にとって、かつての主である女人は既に80歳の媼だという。それは胤舜にとり大きな試練となる。媼との対面は意外な展開となる。花筐は能の題名だという。このストーリーでのひとつの山場がこの短編にある。

 *活花はひとが手をかけることによって思いを添えて美しさを益し、ひとの心を慰めるものかと存じます。  p150
 *花を切っているのは、わたしもあなたも同じことですよ。それとも、あなたは美しく見える花は悲鳴をあげないとお思いですか。  p153
 *ひとは無惨に散らされるばかりかもしれぬ。しかし、それにたじろがず、迷わず生き抜くことにひとの花があるのです。  p167
 *ひとはこの世を去ってからも、朝の光となっていとしきひとを見つめるものぞ。p167
<西行桜>   蕾桜
 2月に、胤舜は師から「西行法師の桜を活けよ」という課題を与えられる。胤舜は源助を伴い勝持寺に西行の心を実に出かける。そして、ある塔頭前で、急な腹痛に苦しむ尼僧を見つける。その尼僧は知恩院の真葛庵に居るという。その尼僧は蓮月と名のった。二人は大覚寺に蓮月尼を伴い、翌日知恩院の真葛庵に送ることになる。蓮月と源助は二十数年前に互いに知り合っていたのだった。源助の回顧談から胤舜は課題に対するヒントをつかむ。広甫の課題提示の背後には、隠された意図があった。この展開は読ませどころである。

 *わたしはおのれの初心を曲げずに生きることがもっとも大切なことだと思います。p195
 *ひととひとが信じあう美しさからひとの真は生まれるのだと思います。  p196
 *西行さまが見たかったのは、これから開こうとする桜のいのちではなかったかと思います。 p198

<祇王の舞>   青紅葉
 四月に入り、新緑が目に濃い季節に、水野忠邦が椎葉左近と名のり、広甫に会いに来る。広甫は変名で現れた水野忠邦の真の狙いを謀りかねる。荻尾がどこで養生しているかという問いかけに、広甫は青紅葉の寺とだけ伝える。胤舜がそのことを聞き、寺に行った時には既に母は立ち退いていた。そして、胤舜は椎葉左近と対面することになる。
 師は胤舜に「母を守るための花を活けよ」「祇王寺で活けるからには祇王の霊を慰める活花でなければならない」と課題を与えたのである。左近と名のる立場の父と胤舜の交わり得ない対面が描かれて行く。「その日までわたしは椎葉左近でいなければならぬのだ」と語る父の真意はいずこに・・・・・・。

 *何事かを望んで生きるのは、業苦にも似ているが、本来、ひとはそのようにして生きるのではなかろうか。  p222

<朝顔草紙>  青い朝顔
 早朝に胤舜が広沢池のそばに佇んでいると、押小路雅秀と名のる公家の若者が声を掛けてくる。雅秀は胤舜に「この霧の池にどんな花を活けるか」と問いかける。胤舜が青い花と答えると、雅秀は「まろやったら朝顔を活けるな」と言う。そんなきっかけから、自分の描いた朝顔の絵を見せたいと胤舜を己の草庵に連れて行く。絵の前に見て欲しいものがあったと一冊の書物を胤舜に見せる。それは一つの罠だった。

 *男子は父親の思いがわかったとき、おとなになると言います。  p263

<芙容の夕>   酔芙容
 胤舜は母の病を案じ、幾晩も泣いている夢をみて病気になる。広甫は源助と弟子達に手分けして萩尾の行方を捜させる。源助は楼甫と蓮月尼の許を訪ねる。蓮月尼は大覚寺からの迎えが来て、ひと月ほど前に庵から出て行ったと答える。病気の萩尾が何者かに拉致されたのだ。水野忠邦の政に対する確執がもたらした出来事である。弟子達の捜索で荻尾の居場所と実行者が明らかになる。胤舜の活花と広甫の機転が荻尾を救う。

<花のいのち>  白萩、白菊
 大覚寺に引き取られた萩尾を胤舜が手厚く看病する。そして師広甫の命を受けて大覚寺からは胤舜が宮中立花会に出ることになる。母の好きな花を活けるつもりで、図集などを示し選ばせようとするが、母は胤舜を指さす。その場に居た広甫は胤舜に言う。「そなた自身の花を活けよと言われたのだ。いや、さらに言えば、そなた自身を活けよと言われたのではあるまいか」と。胤舜は宮中立花会で賞賛される。そのことを胤舜から聞いた後、母の命は尽きる。そして、二ヶ月後、大覚寺に水野忠邦が訪れてくる。

 *活花は、花の美しさだけを活けているのではない。花のいのちその物を活けておるのだ。  p304
 *徳とは、すなわち、情を知るということでございましょう。  p322

 このストーリーの末尾で、著者は胤舜に語らせている。
「そうですね。わたしは、そのような心の花をこれからも活けていかねばならないのでしょう」と。この小説は活花修行をする胤舜の成長物語である。最後の一文のフィーリングと同じ印象で読み終えることができる作品である。

 ご一読ありがとうございます。


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この作品を読んだ関心から、ネット検索したものを一覧にしておきたい。
旧嵯峨御所大本山 大覚寺 ホームページ
3分間でわかる嵯峨御流 :「いけばな嵯峨御流」
嵯峨御流  :ウィキペディア
未生流いけばなの歴史  :「未生流」
池坊 いけばなの根源 ホームページ
   いけばなの歴史   
未生斎広甫  :ウィキペディア
池坊専好(2代) :「コトバンク」
第13番 法金剛院  :「関西花の寺二十五ヵ所」
法金剛院庭園  :「京都市都市緑化協会」
龍寶山大徳寺  :「臨黄ネット」
真葛庵(マクズアン) :「本居宣長記念館」
弘川寺  :「河南町」
  西行法師
水野忠邦天保の改革 :ウィキペディア
姉小路局  :「コトバンク」
花野井   :ウィキペディア
山県大弐  :「コトバンク」
太田資始  :「コトバンク」
太田資始  :ウィキペディア
太田垣蓮月 :ウィキペディア
太田垣蓮月 :「コトバンク」
太田垣蓮月(一)  :「天台寺門宗」
西行   :ウィキペディア
【 願わくは 花の下にて… 】最期まで「美しく」生きた佐藤義清こと西行の和歌
:「歴史マガジン」
雁金草  :「季節の花300」
酔芙容  :「酔芙容の寺  法華宗大乗寺」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

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徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『潮騒はるか』  幻冬舎
『風のかたみ』  朝日新聞出版

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