遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『地獄めぐり』 川村邦光  ちくま新書

2011-09-18 23:26:42 | レビュー

 『庶民に愛された地獄信仰の謎 小野小町は奪衣婆になったのか』(中野純・講談社+α新書)を読んだ時、本書に触れられていたので、タイトルに惹かれて読んで見た。中野氏の本は現場探訪体験を軸にした地獄・奪衣婆論だったが、こちらは文献や図像を基礎にした学術的な論考といえる。地獄の位置づけを考える入門書として適していると思った。

 著者は、冒頭で「死者を看取ることも、死を身近に感じることも、あの世-他界に思いを馳せることもなくなっているといわれて久しい」現状の一方で、臨死体験の報告書や他界に関する事柄・情報が溢れているという事実を指摘する。そして、他界の思考には、「現世に対するある種の距離感を不可欠とする」のであり、そこには、「現世への隔たり・厚みをもった”知”が集積されている」という。そして、「他界のアルケオロジーとでもいうべき、他界の”知”の断層を探ることにこそ、なにほどかの意義があるのではなかろうか」という立場から、この一書をまとめている。

 著者は、冥界の旅の案内書といえる『地蔵十王経』、源信が八大地獄を冒頭に書き記した『往生要集』、他界遍歴・蘇生譚を扱う『日本霊異記』、モガリ儀礼と黄泉の国を記す『古事記』などの文献を基盤に、『北野天神縁起絵巻』(承久本)、「六道絵」、「立山曼荼羅」、「熊野観心十界曼荼羅」を主なビジュアル素材として、先人の諸研究を踏まえそれらの図像を観察・分析し、他界・地獄についての”知”を明らかにしていく。

 第1章では「他界を遍歴する」ことに焦点をあて、「少なくともあの世へと思いをめぐらすことによって、この世の姿が立ち現れてくるのではないか」と考える。『古事記』、『日本霊異記』、『往生要集』という大きな流れの中で、仏教導入以前と以後において、他界遍歴・地獄遍歴がどのように変化していったのか。古代の葬送儀礼であるモガリ儀礼と他界遍歴譚の事例を分析することから始める。
 仏教的な他界観が入る以前は、現世と他界が同一空間に併存し、水平的・平面的な空間として構成される古代的・記紀神話的な他界観が息づいていたという。そして、モガリ儀礼における遺体の存在のもとで、霊魂が遊離し他界遍歴をして元の身体(遺体)に復帰するという蘇生譚を生み出したということを文献事例で例証する。
 モガリ儀礼がどういうものかを『魏志倭人伝』や『隋書倭国伝』と『古事記』から引用し説明する。『古事記』におけるイザナキのヨモツ(黄泉)国訪問譚から、当時の他界は、「川を渡り、坂を越えておもむく、奥深い山中・山の彼方(あるいは、海の彼方)」にあり、「生者の世界の周縁部に設定される、水平的・平面的な空間構造をもつ世界として認識されている」とする。
 しかし、この他界観はモガリが禁止され、仏教的葬法としての火葬が広まっていくにつれ、他界観、さらにその深層で死生観や霊魂観が大きく変容していく。火葬=身体の焼却は決定的な死を意味する。つまり「霊魂の帰るべき身体が失われ、現世と他界の往還に根底的な断絶が刻印された」のだから。著者は、死霊のさまよいについての説話を引用して語っている。そして「火葬が受容されていった背景には、霊魂の浄化、そして他界への安住が即座の骨化によって達成されるとする、信仰が優勢になっていったと考えられる。」と述べる。
 それでもこの他界は、「山越阿弥陀図」のイメージにあるごとく、「険しい坂の向こうにある山・山中、深い河を渡った向こう岸、あるいは両者を融合させた場に、山中他界として構想されていた」。意外にも『古事記』に記された神話的な他界とほとんど隔たりがないと著者は判断している。

