太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

国民の負託を受けている

2020-10-07 08:50:39 | 日記
 議員は国民の負託を受けているというが選挙で選ばれているという意味だろう。本当にそうだろうか。選挙は精々数万票あれば当選する。この数万人をもって国民というのは如何なものか。アイツには負託できないと思っても私は大阪の議員を落すことはできない。負託していない国民の方が圧倒的に多い筈だ。選挙のある議員だけが負託を受けているのかと言うとそうでもない。国家公務員だって選挙で選ばれはしないが公務員試験がある。国民はこの試験を認めているから負託しているのと同じではないか。公務員らしい仕事をしてねという思いを込めて負託である。その意味で議員だけが国民の負託を受けていると弁明擁護するのは腑に落ちない。俺は国民の負託を受けていると威張る奴はもっと許せない。せめておれは××区の××万人から責任を引き受けさせられていると言うべきだろう。勿論比例当選議員は言うべきでない。
 学術会議の会員拒否問題で異論反論こそ我がレゾンデートルとする一部有名人の論評を見てふとそう思った。かと言って全ての学者の肩を持つ気はさらさらない。寧ろ仕事に関連する委員会の傍聴ではあまりに御用学者が多く嫌悪感すら抱いていた。最も受け入れられなかったのはあまりに世間を市場を産業を知らない学者が多過ぎたことである。本人にズレの感覚など無かっただろう。悪意があったとも思えないが偏狭に映ったのはこちらに学識が無かったからだろうがと謙虚に。負託されていようがいまいが双方に求められるのは謙虚さである。謙虚というのは、もしかして相手のいう事の方が正しいのではないかと常に自分の中で反芻することである。会社組織というヒエラルキーの中に長く身を置くとつい忘れてしまうのが謙虚さである。市民講座などで左右関係しかない集団で気づかされたのは謙虚でなければ受け入れられないということである。この年での反省である。