暮らしの差し色

慢性腎臓病の夫と二人、静かな生活です

電車でむしゃむしゃ食べるおばあさん

2018-01-11 19:19:24 | 日記

きょうは、初詣に、東海道線と相模線に乗って、寒川神社に行ってきた。



JR相模線の宮山駅から徒歩5分くらいのところで、膝が悪い夫も平地を歩いてずっと本殿まで行け、お詣りできたのが、良かった。

たとえば、鎌倉の鶴岡八幡宮は、いちょうのところから、かなり高さのある階段を登って行かなければならず、年取って足が弱ってくると、寒川神社のように、最初からお詣りする本殿まで平地なのは助かる。

    


お詣りのあと、参詣みやげの八福餅(はちふくもち)と八方せんべい(ねぎみそ味)を買ってきた。


というわけで、今日のお題はこれじゃなく、帰りのJR相模線である。


相模線は、神奈川県を南北に走る単線で、日中は1時間に3本しかない。

今日のお詣りの帰りに、相模線に乗り夫と二人で座れた。

斜め前の長椅子に、老婦人と年配のおそらく娘さんと思われる人が並んで座っていた。

長椅子では、電車がローカル線と言っても、参詣客で席はほとんど埋まっている。


なにげなく目がいくと、老婦人が水筒で何かを飲みはじめた。

ああ、夏なら私もどの電車でも水分が欲しくなれば、ペットボトルでも、保温水筒でも水分補給する。

最近はあんな年齢の方も、飲むんだわ、車内で。

そう思っていた。

次にその女性に眼をやると、みかんを食べているようだ。

えええっ? みかんの皮剥いて、1個食べちゃう?

そのうち、また見たら、今度は、お菓子を食べている様子。

またバッグに手をやるので、見ていると、ブルボンのルマンドの袋だ。

いま、むしゃむしゃ食べていたのは、ルマンドか。

次は、またみかん。

そして、水筒を出してきて、飲み物をごくごく。

寒川神社のあった宮山駅から、終点の茅ヶ崎駅までの14分くらい、ほとんど動きが止まらない。

お連れの女性は、なにかスマホで調べ物をしているのか、老婦人が食べ物をすすめても断っている。


老婦人は、頭はフエルトの黄緑の帽子を深く被っており、コートはモスグリーンのオシャレな出で立ちだ。

ボックスシートのローカル電車なら、お弁当を食べるのも、ビールを飲むのも楽しい列車の旅だが(私はお酒が飲めないから飲まないが)、この電車は長椅子の通勤電車だ。


やはり、電車での飲食する姿はいただけない。

特に、年齢がいくほど、まずい。


寒川神社最寄りの宮山駅は無人駅なので、SUICAのカードをチェックイン、チェックアウトをするのも、改札に直立した装置があってそこにカードをタッチする。

さっき帰る時、茅ケ崎行きの電車が入線しようとしているところで、宮山駅の改札に急ぎ入ろうとすると、私の前をいく(先ほどの老婦人ではなく)小柄なおばあさんが、躊躇しているようだったが、そのうち、ご自分でやり方に気づいたのか、ちゃんとチェックインできた。

車内では、その小柄なおばあさんは、ドア近くにちんまりと椅子に座っているが、背もたれに寄りかかりもせず、おとなしそうな性格の滲んだ品の良い姿で、むしゃむしゃ食べていた老婦人とは対照的だ。

電車で何かを飲むのはやめようと思った時間だった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鼻水を止める

2018-01-06 18:51:22 | 健康

幼児から小学生のころまで、私は小児喘息だった。

喘息の発作で学校をよく休んだこと小学4年で養護学園に入っていたことを、最近ブログに書いた。

喘息と同時に、私は、小さいころから鼻が悪かった。



こどものころには、花粉症などは世間になかったし、花粉症のことばもなかった。

鼻水が出るのは、季節の一時期ではなく、一年中だった。



アレルギー性鼻炎という言い方はよくしていたが、何がアレルゲンかなど、調べたことはあっても、対策などなく、母もどこで聞きかじってきたのか、「青魚がいけない」などと聞くと私に青い魚は出さないようにしてみたり、毛布がよくないなどと聞くと毛布を使わせなかったり。

