ネット記事でコロナ感染で重症化リスクが高い原因はネアンデルタール人由来の遺伝子にあるというものがあった。昨年はB級読書でも人類の進化に関する本を何冊か読んだ。その中に現代人の数%はネアンデルタール人固有の遺伝子を持つ者がいるというものがあった。ヨーロッパに進出していたネアンデルタール人は後からやって来たホモ・サピエンスに絶滅させられたという仮説に対し交雑もあった証拠だとの解説だった。確かに身の回りにはネアンデルタール人の復元模型かのような人が何人かは居る。遺伝子の追跡はそこまで可能かと驚いたがその後アメリカの犯罪者追跡に膨大な遺伝子データベースを活用し絞り込んで行く操作方法が紹介された。最近の市民講座で生命科学におけるDNA、遺伝子、染色体、ゲノムについて講義があり、つい最近ではノーベル化学賞をゲノム編集技術の開発をした博士が受賞した。これは偶然だが今読んでいる本は絶滅したアマゾンの種族の呪いがDNAを介して復活するというサスペンスである。無意識のうちに興味のある情報を拾い上げているのかも知れないが偶然も度重なると必然かも知れないと思ってしまう。
思い出すのは50年以上前の高校の生物の授業である。その先生は東大卒で何時も白衣を着て授業を行っていたが、デオキシリボ核酸(deoxyribonucleic acid)について随分難解な授業を行った。こんなことまでは受験には出ないけど流石に頭が良いと言われている君たちでも理解できないだろうとちょっとサディスティックな癖のある先生だった。確かに生物だけはテストの平均点が40点くらいで最高でも70点台と異様に難しかった。私?平均点上の人生。他の教科は平均で70くらい、ほぼ満点の生徒も結構居たのだが。プライドの高い生物の先生もネアンデルタール人から入って貰えればもう少し生物に興味を持って受験でも生物を選択していたかも知れない。もしそうだったら今DNAに興味を持つのも不思議ではないのだが。
ノーベル賞でもそうだが発明、発見の類は殆ど同時期に多発的に起こる。これは特許などでも良く有ることだ。素晴らしいアイデアで特許出願しても殆ど同時期に先行出願があったりする。これは時代の知恵が熟す時期があるという事だろう。ある特許を出願した時、全く同じ特許が英国の化学会社から出願されており変更を余儀なくされたことがある。その会社の論文を読んだことも無ければ該当特許は公開もされていなかった時である。特許は知らなかったという理由は成り立たない。我々は知らず知らずのうちに関連情報を潜在意識に蓄積しており、殆ど同時期にそれが顕在化するのではないだろうか。全くの独自性ということは希少中の希少である。ノーベル賞をみていても必ず下敷きとなる先行発明・発見がある。一人で出来ることなど殆ど無いと言っても良い。時代が齎す知恵を独自と言い切る傲慢学者は日本学術会議会員にはいないだろう。例えそれが政府の意に添わない考えでも時代を色濃く反映していることを双方は理解すべきである。
DNAは人体の設計図と言われるが人生の設計図でもある。突然変異か科学の力で設計図が変わることもあり得るが将来自身のゲノムが分る時代になったら半分が失望、半分が希望になるだろう。どこまで行っても平均点である。興味の行き着く先であっても自身のことだけは知りたくないようにも思う。設計図を変える時間も力も残っていないだろうから。
思い出すのは50年以上前の高校の生物の授業である。その先生は東大卒で何時も白衣を着て授業を行っていたが、デオキシリボ核酸(deoxyribonucleic acid)について随分難解な授業を行った。こんなことまでは受験には出ないけど流石に頭が良いと言われている君たちでも理解できないだろうとちょっとサディスティックな癖のある先生だった。確かに生物だけはテストの平均点が40点くらいで最高でも70点台と異様に難しかった。私?平均点上の人生。他の教科は平均で70くらい、ほぼ満点の生徒も結構居たのだが。プライドの高い生物の先生もネアンデルタール人から入って貰えればもう少し生物に興味を持って受験でも生物を選択していたかも知れない。もしそうだったら今DNAに興味を持つのも不思議ではないのだが。
ノーベル賞でもそうだが発明、発見の類は殆ど同時期に多発的に起こる。これは特許などでも良く有ることだ。素晴らしいアイデアで特許出願しても殆ど同時期に先行出願があったりする。これは時代の知恵が熟す時期があるという事だろう。ある特許を出願した時、全く同じ特許が英国の化学会社から出願されており変更を余儀なくされたことがある。その会社の論文を読んだことも無ければ該当特許は公開もされていなかった時である。特許は知らなかったという理由は成り立たない。我々は知らず知らずのうちに関連情報を潜在意識に蓄積しており、殆ど同時期にそれが顕在化するのではないだろうか。全くの独自性ということは希少中の希少である。ノーベル賞をみていても必ず下敷きとなる先行発明・発見がある。一人で出来ることなど殆ど無いと言っても良い。時代が齎す知恵を独自と言い切る傲慢学者は日本学術会議会員にはいないだろう。例えそれが政府の意に添わない考えでも時代を色濃く反映していることを双方は理解すべきである。
DNAは人体の設計図と言われるが人生の設計図でもある。突然変異か科学の力で設計図が変わることもあり得るが将来自身のゲノムが分る時代になったら半分が失望、半分が希望になるだろう。どこまで行っても平均点である。興味の行き着く先であっても自身のことだけは知りたくないようにも思う。設計図を変える時間も力も残っていないだろうから。