上越高田城は1614年、あの徳川家康の六男、松平忠輝が築城した。
城下を流れる川を外堀として利用し、石垣築かず土塁で済ました。
また、天守の建築はなされず、櫓(当時は二重)を天守の代用としたという。
防衛上は問題ないそうだが、将軍家系のお城にしては扱いが悪い?ような気が…
その後、櫓は1665年の高田地震で倒壊。
三重となって再建されたが、明治維新後の火災で焼け落ちた。
残った建造物も直後に廃城令によって取り壊されて高田城は幕を閉じた。
その後平地になった跡地には陸軍が入り、その際に大量の桜を植栽した。
このおかげで、高田城とその公園は「日本三大夜桜」の名所となっている。
注:「三大夜桜名所」の残りの2箇所は円山公園(京都)と丸山公園(長崎)という説と
弘前公園(青森)と上野恩賜公園(東京)という説がある。
しかしどちらも高田公園は含まれているから大したものだ。
また、城取り壊しで失職した武士が、お堀で蓮根栽培をはじめた。
食用蓮根は普及しなかったが、残った蓮は見事に繁殖し、毎年「蓮祭り」が開かれている。
↑ 高田城で買った絵葉書と入場券(200円)
←極楽橋から櫓を見る
12月初旬の高田城は桜も無ければ蓮もない。
紅葉も終わって、訪れる観光客も疎らで、寒々としていた。
1993年に再建された立派な三重櫓は資料展示館になっており
築城当時の絵図面や城主家系図等の他
僅かだが発掘された櫓や橋の瓦や木片が展示されていた。
ただ、それでも展示スペースが余るようで
日本各地の名城の写真も飾ってあったなぁ… …
上越は日本でも有数の豪雪地帯だという。
高田城も、そろそろ雪に埋もれているかもしれない。
←展示品
←駐車場横の時計
←極楽橋
本丸跡碑
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