スマート詩吟は面白い

スマート詩吟及び福祉詩吟は私の造語です。それらの普及を図っていきたいと思います。

闘病記 5/24回(竜宮城への旅が終わって)

2012-09-18 09:32:37 | エッセー「竜宮城への旅が終わって」

前回4回から続く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

3.救急病院

 自分で変だと思ったスーパでの出来事から救急病院に運び込まれる迄、30分~40分である。集中治療室に運ばれた時も医師の言っていることが全部聞こえてきた。

「ここだ!!ここだ!!」と内出血した場所をCTMRIで確認したのだろう。「この内出血が大きくなれば、手術しますよ!!」と医師が妻に言っていることも解った。「但し、手術となると相当難しい奥の方ですから承知していて下さい」ということも聞こえた。

幸か不幸か止血剤でその出血部位は大きくならなかったので手術には至らなかった。この時点で私は未だ後遺症を抱える身になるとは思わなかった。この時点で左手・左足の力は入らないが動かない訳ではなかったからである。救急病院入院後も、あと数日で正月だから数日の辛抱であろうとさえ思った。夢であって欲しいなあと思うと同時に、ここ数ケ月無理したなあという思いが巡らした。

大学卒業後60歳定年まで勤務し更に子会社に転籍し、5年後同社を退職して埼玉県にある団体組合に勤務した時には65歳の新入社員であったが、気持ちとしては未だ50歳代と思っていた。愚痴を言わせてもらうと、契約書類上はパート的勤務であるが実態は中小零細企業100社超の事務局長としての纏め役であった。定年後65歳からの勤務としては、技術者として働いてきた私にはどこかが少しだけ荷が重いところがあったのだろう。横浜・埼玉の片道2時間の通勤に加え、3ケ月間は前職場の送別会が終わり、引き続き歓迎会から始まり忘年会まで新しい人間関係を築く為の行事でびっしりであった。お酒の好きな私にとって苦痛は何もなかったが、そう簡単な甘いこととして神様は許してくれなかった。これを最後の愚痴とするので許してもらいたい。「何が無理だったのだろうか?」という問いかけには前述の「お酒」に関する答えがすぐ出たが、それに反発するかの様に「私は何から解放されたかったのだろうか?」という安堵感があったのも確かである。この時に「ほっとした気分」が一瞬でもよぎったのは何故だったのだろうか?

多分あまりにも人生を休まないで一生懸命走り続けてきたからだろう。集中治療室では数日入院したら元通りに回復して、団体組合の勤務先に復帰できると未だ簡単に考えていた。入院翌日団体組合に年末のあいさつ回りはできないが、新年のあいさつ回りは出来ると電話した。

この様に自分の判断の中に「後遺症」という文言は何も無く「ほっとした気分があった」ということが解ってもらえると思う。一歩間違えると「死」と向かい合うことになりかねなかったが、人間意識があると「死」を絶対考えないものである。意識が無い場合も考える余裕がないが、何れにしても「死」の恐怖は日常にあるので、二度と再発しない為に体験をベースに今日の出来事を明日に繋げる様に顕在化しておく必要がある。

痛い目に合って人間初めて気付くものだと何人かの方から指摘された。

 

次回に続く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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闘病記 4/24回(竜宮城への旅が終わって)

2012-09-17 11:12:19 | エッセー「竜宮城への旅が終わって」

3回から続く、今回は連載4回目

発症時は妻の買い物に同行した慌ただしい年末の12月末夕方スーパの階段を降りた所で、右脳の奥でプツンと何か切れた様な気がした。確かにドロッとした液体が右脳の中で流れ出た気がした。何か変だなあと思い、とにかく家に帰って横になった方が良いと思い、自家用車のハンドルを握った。助手席には買い物を終えた妻がいた。そのスーパから自宅までは車で10分位の距離である。

 

私はその時点で妻に何か変な具合とは言わなかった。しかし、運転中、左へ左へと車が寄り、妻から「電信柱にぶつかるわよ!!と何回か注意された。約10分後自宅の駐車場に着き、妻は先に買い物袋を下げて自宅に入った。私も後を追いかける様に、先ずサイドブレーキを左手で引いたが殆ど力が入らない。やっとの思いで両手でサイドブレーキをかけたが、次には歩行がままならない。フェンスや植木に摑まりながら歩き、倒れこむ様に玄関の中に入って、妻に「なんだか身体が変だから救急車を呼んで!!」と言った。

 

救急車に電話するなんて65年間で初めての出来事である。私はその時は大変なこととは思いもしなかった。妻も全く同様であったはずである。たった今まで元気そのもので、買い物をして車を運転していた訳だから。更に10分後救急車が到着するまで私自身も意識ははっきりしていたので、まさか片マヒ後遺症が残る脳内出血とは思わなかった。呑気と言われても止むを得ない。そんなものなのかもしれない。しかし正直なところは、脳の病気とは思いたくなかったのかもしれない。