よく言っていたのは、「季節の変わり目に・・・」などというもっともらしい言葉だった。

しかし、私も結婚して家の中のことを全部把握するようになったら、鼻水がどんなときに出るのか気づいてきた。

押し入れにしまってある布団などの寝具を久しぶりに出してすぐ使うと、急に鼻水が出る。

これは、ダニだと気づいた。

寝具のことでは、夫も同じように鼻水を出してしまうので、確実だ。

布団を出したら、必ず干す。

寝具のカバーは洗い立てに替えて、押し入れに入っていた布団をくるんでいたカバーは使わない。

これをするだけで、ずいぶん予防になった。


掃除をして、ほこりをあげたりすると、鼻水が出てくる。

ダニもいけないが、室内のほこりもいけない。

おそらくダニも含んでいるからだろう。


しかし、そのようなことがなくても、急にツツーっと鼻水が出て、かんでもかんでも止まらないことがある。

前には塩水で鼻うがいをしていたこともあったが、即効性はなかった。

そのうち、花粉症の対症療法で、市販の鼻の洗浄スプレーをみつけた。

ここ数年はそれで、即効性があって楽になった。

ご紹介する。



「アルガード 鼻すっきり洗浄液」というスプレーで、鼻をよくかんだあとに、ノズルを鼻の穴に差し込んで、左右にスプレーを1回ずつ吹き付ける。

鼻から薬剤がたれてくるので、ノズルを拭いたあと、鼻もよくかむ。

だいたいこれで、鼻水は止まる。

エアゾールの噴霧で、買う前に思っていたのは違っていたのだが、いいものに出逢ったという感じだ。


だいたい、「季節の変わり目に」鼻がよく出たのは、変わり目に、押し入れから季節が変わったときの寝具を引っ張り出してくるからだったのだろうに、母は子供のことをよく見てないんだな、と思った。

アトピーやアレルギーの子供さんを持つお母さん方は、部屋を徹底的に掃除したり、食べ物の含有物に気を付けたり熱心なのをテレビで目にする。

うちの母は、掃除が苦手で、仕事を引退して時間ができたころでも、家の掃除はしていなかった。

子どもを育てるのもきっと苦手だったんだろうと思う。


以前、母に、「人生で一番楽しかったときはいつだった?」と聞いたことがある。

母は、「結婚前に、独身で働いていた頃」と答えた。

子どもの健康に気を配るより、仕事と食事作りでせいいっぱいだったのだろうと思う。

中学、高校と、毎朝お弁当をつくってくれて、家事をほとんど手伝わなかった私たち子どもたちの世話をよくしてくれた事にはとても感謝している。

だが、子育ては、向いてなかったんじゃないかと思うのだ。


話がそれていったが、私は、このスプレーで、楽になったと、書いておきたかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

薬と腎臓

2018-01-05 16:20:12 | 腎臓

夫は慢性腎臓病であると、書いてきたが、腎臓に負担をかけないように、毎日の生活にはいろいろと気を遣う。


やたらに市販薬や健康食品などを口にすることができない。



だから、お腹を壊しても、風邪をひいても、市販薬は飲めないから、病気に掛からないように気を付けるしかないのだ。

家族も風邪をもらってきては、移してしまうのでそこは気を付けている。


循環器科の薬の影響だったか、夫は便秘がちになってしまったことがあったが、便秘解消の薬も、腎臓に負担が掛からない薬を選んでもらってなんとか服用した。


心臓も冠動脈が狭くなっていることや、肥大していることなどから、造影剤での検査を勧められていたのだが、造影剤は腎臓に負担を掛ける。

下手をすれば、それがきっかけで人工透析に移行してしまうリスクもある。



お医者さんは、腎臓が壊れてもそれは透析で生きていくことができるが、心臓が悪くなっては生きていけないので、腎臓病の悪化の可能性があっても、心臓の検査をとる、という考え方をしている。

