スマート詩吟は面白い

スマート詩吟及び福祉詩吟は私の造語です。それらの普及を図っていきたいと思います。

闘病記 2/24回(竜宮城への旅が終わって)

2012-09-16 13:45:41 | エッセー「竜宮城への旅が終わって」

 

1.はじめに

 

 私は65歳になった2010(平成22)12月末脳内出血を発症し、それから約18ケ月経過した。入院期間4ケ月だから退院後14ケ月である。現在左片マヒ第13級の身体障害者手帳を持つ66である。脳卒中の病気は、誰しも私と同様に突然発症し、私と同様な経過をたどったと思う。脳卒中という病気の闘病記であれば、殆ど同じ様な経緯の自伝になると思われるが、私は出来るだけこの機会に内面の心の移り変わり・気持ちを表層化し、まだ受容できていない自分にけじめをつけたいと思っている。私は入院中及び退院後も他の方の闘病記を読むことによって、相当励まされたので本原稿もこれからの同病の方の益になりたいと思っている。

 

振り返ると私は1945(昭和20)12月に長崎県大村市の波静かな大村湾となだらかな多良岳に育まれた田園風景広がる田舎で2人兄弟の長男として生まれた。高校卒業する頃は高校教諭を目指し、大学に進学したが、1964(昭和39)年東京オリンピック後の不況期もあったが、大学進学したことを契機に世の中は重厚長大の高度技術力を要求していると同時にそれに応えたいという青春の意気を感じ、九州工業大学卒業時には東京に本社・製作所がある日本酸素という化学メーカに就職した。この時には長男でありながら、長崎へ故郷就職する選択肢は気にしなかった。三菱長崎造船所の設計技師だった父はこの時点では少なくとも私の東京就職を喜んでくれたと思う。また、母も私が自立することで喜んでくれたはずである。しかし、今回発症と同時に頭の中を思い巡ったことが大学卒業時22歳での旅立ちが最も選択を間違ったのではないかということは皮肉なものである。以来東京周辺に技術者として勤務し、60歳の定年後も5年間子会社で勤務し、更に同業種団体組合の事務局長に就任した矢先の発症だった。

 

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