 第二章において、著者は地獄・極楽という他界の思考は、その根底に人々が現実=現世をどう思考し認識し対応したのかというところに求めるべきであり、現世を超えようとする想像力・構想力が他界を生み出したとみる。他界は「現実の徹底した表象化、言い換えるなら、欲望の過剰なまでの肥大化・豊饒化もしくはドラマ化である」という。そして、他界をめぐる言説・図像を分析していく。
 『北野天神縁起絵巻』その他に描き出された地獄の場面を分析する。図像化による地獄の現前化は、リアリティを持って人々に迫ってくる。地獄絵によって知る地獄は、現世のリアリティとは異次元に構築され、人々の信念により維持されていくとみる。
 一方、他界幻視を実践した例として、源信による「臨終の行儀」の実践を考察する。源信らが結成した二十五三昧会(講)において、浄土への往生、新たな生を目指す”死の床”の看取りが行われたシステムとその結果を詳細に論じている。(私はこの二十五三昧会がどのようなものかに少し関心を抱いていたので、この書を読み、この点でも有益だった。)しかし、源信ですら死の間際に、最後の想念を語らなかったという。「おわりに」の章で、筆者は「二十五三昧会では、臨終の床で仏菩薩の来迎を見ようと日々修行していたが、少なくとも記録のなかでは、誰ひとりとして見ることはかなわなかった」と重ねて記している。だが、二十五三昧会の結衆たちは、「看病、死の看取り、臨終での見仏、葬送儀礼、夢想、追善供養を行なって、往生を共同して支援した」ようだ。
 また、山林修行者が他界幻視の技法を様々に実践しているが、この修行法が密教思想に裏打ちされ、修験道の十界修行として高度な実践的システムを形成するに至ったと説く。
 一般民衆は、遊行僧(聖)や僧侶、尼僧などによる地獄・極楽譚の唱導、「熊野観心十界曼荼羅」、「立山曼荼羅」その他多くの図像の絵解きを通じ、他界を幻視する心性を培い、他界遍歴・他界幻視を実践したとする。全国いたるところに、この世で地獄や賽の河原と称される場所が形成されていくことになる。「立山曼荼羅」には地獄が描き込まれ、現実の場に設定された立山地獄が地獄のリアリティを迫真のものにしていったという。人々にとり、地獄という他界は、「身近に仰ぎ見ることのできる、山岳の山中やその裾野・地下が地獄の在処であり、生者が呼び出すなら、死者の霊が寄り来ることのできる場、死者と生者が出会うことのできる場、不可視ではない現実の場に、地獄が実在したのである」という。
 そして、「地獄は現世や共同体と隣接する場に設定されはしたが、決して地続きであったわけではなく、感覚・思考にいて現世に対する時空間の隔たりがあった。地獄をはじめとする他界のコンセプトは、いわば死者の眼差しから、現世を逆照する拠点として構築されたというべきであろう」と著者は述べる。「現世と対峙しつつ、現世の外に立つ死者、またそのような時空間としての地獄」という思考が生み出されたと説く。現代人が死あるいは死者をターミナルだという時間意識、思考法でとらえることの「貧しさ」を指摘する。
 「他界を幻視することの豊かさとは、死の体験も包摂した生の体験を照らしだすこと、これまでにない生の体験のベクトルを獲得することにあろう。死は孤立しているのではなく、生と繋ぎ合っている。生の体験を拡張させるものとして、他界の体験は重要な意義を帯びることになる。他界という異次元の世界に向かい合うこと、そこでは他界が新たな生の可能性として構築されている」のだと言う。著者は、他界のイメージが生の世界を反照することの意義を主張する。他界のイメージが現代人にとり貧困になることによって、「死や他界を介して、何ものかを畏れる慎み深い生」が喪失していったと論じている。

 余談だが、私にとっては、地獄を説いた経典が典拠としていくつかあることをこの章から知ったことも、別の収穫だった。

 第三章は「三途の川の奪衣婆」として、奪衣婆の誕生、奪衣婆の系譜、奪衣婆の図像について、『地蔵十王経』を軸に論じている。奪衣婆には、「嫗の鬼」、無慈悲な鬼婆の側面とは別に、民俗学的視点で、姥神-山姥-山の神という”女神性”の側面があり、お産の神としても信仰されていたという。奪衣婆が人の身体の始まりと終わり、生と死の両方に携わる者として人々に認識されていたというのは、興味深い。

 第四章「女の地獄と穢れ」は、「熊野観心十界曼荼羅」世界の絵解きである。先人の研究を踏まえて、この曼荼羅の構成を詳述し、またこの曼荼羅を諸国に伝播させた熊野比丘尼そのものの絵解きも行っている。この曼荼羅は夫婦の人生の道程を描いている点を説明した後、著者は曼荼羅に描かれた女の地獄に焦点を当てる。両婦地獄(嫉妬の炎・鬼の心)、血の池地獄(不浄の血と血盆経信仰)、および産まず女地獄(不妊の罪)という三地獄を詳述する。
 当時の仏教教説が、「女性を宗教的に劣った救いがたい存在として差別しおとしめ」、「家のなかであれ、社会のなかであれ、女性の従属的な地位を正当化し甘受させる思想として力を発揮した」。また、不妊の既婚女性については、「女性としての存在とともに、”ひと”としての存在を否認」することに果たした側面を指摘している。