しかし、夫は、心臓で突然、死んでしまうことがあったとしても、腎臓の悪化で透析になって、今以上の大変な生活を送らなければならなくなるより、そちらのほうが、ましだ、と言っている。


というわけで、ただでさえ、食生活に苦心しているというのに、ほかの病気が追加、追加でくるのはかなわない。

眼科で緑内障、白内障の点眼薬も出ていて、日に何度も点眼しており、視力が落ちてきているのは白内障のせいもあるため、近いうちに白内障の手術を受ける可能性もある。


前にも書いたが、夫は、「もう早く死にたい」 と 日に一度はつぶやく。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

回転すしのラーメン

2018-01-04 19:54:28 | グルメ


昨年、11月と12月に回転すしに行った。ラーメンも食べてみたかった。

くら寿司で「胡麻香る担々麺」を



スシローで「鯛だし塩ラーメン」を


食べた。


お寿司屋さんだから、少量で出てくるのでちょうど良い。しかも安い。

どちらが美味しかったかというと、私の個人的な好みだが、スシローの「鯛だし塩ラーメン」だった。


それ以来、だしの効いた塩味の野菜のお吸い物やお雑煮、うどんなどをやたらに作るようになった。


実家のお雑煮は、母が東京生まれ、東京育ちだったので、菜鶏(なとり)雑煮といって、青菜と鶏肉のすまし汁に焼き餅を入れるのが定番だった。

母は、鶏肉には、しょう油を強めにして臭みを消すような吸い物にして、雑煮を作った。

それで、塩味のだしの効いた雑煮は、広島生まれの夫のために、料理本のレシピで「広島風お雑煮」というのを見て作っていたときがある。


今年のお雑煮は、私はスシローのラーメンの味の真似をして作ったのだが、夫は食事療法の計算済みの味噌仕立てのお雑煮を何度か自分で食べたので、その塩味のお雑煮は私だけが食べてひとり悦に入っていた。


食べさせてあげたいのになあ。美味しかったのに。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

多感な中学時代のたいせつさ

2018-01-03 20:13:19 | 日記


中学1年のとき、父は神奈川県の郊外に家を建て、私たちは東京から引っ越してきた。

学校は中学2年の4月から転校した。

新興住宅地だったので、転入生は多かった。

2年から3年になるときは、学年に1クラス増えたほどだった。

転入した直後、転校生は周囲の興味の目にさらされる。

お弁当の時間、男子のほとんどは、新聞紙に包んだお弁当をかばんから出した。

男子は、黒い革の学生カバンではなく、木綿の白い肩掛けかばんで通学していた。

ちょっとしたカルチャーショックだった。


ある日、私は、三色そぼろ弁当の日があり、おかずがポロポロするので、スプーンを持たせてもらっていた。

スプーンで食べていると、周囲の視線を感じた。

都会から来た転入生の私は、どうもお箸を使えなくてスプーンで食べていると同級生に思われていたようだった。

それで、興味深く注視されていたらしい。


転校してきた中学校は、もと田舎の地域でも、先生たちは熱心だった。

私は、この学校の授業は東京にいたときより合っていた。

英語の授業のノートのまとめ方は、指導された通りまじめに記録していたし、教わった理科の実験のレポートの書き方は、大学の実験のレポートや卒論の実験ノートのまとめ方に生かして良い評価を頂いた。

中学校の先生は、生徒のその後の人生にも影響を与えると大学のときに思った。

卒業するときは、ほかのどこの場合もそうなのだが、今のここの人間関係から離れられる、そして、高校という新生活に行けるという嬉しさでせいせいしたが、中学校は振り返りたくないような時期でもなかった気がする。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする