太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

我が身は腐葉土

2020-10-15 07:27:04 | 日記
 サラリーマン時代、身だしなみには一応の注意を払っていた。オシャレという意味ではない。人と会う機会が多く、相手に生理的に不愉快な思いをさせてはならない。ワイシャツの袖口はあくまで白くスーツは皺など入っていてはならない。髪の毛は乱れなく73に、年が行ってから短髪で清潔感をモットーにしていた。それが定年後人に会う機会もめっきり減り、特に気を遣う必要もないのだが頭髪だけは譲れない。横の髪が耳に触れるようになると何だかモゾモゾと虫が這っているような気がする。今では益々短くして坊主に近い。それなら非組の安い散髪屋でも大丈夫でしょうと言われるがそこはプライド、定額料金の散髪屋に今も通っている。店主も年が行って今では髪型に何の説得力もない禿げ頭になっているが相変らず、何時ものように短く?と確認してくれるのは水戸黄門の決め台詞のような安定感がある。昨日は今では贅沢な行為となってしまったその定額散髪に行った。午前に行くと珍しくオバサンが散髪をしていた。赤青白の回転式サインポールがあるので明らかに理容室(散髪屋)なのでパーマを当てているのではないと思うが珍しい。パーマを解いて新しい髪型にしているのか、小一時間掛かるので午後ならと言われて再度午後出かけた。今度はパンチパーマのおっさんが座っている。禿げ頭の店主だが美容師の免許も持っているのかと思ったがやはりパーマをあてているのではない。もう一度来るのも億劫なので待つ事にした。どうも顔そりと乱れたパンチの調髪らしく盛んに生え際の処理をしている。これも1時間くらい待つ事になった。先客のせいでも店主のせいでもないのでイラついてもしょうがない。
 諦めて雑誌と新聞を読破した。やっと順番が来たが最近はバリカンを使って粗方短くする。それまでは鋏だけだったがバリカンを使ってもよろしいですかと聞かれNOという理由もなくOKした。大きな鏡で自分と向き合うのは何だか照れくさく世の中で見たくないものの一つだが床に落ちた切った髪を見るとああ散髪に来てよかったと納得する。現役の頃には当たり前だった行為が今では贅沢な行為となってしまった。さりげなく文章の中に理容室と美容室の違いを盛り込んでおいたのが分るだろうか。
 スーツを着る機会はめっきり減ってチノパンが多いが破れてもあまり気にならない。といっても流行りのダメージパンツはダメで継ぎ当てされていなくてはならない。服装に関して拘りがあるとしたらなるべく楽なサイズで軽いものをという基準である。さらに丈夫で長持ちするに越したことはない。先日の市民講座は雨だった。建物の前通路は苔が生えていて滑りやすい。隣の人が恐る恐る歩いていた。こちらは先日ワークマンで買ったノンスリップの靴を履いていたのでこういう靴なら滑り難いですよと見せたら、アレッ私の靴と同じですよと色もデザインも同じものを見せてきた。ホームセンターで買ったとのこと。こちらは釣りの時スパイク長靴が高かったので選んだのだが、そんな目的は言わず、年が行くと思わぬ所で滑って大けがになることもありますからねえと同類項。そういえば講座に出ている聴講生は皆同じ年代で服装や髪型まで似ている。野球帽もよく見るし100均で買ったビニール手提げも何人かは持っていた。ファッションよりも実利の年代である。困るのは偶に東京へ出なければならない時今サラリーマンはコートを着ているのか。マフラーは、スーツはもう冬用かと悩むことである。実用的ではなくても形式的、虚飾的なものを要求するのが東京である。
 「我一葉 積る枯れ葉に なお積る やがて野になり 若葉のために」。もう後先もわからずそっと社会に紛れ込む、初老を迎えた安堵と寂しさ。その他大勢、目立たぬ一葉であっても春の若葉のための肥やしの一部にはなれるかと微かな自己満足に浸る。素晴らしい句です。拙老作。
大老の声が聞こえそうです。君らの重みでこちらは半分腐葉土になっているのだぞと。お見逸れしました。新参の落ち葉です。