太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

おしおき柿

2020-10-12 08:08:56 | 日記
 柿の木は今年は葉っぱばかりで実は生らなかった。いっちょ前に紅葉し散り始めたら庭ばかりか前の道路、しかも側溝に随分落ちた。台風が来たら詰まってしまうので一応掃除した。とって帰しこれはおしおきが必要と殆ど丸坊主になるまで枝を切り落とした。さて来年はどうなるか。庭にイチジクの木もあるが苗木を買って植えたらやたら大きな葉をつけて狭い庭に随分影を作ってしまった。そのせいで何もしなくても育つ紫蘇や獅子唐は大きくならなかった。3年目の今年は2個だけ実が生った。来年は期待できるので坊主にするのはよそう。子供の頃よく食べていた実が大きく熟すと先から割れる花イチジクとちがい小振りの実だが柔らかくなったので食べたら味は子供の頃のままだった。植木鉢に植えたバジルはやたら大きくなったが香草は使ったことがなく伸び放題となった。ミニトマト、きゅうり、ゴーヤに始まり、植物に興味があるかというとそうではない。何せ鑑賞用の花木は一本も無い。全て食べられるものである。ホームセンターで花の苗を買う人を見ると余裕がある生活だなあ、ああでなくっちゃと思う。そう、生活に余裕が無いから食するものを植える。釣りも良く行くが勿論食べるためである。生活の2割くらいは農漁業生活である。
 台風一過の秋晴れとは行かない曇りだったが何時もの自転車コースに出掛けた。『キンモクセイの香りを求めて』である。随分ロマンチックなことを言っているが本当にキンモクセイの香りは誰もが懐かしく大好きだろう。特に子供の頃は名前は知らなかったが生垣に小さな黄色い花を見つけると匂いを嗅ぎに行ったものだ。秋空にキンモクセイは曖昧な甘酸っぱい記憶でもある。何時もの工業団地の中だが何か所か生垣に植わっていたが残念ながら殆ど花は落ちて道路を黄色に染めていた。花が小さいので側溝に詰まることもないだろう。大人になってからは自然の香りより消臭剤の匂いの方が馴染み深い。残念ながらこれでは季節を感じることはない。これからは紅葉の季節であるが確かに紅葉スポットと言うところは美しい。しかし最近はネットの動画で行った気分になってしまう。しかも田舎育ちで紅葉は当たり前、今住んでいる所も郊外でちょっと車で走ればある程度の紅葉は見られるため新鮮味に欠ける。今行きたいとしたら松茸狩りだろうか。子供の頃ガキ大将に連れられて近くの山によく出掛けた。小高い山が連なる地方だったので一日中あっちの山こっちの山と歩き回った。採れるのは大きくて親指くらい、殆どは爪くらいの丸いものだった。食べた記憶はないので食べる習慣は無かった地方かも知れない。その後松茸は人気が出てやたら高価になったので益々食べることは無くなった。松茸の生えそうな山々はシーズンになるとロープを張ったりして入山規制が厳しくなる。子供の頃を思うと育てたわけでも無いのに何とケチ臭いと感じる。自由に駆け回れる山など日本の何処にも無いのだろう。それでも行ってみたいと思うのは採れるかどうか分からない、まさに狩りだからである。その内人工栽培ができるようになると消臭剤と同じで多分興味は失う。釣りも似たようなところがあり、ヘラブナとかアユ釣りとかに興味が無いのは放流しているからである。船釣りをしないのは船酔いするということもあるが魚探で調べて釣れそうなところに竿を出すのが公平性に欠ける気がするからである。どうなるか分からない、自然との闘いこそ狩りであり、好きなのである。多分石器時代に生まれていたら秋晴れの日には洞窟を出て必ず狩りに出かけていただろう。キンモクセイの陰で休憩し、帰り道がわからなくなるくらいまで何処までも鹿を追いかける。ナビは星と太陽。