暮らしの差し色

慢性腎臓病の夫と二人、静かな生活です

多感な中学時代のたいせつさ

2018-01-03 20:13:19 | 日記


中学1年のとき、父は神奈川県の郊外に家を建て、私たちは東京から引っ越してきた。

学校は中学2年の4月から転校した。

新興住宅地だったので、転入生は多かった。

2年から3年になるときは、学年に1クラス増えたほどだった。

転入した直後、転校生は周囲の興味の目にさらされる。

お弁当の時間、男子のほとんどは、新聞紙に包んだお弁当をかばんから出した。

男子は、黒い革の学生カバンではなく、木綿の白い肩掛けかばんで通学していた。

ちょっとしたカルチャーショックだった。


ある日、私は、三色そぼろ弁当の日があり、おかずがポロポロするので、スプーンを持たせてもらっていた。

スプーンで食べていると、周囲の視線を感じた。

都会から来た転入生の私は、どうもお箸を使えなくてスプーンで食べていると同級生に思われていたようだった。

それで、興味深く注視されていたらしい。


転校してきた中学校は、もと田舎の地域でも、先生たちは熱心だった。

私は、この学校の授業は東京にいたときより合っていた。

英語の授業のノートのまとめ方は、指導された通りまじめに記録していたし、教わった理科の実験のレポートの書き方は、大学の実験のレポートや卒論の実験ノートのまとめ方に生かして良い評価を頂いた。

中学校の先生は、生徒のその後の人生にも影響を与えると大学のときに思った。

卒業するときは、ほかのどこの場合もそうなのだが、今のここの人間関係から離れられる、そして、高校という新生活に行けるという嬉しさでせいせいしたが、中学校は振り返りたくないような時期でもなかった気がする。

コメント
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