遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『バトル・ダーク ボディーガード工藤兵悟3』 今野 敏 ハルキ文庫

2015-08-02 10:30:23 | レビュー
 ボディーガード工藤兵悟シリーズの第3作・完結編である。
 行動派のノンフィクション・ライターで国際ジャーナリストの磯辺良一は、『イスラムの熱い血』を半年前に出版した。この著書の売れ行きが5万部を超え、10万部に迫ろうとしていた。そこで著書のヒット記念パーティが開催される。
 そのパーティ会場に、浅黒い肌の男が乱入し、訛のある英語で「イスラムを冒涜する者は死刑だ!」と叫び、磯辺良一に襲いかかろうとした。暴漢はガードマンたちにより取り押さえられ、その場は事なきを得る。しかし、これが始まりだった。
 翌日、「イスラム聖戦革命機構」と名乗る者から、二日酔いで昼まで寝ていた磯辺良一に英語での電話が掛かってくる。「イスラムを冒涜した罪により、死刑を宣告する」と。一方、本を出版した公英社にも、本の発売を中止にして、店頭にあるものを回収しろと告げてきたのだ。
 磯辺は、警察は具体的な証拠がなければ、何もしてくれないと考え、民間の警備保障会社にボディーガードを依頼することを考える。その費用を公英社に負担して欲しいという。自分の身は自分で守る責任があるのだが、出版社も現状のヒット作故に、著者の要望を無礙に拒絶できない面がある。磯辺は、企業テロの取材で知った大手の「バックラー警備保障」にボデーガードを依頼する。
 
 「バックラー警備保障」の社長は度会俊彦、社員の教育担当はウォルター・ジェイコブ。彼はユダヤ系アメリカ人だが彼の両親まではイスラエル人だった。度会は、日本人はイスラム教徒の習慣を知らないので、護衛の指揮を執って欲しいと彼に指示する。ボディーガードではないが、イスラム教徒が関係するというこの仕事を断れるわけはないと引き受けるが、人材を一人スカウトしたいと条件を出す。ウォルターがかつてザイールでいっしょに戦った男だという。度会は了解する。その男とは、工藤兵悟だった。

 ウォルターは乃木坂のビルの1階にある「ミスティー」を訪れ、工藤兵悟に会う。工藤は今は私設のボディーガードを生業としている。ウォルターに協力を依頼されるが、イスラム原理主義の暗殺者からのボディーガード案件と聞き、民族的な問題が絡んだ仕事には、手が貸せないと拒絶する。イスラムのテロ組織相手では自信がないと・・・。
 
 ジェイコブが直接訓練した信頼できるボディーガードを2名、3交替制で24時間、磯辺の居る仕事場の警護に当たらせる。その磯辺が、PENクラブ人権委員会の会合に出かけると言い張る。人権委員会のメンバーなので、ぜひ出席したいと主張する。「生きるということは、やるべきことをやっている状態のことだ」と言う。指示に従ってもらわないと責任を持てないとジェイコブは言うが、依頼人の言に同意せざるを得ない。
 その結果、会合が終わり、磯辺の自宅まで戻ったところで、コルト・ガバメントで武装した3人に襲撃されて、磯辺は連れ去られてしまう。武装していないジェイコブたちにはなすすべがない。ボディーガードには死人もでてしまう。
 度会とジェイコブは警視庁の事情聴取を受けることになる。しかし、刑事たちの状況認識とジェイコブの認識には大きなギャップが存在した。
 そして、事態は公英社に磯辺の身代金要求の電話が「イスラム聖戦革命機構」の代理人と名乗る者からかかる方向に展開する。磯辺は現在監禁中で、「神の名における公正な裁きのために、百万ドルが必要だ」と要求すると通告してきたのだ。

 ジェイコブは、イスラムに詳しいことから、この誘拐と身代金要求は最初から営利誘拐を企んだ犯行だと考え始める。イスラム過激派なら、誘拐などせずに、その場で処刑したはずだからと。なぜなら、死刑宣告には連中なりの手続きがあるからというのだ。
 パーティでの乱入事件をニュースで知った誰かが、死刑宣告の狂言を思いついたのだと推測するに至る。度会社長は、契約はまだ有効と考え、護衛作戦を救出作戦に変更する方針を出す。ジェイコブは、誘拐実行犯はおそらく軍隊経験があり戦いに慣れたプロだと判断する。
 
 少人数とはいえ軍隊経験があり実戦をしてきたプロ、素性が未だわからない連中に、日本の警察が日本の国内センスで対応できるわけがない。然るべきルートからジェイコブは武器を秘密裏に調達し、武装したうえで救出作戦を実行する肚なのだ。そのために、再度工藤をスカウトに行く。ジェイコブが教育した「バックラー警備保障」の有能なボディーガードであっても、武器による実戦の経験はないので、役に立たないと判断する。警備会社は磯辺がどこに監禁されているかの情報収集に専念していく。
 結局、諸情報を聞かされた工藤は、ジェイコブを助けるために救出作戦に加わることに合意する。
 そこから、このストーリーが急速に展開していく。

 この小説はここまでに、いくつかの観点が織り込まれている。イスラムの宗教観と習慣、イスラム世界の宗教絡みの活動組織の実態に対する無知さ。傭兵が実戦の中で体得した感覚及び戦争とはという問題。武器所持が禁止された平和国家の中の治安活動と外国のテロ行為経験者への対応力や認識など。警察への依存・依頼の法的限界。こんな観点が、ここからのストーリー展開の大きな伏線になっている。それがどのように描写されているかが、まず読みどころか。その認識が、後半の救助作戦にどう関わって行くかである。
 
