暮らしの差し色

慢性腎臓病の夫と二人、静かな生活です

ほとんどいなかった両親の友人

2017-08-11 09:01:23 | 日記
母は学生時代の友人が少なかった。

友人の名前すら聞いたことがない。

だが、小学校、高等女学校、その上の女子専門学校の同窓会にはよく出席していた。

J女子専門学校よりも、D高等女学校の同級生のほうが気取らずに話せて良い、と聞いていた。


母が54歳の時だったか、私が就職した年のことだった。

母は、耳下腺のあたりのリンパの腫瘍になり、働いていた臨時教師の仕事を急きょ退職し、治療に専念せねばならなくなった。

治療が始まった頃か、母の高等女学校のクラス会があった。

病院のあとに、クラス会に遅れて出席する旨 知らせてあり、会場に遅れて入った。

クラス会の中で、次回の幹事を決める段になり、母は、みんなの視線が自分に向いていることに気づいた。

司会のかたから、

「座っている椅子の背に赤いリボンが結んである方が次回の幹事です」

と、発表があり、すでに先に来ていた方たちはそれを知っていたのか1席だけ空いていたし、ひとり遅れて出席した母の椅子に赤いリボンが結ばれてあることを、それが何を意味するかを知っていたとしか考えられない周りの様子だったという。

みな、にやにやと母を見て笑っていた。

母は、病気治療で、遅れてきたのであり、これからも治療に専念するため、クラス会の幹事などできるはずもなかった。

母は、腹を立てて帰ったという。

その後、母がクラス会に参加しなくなったので、あとから、その話を知った。

  


私の両親は学生時代や若いころからの友人が少ない。

親しくしていて、子供ごころに覚えていた友人も、そういえば最近つきあってないなあ、と思い、聞いたところ、父が事情を話した。

父は同僚だった友人に借金を頼まれて貸したところ、返済が滞った。

そこで父はその友人のボーナスの日に職場に出向き、職場の事務室で、待っていて、

「やあ!」

と、素知らぬ顔で出会った風で声をかけ、その場で借金を返済してもらい、それっきり、絶交したのだそうだ。

そのようなわけで、2,3人の名前は聞いたことがあったのだが、ずっと付き合いがあるような友人は知らない。


コメント
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