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『孟子』巻第九萬章章句上 百二十六節

2018-08-23 10:55:35 | 四書解読
百二十六節

弟子の咸丘蒙が尋ねた。
「言い伝えに、『徳の高い人物は、君主も臣下にすることはできないし、親も子供としては扱えない。舜が君主の位に即くや、堯は諸侯を率いて臣下としての礼をとって拝謁し、父の瞽瞍も亦た臣下の礼をとって拝謁した。そんな父親の姿を見て、舜はおそれつつしんで落ち着かなかった。孔子は此の事を評して、この時こそ、天下の人倫が乱れてしまいそうな不安な時だった、と言われた。』とありますが、この話は本当の事でございましょうか。」
孟子は言った。
「それは違う。これは君子の言葉ではない。斉の東部の田舎者の言った言葉だ。堯が年を取って隠居したので、舜が摂政になったのだ。堯の在世中に天子になったのではない。『書経』の堯典篇には、『舜が摂政となって二十八年、帝堯は遂に崩御された。人民の喪に服すこと、父母に対するが如し。三年の間、国では音曲が絶えたり。』とあり、孔子も、『天に二つの太陽が無いように、人民にも二人にの王はあり得ない。』と言っている。舜が堯の死ぬ前に既に天子になっており、死後天下の諸侯を引き連れて、堯の為に三年の喪に服したとしたら、同時に二人の天子がいたことになる。」
咸丘蒙は言った。
「舜が堯を臣下としなかったことは、お話を聞いてよく分かりました。しかし『詩経』(小雅、北山篇)には、『あまねく天下は、王の土にあらざるは莫く、地の果てまで王の臣にあらざるは莫し。』とありますが、舜は既に天子と為っているのに、瞽瞍だけが臣下でないのは、どういう訳でございますか。」
「この詩は、そのような意味ではないのだ。臣下が、王の仕事にこき使われて、父母に孝養を尽くす暇もなく、これらはすべて王の仕事であるのに、なぜ私だけ一人がこんな苦労をしなければいけないのかと、と嘆いた詩である。これからもわかるように、詩を説く者は、一字にとらわれて語句を誤解してはいけない。語句にとらわれて、文章全体の意図する所を間違えてはいけない。素直な気持ちで、詩の意図する所をくみ取るようにする。それが詩を理解するということだ。もし言葉だけで詩を理解すると、『詩経』の大雅の雲漢篇の詩に、『周が乱れた後、生き残った民はひとりもいない。』とあり、この言葉を信ずるなら、周の遺民はひとりもいないに事になる。孝子の最も大切な事は、親を尊ぶことより大なるものはない。親を尊ぶことの極みは、天下の富を以て親を養うより大なるものはない。瞽瞍が天子となった舜の父親であるということは、尊ばれることの極みであり、天子と為り天下の富でもって、親を養ったのは、孝養の極みである。『詩経』(大雅 下武篇)に、『とこしえに孝を思う、孝を思えば、それが天下の則となる。』とあるのは、この舜のことを言ったものだ。また『書経』(逸篇)にも、『舜は事を慎みて父親の瞽瞍に見え、畏れ慎んだので、瞽瞍も亦た舜の真心を感じて、舜に従うようになった。』とあり、これこそが、父親も子を子として扱えないというものだ。」

咸丘蒙問曰、語云、盛德之士、君不得而臣、父不得而子。舜南面而立、堯帥諸侯北面而朝之。瞽瞍亦北面而朝之。舜見瞽瞍、其容有蹙。孔子曰、於斯時也、天下殆哉、岌岌乎。不識此語誠然乎哉。孟子曰、否。此非君子之言。齊東野人之語也。堯老而舜攝也。堯典曰、二十有八載、放勳乃徂落。百姓如喪考妣。三年、四海遏密八音。孔子曰、天無二日、民無二王。舜既為天子矣、又帥天下諸侯以為堯三年喪、是二天子矣。咸丘蒙曰、舜之不臣堯、則吾既得聞命矣。詩云、普天之下、莫非王土。率土之濱、莫非王臣。而舜既為天子矣,敢問瞽瞍之非臣、如何。曰、是詩也,非是之謂也。勞於王事、而不得養父母也。曰、此莫非王事。我獨賢勞也。故說詩者、不以文害辭、不以辭害志、以意逆志。是為得之。如以辭而已矣、雲漢之詩曰、周餘黎民、靡有孑遺。信斯言也、是周無遺民也。孝子之至、莫大乎尊親。尊親之至、莫大乎以天下養。為天子父、尊之至也。以天下養、養之至也。詩曰、永言孝思,孝思維則。此之謂也。書曰、祗載見瞽瞍、夔夔齊栗。瞽瞍亦允若。是為父不得而子也。