 この小説のエンターテインメント性は、後半の救助作戦の状況描写にある。結局、ジェイコブの依頼に対し、工藤は協力せざるを得なくなるのだが、この作戦に水木亜希子とミスティーのバーテンダー黒崎猛も加わっていくことになる。この4人がチームを組んで救出作戦に臨むことになる。
 ・この日本で、ジェイコブがどのようにして武器を調達するのか?
 ・ジェイコブが推測した誘拐犯人たちの正体はどのように判明するか?
 ・なぜ、工藤は亜希子と黒崎までもが協力する羽目になることを承諾したのか?
 ・身代金要求が出た段階で、警察が組織力を発揮して、捜査と救助に臨む。
  その警察力と遭遇しない形で、隠密裏に救出作戦が展開できるのか?
 ・前代未聞の誘拐監禁事件に対する日本の警察の組織力と認識で対応処理できるか?
  警察のシナリオでの救出行動はどう進むか? その行動描写に納得感があるか?
 ・動き始めた警察の組織力に対抗して、ジェイコブたちは、磯辺の監禁場所情報を、
  どのような手段で入手し、警察力よりも先回りしようとするのか?
 ・ジェイコブたちの救出作戦の展開プロセスでの戦闘はどんな展開になるか?
 ・同時並行で行動しているはずの警察力の動きに悟られずに行動できるのか?
  警察力と鉢合わせしないジェイコブ・工藤の行動描写に納得性があるか?
 ・磯辺を救出できたとしても監禁状態で体力すら消耗している本人をどう助けるか?
こんな視点が、後半の読ませどころといえるだろう。

 この小説のテーマの視点から、本文中の記述をいくつかご紹介しておきたい。
*「犯人から金の要求があった。警察では、営利誘拐のマニュアルにそって捜査を進めるでしょう」
 「しかし、そのマニュアルは、日本人の犯人を相手にしたのうはうの蓄積で作られています。民族のことも、宗教のことも、犯人の特殊能力も考慮に入れていません。今度の犯人は、日本人ではありません。その点が厄介なのです」p65
  ・・・・・
 「しかし・・・・・。なぜ、警察のやり方が失敗すると思うのだ?」
 「相手は、戦闘に慣れたプロです。そういう連中は、戦争と同じ考え方で、同じ行動を取る。彼らにしてみれば、磯辺さんは異教徒の捕虜なのです」  p67
*戦場で自動小銃を持つのは常識だ。自国の軍隊がPKOで出掛けるのに、自動小銃を携帯するかどうかを論議する国は、世界中で日本だけだ。だが、それは、愛すべき非常識であることも間違いないと工藤は考えていた。 p98
*日本の常識は他国の人々にそのまま通用するわけではない。  p99
*(その認識は、甘すぎやしないか・・・・)
 刑事部長の言葉を聞いて、岡江茂男警部補は、秘かに心のなかでつぶやいた。 p183

 戦争の実戦経験のあるプロが、日本国内で武装して犯罪行為を企てたら・・・・、そんな想定は、もはや絵空事ではないという時代に入っているかもしれない。ある種のリアルさを感じ取れる状況設定が先取りされた小説だと言える。ふりかえれば、この作品、底本は1995年に出版されていたのだ。だが、古さは微塵もないリアル感にあるれる作品だ。エンターテインメントとして楽しめるだけなら、おもしろい。これに類似のことが起こった大変だけれど・・・・・。
 
 ご一読ありがとうございます。

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本書に関連する事項をいくつかネット検索してみた。一覧にしておきたい。

イスラム原理主義 :「コトバンク」
イスラム原理主義の軌跡と現在  東京市民活動コンサルタントArco Iris
悪魔の詩  :ウィキペディア
五十嵐 一 :ウィキペディア
小説 『悪魔の詩』訳者殺人事件  :「無限回廊」

コルト・ガバメント :「MEDIAGUN DATABASE」
H&K MP5(HK54) [短機関銃] :「MEDIAGUN DATABASE」
SIG SAUER  SERVICE PISTOLSのページ  英語版公式サイト
M16自動小銃  :ウィキペディア
フィールドストリップ  :ウィキペディア
ベレッタM92FS フィールドストリッピング  :YouTube
"立体銃&射撃"AK47 フィールドストリッピング(銃の分解):YouTube
45口径と9mmパラベラム。銃弾の話です。  :「谷好道コラム」
9mmパラベラム弾  :「MEDIAGUN DATABASE」

Bell 412EP Helicopter  日本語 pdfファイル

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このブログを書き始めた以降に、徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『東京ベイエリア分署 硝子の殺人者』 ハルキ文庫
『波濤の牙 海上保安庁特殊救難隊』 ハルキ文庫
『チェイス・ゲーム ボディーガード工藤兵悟2』 ハルキ文庫
『襲撃』  徳間文庫
『アキハバラ』  中公文庫
『パラレル』  中公文庫
『軌跡』  角川文庫
『ペトロ』 中央公論新社
『自覚 隠蔽捜査 5.5』  新潮社
『捜査組曲 東京湾臨海署安曇班』  角川春樹事務所
『廉恥 警視庁強行犯係・樋口顕』  幻冬舎
『闇の争覇 歌舞伎町特別診療所』  徳間文庫

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