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『史記』張丞相列伝

2018-08-30 10:29:14 | 四書解読
張丞相蒼は、陽武の人なり。書律歷を好む。秦の時、御史と為り、柱下の方書を主どる(索隠:周秦皆柱下の史有り、御史を謂うなり、方書は、如淳は以て方板と為す、小事は之を方に書すと謂う)。罪有り亡げ歸る。沛公の地を略し陽武を過ぐるに及び、蒼客を以て從い南陽を攻む。蒼法に坐し、斬に當し、衣を解き質に伏す。身長大にして肥白なること瓠(ひょうたん)の如し。時に王陵見て其の美士なるを怪しみ、乃ち沛公に言い、赦して斬る勿らしむ。遂に從いて西し武關に入り、咸陽に至る。沛公立ちて漢王と為り、漢中に入る。還りて三秦を定む。陳餘撃ちて常山王張耳を走らす。耳漢に歸す。漢乃ち張蒼を以て常山の守と為し、淮陰侯に從いて趙を撃たしむ。蒼、陳餘を得たり。趙の地已に平らぎ、漢王、蒼を以て代の相と為し、邊寇に備う。已にして徙りて趙の相と為り、趙王耳に相たり。耳卒し、趙王敖に相たり。復た徙りて代王に相たり。燕王臧荼反す。高祖往きて之を撃つ。蒼代の相を以て從いて臧荼を攻め、功有り。六年中を以て封ぜらられて北平侯と為り、邑千二百戶を食む。遷りて計相(漢初の臨時の官名、朝廷の財政を掌る)と為ること一月。更めて列侯を以て主計(計相を改めた臨時の官名)と為ること四歲。是の時蕭何相國為り。而して張蒼乃ち秦の時自り柱下史と為り、天下の圖書計籍を明習す。蒼又善く算律歷を用う。故に蒼をして列侯を以て相府に居り、郡國の上計者(会計を報告するもの)を領主せしむ。黥布反し亡ぶ。漢、皇子長を立てて淮南王と為す。而して張蒼之に相たり。十四年、遷りて御史大夫と為る。
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