遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『柚子の花咲く』 葉室 麟  朝日新聞出版

2011-09-14 11:03:00 | レビュー

隣り合う日坂藩と鵜ノ島藩の間で、瀬戸内海に面する笠島湾での干拓地の境界線をめぐる紛糾が起きていた。日阪藩には学(きょうがく)・青葉堂村塾がある。「郷学とは各藩が武士だけでなく百姓、町人も勉学ができるように藩校とは別に開設した学問所」である。青葉堂村塾の最初の教授・岩淵湛山のために、鵜ノ島藩家老の永井兵部が鵜ノ島藩からも新田の一部を提供して郷学の学領とすることを申し出て、兵部と湛山の間で学領についての覚書を作成した。日坂藩でもこれに応じ領内にある干拓地のうちに学領を設定した。この学領が郷学を運営維持する源だった。

湛山が病死した後、日坂藩家老島野将大夫の推挙で、当時二十五、六歳の牢人・梶与五郎が教授を引き継いでいた。干拓地の境界をめぐる紛糾の最中に、鵜ノ島藩が提供した学領の覚書と測量地図があると与五郎が言い出し、江戸の評定所で覚書を見せると申し出て、出府することになった。しかし、この与五郎が鵜ノ島藩領内の沼口宿に近い河岸で、一太刀で斬り殺されたのだ。金は盗まれたが、道中手形などは残されていた。与五郎が青葉堂村塾の教授であることが判明した後、この人物の過去の行状について悪い噂が伝わっていき、与五郎の評判が地に堕ちることになる。

この物語は、村塾で与五郎の薫陶を受け藩校に進み、成人した二人の武士を軸に展開する。二人は、恩師の悪い噂を信じられない思いから真実を究明していこうとする。恩師の亡くなり方に不審を感じざるを得なかったのだ。二人はともに二十二歳の若者で、勘定方九十石の穴見孫六と七十石の郡方筒井恭平だ。鵜ノ島藩に出かけ、最初に探索を始めた孫六は与五郎同様に、鮎川宿はずれの街道で一太刀で斬られてしまう。そのため、恩師与五郎の死と友人孫六の死についての謎の解明を恭平が担うこととになる。

この小説は推理小説の形式を取っている。恭平が孫六あるいは、今では青葉村の庄屋を継いでいる義平やおようという村塾で共に学んだ仲間と、自分たちの村塾時代の恩師・与五郎のことを追憶し再確認しながら、なぜ、誰に殺されたのかに思いを巡らせる。孫六亡き後、鵜ノ島藩領内に出かけて行き、幾度かの苦難に遭遇しながら、恭平がその探索を行っていくというストーリーだ。

この小説で作者が語りたかったことは、
「ひとはなぜ傷つけあうのだろうか。ひとはなぜ、大切なものを奪われてしまうのだろうか」(p291)および
「そうか、おとなは、ありのままの先生の姿を見ることを忘れてしまっていたのだな」(p299)
という、恭平に語らせた思いの奥にあるようだ。

郡方目付の多田作兵衛がいう。
「それにしても、梶と申す男、若いころは博打と女に目がなかった放蕩者だったそうな。そのような者が、よう四書五経を教えられたものだ。お主も大変な師をもったな」
「師の不徳は門人の不徳。師の不始末はお詫びいたします。ただし、それがし、師を恥じてはおりません。それだけはお忘れなきよう」
恭平は言い捨てる・・・・・

村塾で師・与五郎が子供たちによく言った言葉がある。
「桃栗三年、柿八年-- 柚子は九年で花が咲く」
この「柚子は九年で花が咲く」というフレーズの由来は、恭平が探索を深めるにつれて、明らかになっていく。

事件の全貌を把握できた恭平は言う。
「先生は勝手気ままに生きてこられたわけではありません。苦しまれ、考えを深められた末に生きる道を見出されたのです」と。

村塾の小さな女の子がぽつりと言った。
「先生はそんな人じゃなかったもの」
「やさしかった」

鵜ノ島藩家老・永井兵部と恭平が言葉を交わす。
「ひとの心は些細なものでございますか」
「政事を預かるとはそういうことだ。肉親の情は捨てねばならぬ」
「われらは先生からさようにはおそわりませんでした」
「なに--」
「ひとはひとを大切にせねばならぬと教わってございます」

「柚子は九年で花が咲くと先生はよく申されました」
「わたしたちは先生が丹精を込めて育ててくださった柚子の花でございます。それでもお斬りになりますか」
「清助めは、やはり親不幸者だ。死んでから後もわしに恥をかかせおる」

事件の全貌が解明され、干拓地領界争いが決着した後、恭平は青葉村庄屋・儀平が離縁したおようと祝言をあげる。そして、郡方勤めの傍ら、青葉堂村塾の教授を務めることになる。

物語は、村塾の子供たちの大声の唱和で終わる。
--柚子は九年で花が咲く

政事と私情が交錯し、何人もが殺され傷つきながら、紛糾事案が解決するという顛末物語だが、事の顛末とは一歩距離を置いたところでの爽やかさが読後に残る。
恭平をはじめ、残されたそれぞれの登場人物が生きる道を見出したことから生まれてくる爽やかさなのだろう。

この本から幾つかキーワードを選び、ネット検索して、その一石の波紋を少し拡げてみた。

ユズ(柚子)  :ウィキペディアから

柚子の花  :「植物園へようこそ!」のウェブサイト

  右上の名前索引からしかアクセスできません。

  「ユズ」、「モモ」、「クリ」、「カキ」のそれぞれの花を眺めてみてください。


日本教育史 :ウィキペディアから

関谷学校  :個人ブログ(「ビッチュほのぼの日誌」)から

関谷学校の歩み :備前市のホームページから

足利学校 :ウィキペディアから

足利学校 :「足利学校」のホームページ

足利学校跡の情報、地図、概要

含翠堂 :岸田知子氏解説

含翠堂 :「摂津名所図会」のサイトから

懐徳堂とその逸材たち :「江戸しぐさ」のホームページから

渋川郷学 史跡案内  :「かみつけの国 本のテーマ館 新館」サイトから


抜刀術  :ウィキペディアから

居合抜き  :YouTubeから

辻斬り侍の居合抜き :YouTubeから


干拓とは  :九州農政局のサイトから

新田  :ウィキペディアから




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