「おわりに」で筆者はおもしろい対比をしている。「当麻曼荼羅」、「智光曼荼羅」あるいは「阿弥陀浄土曼荼羅」に描かれた浄土は、「幾何学的といえるほど、左右対称に空間が完璧に画定されている。”反自然”といっていいほどの景観なのである」。それに対し、地獄もまた”反自然”の空間としての構想かもしれないが、「なによりも肉体の苦痛、そこには厭うべき自然が横溢していよう」とみる。それ故に、「さまざまな苦難に満ちた現世では、地獄に堕ちたくはないにしても、浄土よりも、地獄のほうがいっそう身近であったことはたしかだ」と。地獄の内容を予め知ることで、「苦難に耐える心構えが培われ、死を迎えることがかろうじてできるかもしれない」と。
 この書ではテーマを外れるので触れられていないのだと思うが、民衆への浄土信仰の浸透の中で、浄土信仰に対して、地獄がどういう役割を果たしたのか、論じてほしい気がした。

 最後に筆者は述べる。「地獄めぐりはこの世へと帰還する。地獄がこの世から生み出されているという事実は、昔からなんら変わりはしないのである。・・・・今日でも、地獄を想起せよと、地獄の思考が今でも求められているのは、・・・・かつてのそれが語られることなく、記憶の底に閉じ込められているからである。現代に連なる歴史の記憶を発掘するために、新たな地獄めぐりに出立しなければならない」と。

かつての地獄の思考は、著者が記すように「罪業」を根底にして存在した。それが地獄・極楽と不可分の関係にあった。その根底が欠落していれば地獄の思考を深耕できないという意味だろう。新たな地獄めぐりをするためには、人間存在の意味に改めて光を当てて、人間にとって地獄とは何かを再定義することから始めなければならないと受け止めた。

かつての人々が抱いた他界観・地獄観に、一歩身近なものとして近づけた気がする。
欲をいえば、各章にもう少し説明図あるいは曼荼羅の部分図を例示して欲しかった。

この本のキーワードになる言葉のいくつかを、ネット検索してみた。この本の理解を深め少しでも拡げる糧として。

『往生要集』 :ウィキペディアから

源信 (僧侶) :ウィキペディアから

三途の川  :ウィキペディアから

三途の川・画像集

三途の川の日本的変質 玄侑宗久 :「東北河川紀行」から

十王、『地蔵十王経』 :ウィキペディアから

血盆経  :「雑学の世界・補考」サイトから


『北野天神縁起絵巻』(承久本) :「文化デジタルライブラリー」から

『北野天神縁起絵巻』の画像集

『地獄草紙』 :「e国宝」から
 『起世経』諸説の八大地獄のそれぞれに付属する別所(小地獄)から選ばれた地獄が描かれているとか。

『餓鬼草紙』 :「e国宝」から

 『正法念処経』の述べられている餓鬼が描かれているとか。


九相図 、九相観 :ウィキペディアから

九相詩絵巻


二十五三昧会  :ウィキペディアから

慶滋保胤    :ウィキペディアから

当麻寺練供養式 :YouTubeから  ←「迎講の儀式」

当麻寺「練供養会式」を間近で見てきました :「奈良の寺社観光ガイド」サイトから

立山曼荼羅  :「立山・静寂庵」のウェブサイトから
 「立山曼荼羅絵解き」のページ
「はじめに」のところに、全体図が載っています。

熊野観心十界曼荼羅 :「ようこそ!西光山 宝泉院へ」のウェブサイトから

謎残る生と死の宗教画―熊野観心十界曼荼羅 :「歴史の情報蔵」のサイトから

紙本著色熊野観心十界曼荼羅図   :「平成19年度 愛荘町新指定文化財」から

恩山寺のビランジュ(小松島市) :徳島新聞の「文化財を巡る」サイトから


ご一読いただき、ありがとうございます。


付記
第1刷発行版で、1カ所、校正ミスと思えるところに気がついた。
168ページ6行目 「毘蘭樹は・・・・・・また世界の誕生と終末に関わる樹木とだといえる。」
 この後半、「・・・・・に関わる樹木だといえる。」 でよい文末だと思量する。