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『大学』第一章第一節

2012-07-02 17:56:44 | 日記
『大学』第一章第一節

大学の道は明徳を明らかにするに在り。民に親しむに在り。至善に止まるに在り。止まるを知りて后に定まる有り。定まりて后に能く静か。静かにして后に能く安し。安くして后に能く慮る。慮りて后に能く得。物に本末有り。事に終始有り。先後する所を知れば、則ち道に近し。

大学之道在明明徳。在親民。在止於至善。知止而后有定。定而后能静。静而后能安。安而后能慮。慮而后能得。物有本末。事有終始、知所先後。則近道矣

<通尺>
大学の道は光明の至徳を身につけて、それにより民を治め、その至徳を天下に明らかにし、人民を教化することである。その為には民を親愛し、至善の極みに自ずから達することを目指して行動することである。そして至善の極みに達して変わらず行うべき事を知ってこそ、至善に向う人の志は一定することになる。志が一定してこそ、内外の誘惑に動かされること無く、至善に集中して心が静かになる。心が静かになってこそ、心は安らかに、のびやかになり、ゆとりを持って物事に対処できる。心がそのように安らかになってこそ、物事に対して熟慮して正しい判断を下せる。そうなると如何なる局面に立っても、最も適切な処理をすることが出来るようになる。大体に於いて、物事には根本的なことと、そうでない事の重要度、どちらを先にしなければならないか、と言う優先順位があるもので、それを正しく知って、明徳を明らかにし、民に親しみ、至善に止まって、処理することが出来れば、ほとんど道を修得したことになるのである。

<語釈>
○「大学之道在明明徳」、「大学之道」について正義の疏は、「大学の道は、己の光明の徳を章明するに在り。身に明徳を有ちて、更に之を章顕するを謂う。」と述べている。「明」は至徳を身につけて民を化することによって明らかにすると云う意味である。「明徳」は至徳のこと。因って大学の道は光明の至徳を博く身につけて政を行うと云うこと。○「在親民」、民を治めんとする者は、民を親愛しなければならない。○「在止於至善」、「止」は鄭注に、「止は自ら處るがごときなり。」とあり、至善の極みに止まりて遷らず、民を化すこと。○「定」、至善への志が一定すること。○「静」、心が集中して妄りに心を動かされないこと。○「安」、心が安らかでゆとりのある状態を言う。○「慮」、熟慮して正しい判断を降せること。○「慮而后能得」、「得」は鄭注に「得は事の宜しきを得るを謂うなり。」とあり、物事に対して最も適切に処理することが出来ることを謂う。

<解説>
大学について、鄭玄は、「大学とは、其の博く学んで、以て政を為む可きを以てなり。」と、乃ち治民為政の道を教えることであるとしている。そして、明明徳、在親民、在止於至善の、この三事が大学の綱領である。儒教の教えは古の聖人の至徳を身につけて、民を治めることにある。中国は家族主義の国であり、君は父であり、民は子である。故に民を治める道は、家族における父の子に対する道でもあり、結局全てに通ずる道なのであり、人が修めるべきものである。

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