太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

今年は不作なのか

2020-10-04 09:49:57 | 日記
 昨日は市民講座が午前と午後のダブルヘッダーだった。大きなホールで開催だったが蜜を避けるため座席が決められ間が2席空けられるのでゆったり聴講できるので楽だった。午前は生命科学の立場でDNAからゲノムまでの講義、午後はアジア近現代の輪郭と展望だった。昨年の講義は毎回専門家が自らのメッセージを込めているものが多くかなり興味深いものだった。しかし今年はカリキュラムが当初予定から変更され講師陣も変わってしまったせいか、急造講師陣には講義にメッセージ性(講師が伝えたい自分の考え)は殆ど無く総花的な解説講義が多い。昨日も生命科学は用語の説明、アジアは地理と歴史の教科書を読むようだった。昨年と今年の違いは例えるならサラリーマン化した公立校の教師と予備校の講師の違いに似ているのではないだろうか。一般教養を身に付けるなら淡々とした公立教師で伝えたいポイントを明確にするの予備校講師といった違いである。市民講座の聴講生はある程度の一般教養は身に付いており聴きたいのは「自分以外の人の考え方」である。毎回講師陣は著作物も多く、それなりの専門家ではあるが読んだら分かることを長々と説明されても興味は湧かない。生命科学ではクローン人間を作ることは神の領域を冒すことになり私は反対ですが先生はどう思われますかとよくある質問があった。クローンのことは何一つ講義に出てこなかったのに何という質問だと思ったが答える講師も長々と意味不明の説明をしたため時間が無くなり質問は締め切られた。日本では遺伝子操作で作られた農産物に対しては安全性の問題で認可に慎重ですが、品種改良も自然には交配の可能性の少ないものを掛け合わせると言う点で遺伝子操作に近いと思いますが線引きはあるのでしょうかという私の質問は出来なかった。今年は昨年のように最初に手を挙げて質問するのは控えている。昨年と同じ聴講生の顔ぶれも多く、またアイツかと思われるのも嫌だからだ。今年は質問者がゼロだった時に講師もバツが悪いだろうからそういう時に限ろうと思っている。さて何時まで我慢が続くか。アジアでは南北朝鮮の統一と中国台湾の統一はどちらが可能性がありますかと聞くやつが居た。それは民族が決めると思いますと答えた。禅問答に近い。質問は一切浮かばなかった。今年は不作か。
 身近な例がある。庭の柿の木が一切実をつけなかった。10個ほど生ったが小さく青いうちに落ちてしまった。郊外を走っているときに庭に柿木を見かえるとつい気になって眺めるがどれも実が少ないように思う。昔海外通の上司から柿は外国には無いと聞かされていたが中国の田舎に調査に行った時背負い籠一杯の柿を土産に貰ったことがある。上司はヨーロッパの出張が多く、感覚では中国は海外に含まれていないことを後から知った。数多くの国に行ったがちょっと行ったぐらいでその国を語るのは烏滸がましいと自戒し始めたのは相当後になってからである。いや、いまでも××国はねえなどと生意気な口をきいている自分が恥ずかしい。アジアの講師はアジ研に長く勤めていた人だ。昔、あまり馴染みの無い国に行かなければならない時にアジ研の人に話を聞く機会があった。仲介してくれた人があの国の専門家は非常に少ない、お礼に5万円くらいは必要だと言われた。菓子折り一つくらいは儀礼的に持参するが金を払ってまでは行かないと言ったら仲介者が自腹を切ったのか出掛けた。実に限定的な経験談ばかりで菓子折りも勿体なかったと思った。アジ研のイメージをその時作ってしまったのは反省しなければならないが。
 不作と言えば新政権はどうだろう。出だしの支持率は非常に高く期待は持たされるが気になることがある。ブログに書いたこともあるが全国紙であるY紙が政権とソーシャルディスタンスを保ち始めたのではないかということだ。それは社説はもとより解説記事に出て来る学者や採用読者投稿欄に微妙な違いを読み取ることができる。前政権とはそれこそ蜜、最強の応援団だったのが今では前政権の批判ともとれる論調もある。長年購読したA紙から正反対とも言える今のY紙に購読を変えてから数年、こんなことは感じなかった。メディアの雄Y紙と何かあったならば新政権は相当痛い。いまの内に関係修復をしないと不作になりかねない。その分A誌がすり寄りつつあるからバランスはとれる?そうとも言える。