咸丘蒙問いて曰く、「語に云う、『盛德の士は、君も得て臣とせず、父允若。是為父不得而子也。も得て子とせず。舜南面して立つや、堯、諸侯を帥いて北面して之に朝す。瞽瞍も亦た北面して之に朝す。舜、瞽瞍を見て、其の容蹙有り。孔子曰く、斯の時に於いてや、天下殆いかな、岌岌乎たり、と。』識らず、此の語誠に然るか。」孟子曰く、「否。此れ君子の言に非ず。齊の東野人の語なり。堯老して舜攝するなり。堯典に曰く、『二十有八載、放勳乃ち徂落す。百姓、考妣を喪するが如し。三年、四海、八音を遏密す。』孔子曰く、『天に二日無く、民に二王無し。』舜既に天子為り。又天下の諸侯を帥いて以て堯の三年の喪を為さば、是れ二天子なり。」咸丘蒙曰く、「舜の堯を臣とせざるは、則ち吾既に命を聞くことを得たり。詩に云う、『普天の下、王土に非ざるは莫く、率土の濱、王臣に非ざるは莫し。』而して舜既に天子為り。敢て問う、瞽瞍の臣に非ざるは如何。」曰く、「是の詩や、是を之れ謂うに非ざるなり。王事に勞して、父母を養うことを得ざるなり。曰く、『此れ王事に非ざること莫し。我獨り賢勞す。』故に詩を説く者は、文を以て辭を害せず、辭を以て志を害せず、意を以て志を逆う。是れ之を得たりと為す。如し辭のみを以てせば、雲漢の詩に曰く、『周餘の黎民、孑遺(ゲツ・イ)有ること靡し。』斯の言を信ぜば、是れ周に遺民無きなり。孝子の至りは、親を尊ぶより大なるは莫し。親を尊ぶの至りは、天下を以て養うより大なるは莫し。天子の父為るは、尊ぶの至りなり。天下を以て養うは、養うの至りなり。詩に曰く、『永く言に孝思う、孝を思えば維れ則たり。』此れ之を謂うなり。書に曰く、『載を祗みて瞽瞍に見え、夔夔として齊栗す。瞽瞍も亦た允とし若えり。』是を父得て子とせずと為す。」

<語釈>
○「蹙」、音はシュク、踧に通じ、踧踖の意、おそれつつしんで、かしこまる意。○「岌岌乎」、趙注:岌岌乎は、安んぜざるの貌。○「放勳乃徂落」、趙注:放勳は、堯の名なり、徂落は、死なり。○「考妣」、考は父、妣は母、父母の事。○「遏密八音」、遏密(アツ・ミツ)、停止する意、八音は音曲。○「文、辭」、朱注:文は字なり、辭は語なり。文は一字を言う。辭は語句を言う。○「孑遺」、孑(ゲツ)は、あまり、のこりの意があり、孑遺で生き残った民の意。○「書曰、祗載~」、趙注:書は尚書の逸篇、「祗」は「敬」、「載」は「事」、夔夔(キ・キ)齊栗は、敬い慎みしみて戰懼する貌。朱注:「允」は「信」、「若」は「順」なり。

<解説>
断章取義という言葉がある。『詩経』や『書経』など諸本から都合のよい章句だけを取り出して、文章全体との意味合いを鑑みずに解釈することである。これは昔も今も生半可な文人がよくやる手法である。この節では、それを誡めて「文を以て辭を害せず、辭を以て志を害せず。」と述べている。誠にその通りであるが、当の孟子自身がこの手法をよく使っている。