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『孟子』巻第十三盡心章句上 百九十三節、百九十四節、百九十五節、百九十六節

2019-05-26 10:13:27 | 四書解読
百九十三節

孟子は言った。
「己が為そうと思わないことは人にもさせない。己が欲しないことは人にも欲さないようにさせる。そうすれば人道は足りるのであって、大切なのはそれだけである。」

孟子曰、無為其所不為、無欲其所不欲。如此而已矣。

孟子曰く、「其の為さざる所を為すこと無く、其の欲せざる所を欲すること無し。此の如きのみ。」

<解説>
趙注に云う、「人をして己の為すを欲せざる所を為さしめず、人をして己の欲せざる所の者を欲せしめず、毎に身を以て之に況う、此の如ければ、則ち人道足るなり。」異論も有るようだが、趙注に従って解釈した。自分が嫌な事は人にもさせるな、ということである。

百九十四節

孟子は言った。
「德行・知慧・道術・才智の長所を持つ人間は、つねに災いや苦しみの中に身を置いている。主君から遠ざけられた臣下や妾腹の子に限っては、自ずから苦しみや禍に身を置いているので、常に身の危険性を懼れ、その事を深く考慮して努力する。だから自然と仁義の道に通ずるようになるのである。」

孟子曰、人之有德慧術知者、恒存乎疢疾。獨孤臣孽子、其操心也危、其慮患也深。故達。

孟子曰く、「人の德慧術知有る者は、恒に疢疾に(チン・シツ)存す。獨り孤臣孽子のみ、其の、心を操るや危うく、其の、患いを慮るや深し。故に達す。」

<語釈>
○「德慧術知」、趙注は、德行・知慧・道術・才智の四者とし、朱注は、德慧は徳の慧、術知は術の知の二者とする。趙注に從う。○「疢疾」、朱注:疢疾は、猶ほ災患なり。○「其操心也危~」趙注:自ら孤微にして危殆の患いを懼れて、深く之を慮り、勉めて仁義を為す、故に達するに至るなり。

<解説>
人は苦しみや禍に身を置いた方がより心が鍛えられ、努力することが出来、それがやがて大成にに繋がるものである。この節は孤臣や孽子のみにとどまらず、誰もが苦しみや禍から逃げるのでなく、それに立ち向かって努力することの必要性を暗に示しているのであろう。

百九十五節

孟子は言った。
「人物には四段階ある。先ず第一は、君に仕えるだけの人物がいる。こういう人物は君に仕えているだけで満足している。第二は、国家を安んずる臣という者がある。こういう人物は国家を安らかにするということで満足している。第三は、天理を知りそれを尽くそうとする天民という者がある。こういう人物は然るべき地位について、道を天下に行うことが出来ると分かれば行い、出来ないと分かれば隠れて世に出ない者である。第四は、盛徳を備えた大人という者がある。こういう人物は己を正しくするだけで、自然と周りの者を感化して正しくしていく。」

孟子曰、有事君人者。事是君、則為容悅者也。有安社稷臣者。以安社稷為悅者也。有天民者。達可行於天下、而後行之者也。有大人者。正己、而物正者也。

孟子曰:「君に事うる人なる者有り。是の君に事うれば、則ち容悅を為す者なり。社稷を安んずる臣なる者有り。社稷を安んずるを以て悅を為す者なり。天民なる者有り。達して天下に行う可くして、而る後に之を行う者なり。大人なる者有り。己を正しくして、而して物正しき者なり。」

<語釈>
○「容悅」、解釈は色々あるようだが、服部宇之吉氏が、「容悅は喜悦の容をなして君心を求むること。」と述べているのが分かりやすい。○「天民」、趙注:天民は、道を知る者なり。○「大人」、朱注:大人は、徳盛んにして、上下之に化す。

<解説>
人物差を四段階に分けて説明している。趙岐は、これについて容悅は凡臣、社稷は股肱、天民は道を行う、大人は身を正す、と述べている。簡潔であるが分かりやすい。

百九十六節

孟子は言った。
「君子には三つの楽しみがある。しかし天下に王となることは、その楽しみには含まれない。三つのうち、父母がともに健在で、兄弟にも悩ませるようなことは何もない、というのが第一の楽しみである。己の行いを正しくして、仰いでは天に羞じることなく、邪な心がないので、伏しては人に羞じることがない、というのが第二の楽しみである。天下の英才を見つけ出して、これを教え育てる、というのが第三の楽しみである。このように君子には三つの楽しみがあるが、天下に王となることは含まれていないのである。」

孟子曰、君子有三樂。而王天下、不與存焉。父母俱存、兄弟無故、一樂也。仰不愧於天、俯不怍於人、二樂也。得天下英才、而教育之、三樂也。君子有三樂。而王天下、不與存焉。

孟子曰く、「君子に三樂有り。而して天下に王たるは、與り存せず。父母俱に存し、兄弟故無きは、一の樂しみなり。仰いで天に愧ぢず、俯して人に怍ぢざるは、二の樂しみなり。天下の英才を得て、之を教育するは、三の樂しみなり。君子に三樂有り。而して天下に王たるは、與り存せず。」

<語釈>
○「無故」、趙注:「無故」は、他故無し。他に煩わされることがないこと。○「怍」、趙注:「不怍人」は、心正しく邪無きなり。怍は、“はじる”と訓ず。

<解説>
ここで言う「君子」とは、前節で言う天民、乃ち道を知る者を指すと考えてよい。第一の楽しみは、仁を行う楽しみであり、第二の楽しみは、義を行う楽しみである。故に道を知る君子たる者は、仁義を行い、その事を人に教え育てることに喜びを覚えるのである。

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