太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

時代の知恵が熟す時

2020-10-13 07:12:44 | 社会観察
 ネット記事でコロナ感染で重症化リスクが高い原因はネアンデルタール人由来の遺伝子にあるというものがあった。昨年はB級読書でも人類の進化に関する本を何冊か読んだ。その中に現代人の数%はネアンデルタール人固有の遺伝子を持つ者がいるというものがあった。ヨーロッパに進出していたネアンデルタール人は後からやって来たホモ・サピエンスに絶滅させられたという仮説に対し交雑もあった証拠だとの解説だった。確かに身の回りにはネアンデルタール人の復元模型かのような人が何人かは居る。遺伝子の追跡はそこまで可能かと驚いたがその後アメリカの犯罪者追跡に膨大な遺伝子データベースを活用し絞り込んで行く操作方法が紹介された。最近の市民講座で生命科学におけるDNA、遺伝子、染色体、ゲノムについて講義があり、つい最近ではノーベル化学賞をゲノム編集技術の開発をした博士が受賞した。これは偶然だが今読んでいる本は絶滅したアマゾンの種族の呪いがDNAを介して復活するというサスペンスである。無意識のうちに興味のある情報を拾い上げているのかも知れないが偶然も度重なると必然かも知れないと思ってしまう。
 思い出すのは50年以上前の高校の生物の授業である。その先生は東大卒で何時も白衣を着て授業を行っていたが、デオキシリボ核酸(deoxyribonucleic acid)について随分難解な授業を行った。こんなことまでは受験には出ないけど流石に頭が良いと言われている君たちでも理解できないだろうとちょっとサディスティックな癖のある先生だった。確かに生物だけはテストの平均点が40点くらいで最高でも70点台と異様に難しかった。私?平均点上の人生。他の教科は平均で70くらい、ほぼ満点の生徒も結構居たのだが。プライドの高い生物の先生もネアンデルタール人から入って貰えればもう少し生物に興味を持って受験でも生物を選択していたかも知れない。もしそうだったら今DNAに興味を持つのも不思議ではないのだが。
 ノーベル賞でもそうだが発明、発見の類は殆ど同時期に多発的に起こる。これは特許などでも良く有ることだ。素晴らしいアイデアで特許出願しても殆ど同時期に先行出願があったりする。これは時代の知恵が熟す時期があるという事だろう。ある特許を出願した時、全く同じ特許が英国の化学会社から出願されており変更を余儀なくされたことがある。その会社の論文を読んだことも無ければ該当特許は公開もされていなかった時である。特許は知らなかったという理由は成り立たない。我々は知らず知らずのうちに関連情報を潜在意識に蓄積しており、殆ど同時期にそれが顕在化するのではないだろうか。全くの独自性ということは希少中の希少である。ノーベル賞をみていても必ず下敷きとなる先行発明・発見がある。一人で出来ることなど殆ど無いと言っても良い。時代が齎す知恵を独自と言い切る傲慢学者は日本学術会議会員にはいないだろう。例えそれが政府の意に添わない考えでも時代を色濃く反映していることを双方は理解すべきである。
 DNAは人体の設計図と言われるが人生の設計図でもある。突然変異か科学の力で設計図が変わることもあり得るが将来自身のゲノムが分る時代になったら半分が失望、半分が希望になるだろう。どこまで行っても平均点である。興味の行き着く先であっても自身のことだけは知りたくないようにも思う。設計図を変える時間も力も残っていないだろうから。

根元(本)の力

2020-10-13 07:12:44 | 日記
 余りと言うか全く個人には関係していないのだがGoToトラベルの割引率が変わる業者が出て来た。知らなかったが業者によって予算配分が決まっており割り当て予算逼迫による業者側の判断のようだ。予約を何処の業者のサイトでやるかで割引率が変わるのは可愛い外人さんが出てやっていたTVCMのホテル予約と変わらないと思うが客にとっては国がやる事業なのにという不公平感は否めないだろう。源資が税金か国の借金なので限度はあるとは思うがご難続きのキャンペーンである。関係していなくも無かった。年金暮らしとは言え所得税が天引きされていた。10万円の国民全員への現金給付が懐かしい。
 せめて医者に掛からぬようにと最近は自転車で散策する頻度を増して運動不足を補うようにしているが都度新しい発見もある。巡回コースの工業団地の中に桜並木があるが今は葉も殆どおちているが結構な大木が並ぶ。その桜の根が歩道のアスファルトを方々で盛り上げている。自転車はここでガクンと衝撃を受ける。根が太くなってアスファルトを押し上げ場所によっては破砕しているから根の圧力は相当なものである。根が太くなる力は知らないが例え小さな力でも長年月力を掛け続けていたらこういうこともあるのかも知れない。それともアスファルトが薄く、夏場に軟化したときに一気に押し上げるかどちらかだろう。ブログを書いていて根元と根本の違いが気になって検索したら以下の説明があった。著作権は分からないが平易な説明で分かり易くそのまま引用させて貰うと、
根本/根元;
「根元」も「根本」も「ねもと」と読む場合には、「植物の根や根のあたり」や「柱・樹木・髪など立っているものの付け根の部分」という同じ意味合いを持っています。「根元」を「こんげん」と読む場合は「物事がそこから始まっている大元・発生源・根源」という意味を持っていますが、「根本」にはその意味がないという違いがあります。「根本」を「こんぽん」と読む場合には「物事が成り立つための基本・基礎・本質になるもの」を意味していて、この意味も「根元(こんげん)」という表現にはありません。ブログを書いているとこのように都度漢字や意味を検索したりするので勉強になることは間々ある。
 書くという行為には副次的効果も多々あると思うが押印にも似たようなところがある。実印以外は何処にでも入手可能なハンコに何の意味があるのかと思いつつ押印するが一応内容は確認する。会社勤めをした人は角印と丸印の使い分けを教えられたと思うがハンコ自体に意味がある場合も多い。一方何処でも手に入るハンコより個人のサインが必要とされる書類も結構ある。パスポートが代表的だが芸能人と違って素人にはこれが結構厄介だ。サインをするたびに微妙に形が変わってしまう。間違わないようにブロック体でするとこれでは誰でも真似できてしまうと言われる。さて脱ハンコはどのような文化を生み出すのか。手続きの簡素化でやり玉に挙がっているがハンコがサインに変わるだけなら意味がない。自民党国会議員による「日本の印章制度・文化を守る議員連盟」(ハンコ議連)なるものがあって驚いた。多分日本記録の数となる押印決済書類なんかあるのかも。一体幾つ、どんな議連があるのか知りたいものだ。昔サンシャイン議員何とかもあった。