太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

行き当たりばったり

2020-10-05 08:07:03 | 日記
 夏野菜も終わった。狭い庭だが毎年幾つかの野菜を植えている。収穫が楽しみというより日々大きくなる苗を見るのが面白い。もしかしてジッと目を凝らしていれば伸びているのが見えるのではないかと思う程成長は早い。今年も最後のキュウリとゴーヤを採って終わった。枯れた蔓やミニトマトを引っこ抜き少し庭を綺麗にした。野菜を植えるなど働いている頃は予想もしていなかった。どう考えてもプロが育てたものより安くて美味いものなど出来る筈がない、何よりも半年もずっと待って結果(収穫)が出るなど悠長なことは自分の性格には合わないと決めつけていた。
 一つだけ抜けがあった。やることがなくなったらやることもあるということだ。市民講座もしかり。今更学んで何になると思っていたが行くところもないので通い始めた。役に立ちそうにも教養にもならない場合もあるが決められた時に決められたところに行くというメリハリは感じる。B級読書もしかり。特に興味がある分野とか好きな作家が居る訳でも無い。古本屋で手当たり次第大人買いをして乱読する。これが一番の時間潰しになる。唯一、人類の起源についての何冊かは面白いと思ったが古本屋で探せる関連図書はもう殆ど読んでしまった。釣りによく行くが趣味かと言われるとそうでもない。B級読書が少しは頭の体操になるように潮風に当たりながら立ったり座ったりは多少の運動にはなると思っている。勿論釣れるに越したことはないが。定年後何をするか、したいかなど全くのノープランで突入したから目的もない雑事の日々である。
 振り返って見ると子供の頃大きくなったら何になりたいとか学生時代社会に出たら何をしたいとか、勤めてからはどうなりたいとか思った事が無い。都度様々な事情から道は決められていたように思う。それでも結構充実したサラリ-マン生活まで終えることができた。あの時の選択はとか後悔したことはない。流れるままに現実を受け入れてきた。得意な事とか趣味や野望など無くとも人生は過ぎる。裏返せば特に苦手とか不得手なものもなく平凡であるが大きな望みが無いから失望もない。好きな事くらいはあるだろうと言われれば迷わず、煽てられることである。今でも好きで勘違いさせてくれる。勘違いこそ人生最大の幸せである。焦ってはいない。その内自分はこれをやるべきだという事が自然に決まって来ると思っている。