太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

この国の形

2020-10-27 08:02:04 | 日記
 首相の所信表明演説があった。実務的と評価する者、もう少し大きな国家ビジョンをという両方の意見がある。凡夫が感じたのは後者でありやや物足りない気がした。先代のようにキャッチコピーが過ぎるのもどうかと思うが列挙された殆どのものは具体的ではあるが担当大臣が言うべきことのように思った。ではこの国の形をどうするのか、総理大臣になった気分で言うと、ズバリ「尊敬される国になる」である。それは経済大国でも軍事大国でも環境大国でもできないことだ。尊敬される国になる為には国民から信頼される政府であることは勿論、時には痛みを伴う政策をも厭わない勇気が必要だ。あらゆる政策は徳をもって正義で貫かなければならない。青二才、書生ッぽいと言われるかもかも知れないが全ての大臣の所信の上に立つ所信だから抽象的であっても構わないと思う。具体論は担当に任せる。その具体論に「君はそれが国民の信頼獲得に繋がりひいては世界から日本が尊敬されることに資するか。」と必ず聞くべきである。2050年に脱炭素社会を目指すというのは宣言が遅すぎたという批判もあるが、It is never too late to mend.だ。遅れを取り戻すために世界が驚くようなロードマップを作ればよい。早々と宣言しても実行に移さなければ意味がない。さすがに日本は違う、自分たちもああいう国になりたと多くの国が思う、そういう国造りを目指します。これで足りる。ジェスチャーや表情が如何にもパフォーマンス的だった前任に比べ些かアッピール力に劣るが真似する必要はない。表現過多の一方で殆ど無表情だった総理も過去にも居たがどちらかが優れていたとも言えない。要は結果である。
 実務型は何処の会社でも居たと思う。彼らの難点は何でも自分でやらねば気が済まないことである。やったことの責任の所在が明らかになるのは良いことだが仕事の範囲を広げるにはどうしても人を使う、任せるということが欠かせない。偶にあれは人がやった事と他人に責任をなすりつける輩も、特に官僚では居たがトップリーダーとなると権限は委譲して責任は自分で取るという覚悟は常に必要である。所信表明演説は役人が作った寄せ書きを朗読したようなものである。リーダーとしての本当の試練はこれからの国会論戦から始まる。長期政権になるかどうかも意外と早く分かるような気がする。多くの議員さんが担いだ神輿をどれくらい支えられるか、いや支えるべきだが国会劇場の開幕を楽しみにしている同好の輩は結構居る。今日はハゼ釣りに行ってみよう。勿論趣味ではなくおかず、漁業である。この辺りの自由はトップリーダーならぬボトムフォロワーの特権である。