 

10年前父が脳梗塞で左片マヒとなり、白血病で亡くなるまで数年間苦労していたのを介護したことがあったから多分その時のことが脳裏にあったと思う。救急隊員から病院に着くまで酸素マスク着用して「姓名は?」、「住所は?」、「誕生日は?」、「今、自分がどういう状態か解るか?」等々同じ質問をされたが、きちんと受け答え出来たと思う。

 

次号5回目に続きます。

 

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闘病記 3/24回(竜宮城への旅が終わって)

2012-09-16 13:54:45 | エッセー「竜宮城への旅が終わって」

 

2.発症その時

 

今思い出すと、発症前1ケ月位は肩こりと右腕の痺れがあった。肩こりが大病の前触れと思うはずもなく、痺れに関しては殆ど日に数回の瞬間的な症状なので、すぐに忘れ去る他愛もないことで済ませていた。パートのような業務である団体組合の仕事を覚え始めた3ケ月経過した際の発症であるが、発症した12月は月初から同組合参加企業100社超の支部毎の忘年会を兼ねた支部会等が開催され相当ハードな毎日を過ごしていた。

 

 私はお酒に関しては自信があり、殆ど飲まれることはなかった。若い人にも「二日酔いは絶対しないで、翌朝は這ってでも出社する様に!!」と言い聞かせていた。飲酒の多さに関しては肝機能の悪化ばかり気にして、休肝日週2日、年100日を厳守していた。肝機能が不良になることはなかったが、高血圧気味であったことは余り気にしなかったことが今回発症の遠因である。

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闘病記 2/24回(竜宮城への旅が終わって)

2012-09-16 13:45:41 | エッセー「竜宮城への旅が終わって」

 

1.はじめに

 

 私は65歳になった2010(平成22)12月末脳内出血を発症し、それから約18ケ月経過した。入院期間4ケ月だから退院後14ケ月である。現在左片マヒ第13級の身体障害者手帳を持つ66である。脳卒中の病気は、誰しも私と同様に突然発症し、私と同様な経過をたどったと思う。脳卒中という病気の闘病記であれば、殆ど同じ様な経緯の自伝になると思われるが、私は出来るだけこの機会に内面の心の移り変わり・気持ちを表層化し、まだ受容できていない自分にけじめをつけたいと思っている。私は入院中及び退院後も他の方の闘病記を読むことによって、相当励まされたので本原稿もこれからの同病の方の益になりたいと思っている。

 

振り返ると私は1945(昭和20)12月に長崎県大村市の波静かな大村湾となだらかな多良岳に育まれた田園風景広がる田舎で2人兄弟の長男として生まれた。高校卒業する頃は高校教諭を目指し、大学に進学したが、1964(昭和39)年東京オリンピック後の不況期もあったが、大学進学したことを契機に世の中は重厚長大の高度技術力を要求していると同時にそれに応えたいという青春の意気を感じ、九州工業大学卒業時には東京に本社・製作所がある日本酸素という化学メーカに就職した。この時には長男でありながら、長崎へ故郷就職する選択肢は気にしなかった。三菱長崎造船所の設計技師だった父はこの時点では少なくとも私の東京就職を喜んでくれたと思う。また、母も私が自立することで喜んでくれたはずである。しかし、今回発症と同時に頭の中を思い巡ったことが大学卒業時22歳での旅立ちが最も選択を間違ったのではないかということは皮肉なものである。以来東京周辺に技術者として勤務し、60歳の定年後も5年間子会社で勤務し、更に同業種団体組合の事務局長に就任した矢先の発症だった。

 

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闘病記 1/24回(竜宮城への旅が終わって)

2012-09-13 19:10:15 | エッセー「竜宮城への旅が終わって」

 

ある雑誌社に投稿した「闘病記」を24回に分割して、私のブログで発表します。

出来るだけ毎日更新していきますので、最後までお付き合いください。

400字詰め原稿用紙約40枚で、全文字数は約15000文字です。

タイトルは「竜宮城への旅が終わって」です。ご期待下さい。

では、目次からですが、はじまり・・・はじまり・・・です。

 

竜宮城への旅が終わって

 

脳内出血による1.5年間闘病記

 

 

目次

 

1.はじめに              2ページ

 

2.発症その時             3ページ

 

3.救急病院              4ページ

 

4.リハビリ病院   10ページ

 

5.退院  13ページ

 

6.片マヒ自立研究会への参加      14ページ

 

7.障害者スポーツセンタ        15ページ

 

8.実家帰省              17ページ

 

9.社会参加              18ページ

 

10. 家族               19ページ

 

11. これから             19ページ

 

参考図書等              22ページ

 

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