暮らしの差し色

慢性腎臓病の夫と二人、静かな生活です

またもや道を聞かれる

2016-03-05 20:46:32 | 日記
先日、メガネ屋さんの帰りに、おばあさんに道を尋ねられた、と書いた。

今日は、近所のスーパーの帰り道、また道を聞かれた。

もちろん違う人だが、尋ねてきたのは、またもおばあさんだった。

小柄な(私が大柄なのだが)、上品なおばあさんだった。

私はスーパーからうちに帰るとき、途中、自転車を しばし停めて、ケータイのメールを入力していた。

そこへ、うしろからやってきたおばあさんが私に声を掛けてきたのだ。

  「◎◎駅へはどう行くんでしょうか?」
  
そりゃ、逆方向だわ・・・。

杖を突いていらっしゃる。

  「歩いていかれるのですか?」

  「はい」

と言う。

でもなあ、歩いていくと、長くて急な坂を10分くらい歩き続けないといけないしなあ。

道は少し複雑で説明したけど、わかってないだろうな。

  「バスもありますが」

  「バス停見ました。でも、午後は全く無くて」

  「こちら方向ばかり回る時間帯と、あちら方向だけ回る時間帯とあるんですが、でも、1時間に4本くらいしかありません。」

バスに乗れば、◎◎駅まで座って行けるんだけどなあ。

歩いて行ってみますとおっしゃるので、ならば、見えているあの信号を向こう側に渡ってしまうのが近道であることを話した。

ただ、駅へ向かう広い道に出たらまっすぐ行けば突き当りに駅に着くことを説明したが、急で長い坂を登り続けなければいけないことは、はっきりお伝えした。

  「少し行ったらまたそちらで聞いてみます」

と、歩いて行かれた。


10分はきつい坂を登らないといけないので、楽じゃないけど、タクシーも簡単には拾えない。

タクシーも考えてみたようだった。

でも、この前のおばあさんもきょうのおばあさんも、その地点まで歩いてこられたわけで、私が思うほどには、弱ってはいない元気がある高齢者なのかもしれない。


そういえば、母が、父の除籍謄本などを東京の区役所に行き、発行してもらおうとすると、職員にご家族を連れてくるようにとよく言われたという。

自分一人でそこまで来れているんだから、頼んだ書類発行してくれればそれでいいのに、年寄り扱いして、しっかりと独り立ちしていることを理解してもらえないのが困った、と 言っていた。

たしかに、外見からお年寄りを見て、か弱い何も出来そうもない、と 思われる、思うのは私もそう思うけれど、敗戦後のこの日本を築いて、また、高度経済成長の立役者をそばで支えた奥さんたちがいまのお年寄りなのだ。

若いときはなんでもできた方たちであるわけだ。

私も18歳のときは、英文タイプライターを習い、20代ではパーソナルコンピュータの時代の前の、一部屋まるまる1台のコンピュータだった部屋で、キーボードをパンパン叩いていた世代だ。

そうしてWindowsになったパソコンで給料をもらって生活していた人間が今は年金をもらって、会社からは消えた年齢になったのだ。

街で、道を聞くおばあさんも、うちに帰れば、パソコンで遠方に住む息子さんとSkypeしているかもしれない。

自分も行く道だ。

おばあさんは、立派な社会人なのである。

次に、道を聞かれたら、もう少しおばあさんが一人で自信を持って目的地に行かれるように、完璧に説明してあげよう。

こういう結論でいいだろうか。


コメント
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