テスト期間中で稽古がお休みということで、柔道部と少し離れて、自分と「柔道」について考えてみました。
僕が柔道を始めたのは、中学1年生の頃でした。
第1希望の卓球部がその年でなくなり、第2希望の柔道部に入ることになりました。
体重40kgちょっとで、基本もできてないままに稽古してきたので、全然勝てませんでした。
でも、負けん気だけは強く、試合で投げられても「次は勝てるねん!」という妙な自信があったのは、今思うと不思議です。
高校は公立高校の受験に失敗し、私立の上宮高校へ入学しました。
何となく柔道部を覗いてみると・・・今まで見たことないようないかつい人たちがいっぱいいました!
ベンチプレスで100kg挙げたりする人間を目の前で見て、「すげーーー!!!」って驚いたのを覚えています。
そう、上宮高校は大阪でバリバリの強豪校だったのです。
入部したのはいいものの、僕の体力が稽古についていかず、今思えばオーバーワーク状態で、「頑張らないと!」って思っても、全く体が動かない毎日でした。
でも、インターハイに出場した先輩や他校の強豪と触れ合うことで、「自分も強くなりたい!」という気持ちが強くなりました。
とはいえ、人生そんなに甘くはなく、インターハイ出場もなく卒業。
和歌山大学に入学。
筑波大学に入りたかったけど、修行不足で渋々和歌山へ。
得るものはないだろうと思っていたら、全くそんなことはなく、素晴らしい指導者と仲間に恵まれました。
人間的に一番成長できた時期だと思います。
全日本学生出場を目指すも、目標は果たせず。
自分に納得できず、1年間フリーター生活へ。
アルバイトを掛け持ちしつつ、SSRという実業団チームに所属させてもらって柔道三昧。本当に自由で柔道漬けの1年でした。
この年、大阪実業団個人戦(-66kg級)で優勝。
別に上につながる大会でもないけれど、自分自身を納得させられたし、一緒にやってきた仲間と喜べたことが一番嬉しかったです。
大阪某私立高校に就職。
ここがメチャクチャ勉強に力入れてた学校で、クラブに力を入れられる状況ではなく、いろいろ試すも全て潰される。
ホンマに楽しい先生や生徒と出会えたんですが、「何か違う」と悩んだ結果、1年で退職。周りから見たら、典型的な「わがまま」に映っていたのではないでしょうか。柔道部の生徒に辞めることを伝えるのは本当に辛かった。
今思えば、若かったです!
その後、人生どうしようか悩んでいたら、大阪商業大学高校で非常勤講師の面接があり、採用決定。
大商大高校は、アットホームで自由な学風。悪く言えば適当な部分も。
非常勤って時間的拘束が緩いので、いっぱい若手の仲間と騒いで、いっぱいアホなことさせてもらいました(笑)
柔道でも、指導と共に自分の稽古もさせてもらい、全日本実業団(-73kg級)でベスト8に。これはメチャクチャ嬉しかった!
とはいえ、日の丸クラスの選手との壁を感じた機会でもありました。
ここで出会った柔道部の子達の多くは、今も柔道を頑張っている子が多いです。
1年生から見てきたさかもっちゃん達(写真)も来年の4月に卒業。早いもんです。
こうして振り返ってみると、自分はホンマに柔道にのめり込んでるんやなって思います。
そして、僕の人生は挫折とコンプレックスの歴史(笑)
そう、敗北者の気持ちがよくわかる。
でも、勝利者の気持ちはわかりにくい。(自分が勝ってきてないから)
とか言ってて、まだまだ他人のことはよくわかっておりません(笑)
いわゆるKYという部類に属しているのかも知れず、人の逆鱗に触れてしまうこともしばしば。。。
まだまだガキんちょやし、修行が足りないようです。
そして今。
和歌山県の那賀高校へやってきました。
柔道部員は物凄い頑張る子が多いです。勉強も精一杯やっています。(たぶん)
人間的にも可愛げのあるヤツらです。
そんな環境なんですが、実を言うと、最近は時間をうまく使えず、大好きだった柔道を負担に感じてきている部分がありました。
しかし、今回のテスト期間中にいろいろ考え、自分の歩んできた道を振り返ってみると・・・
やっぱ僕は「柔道」が好きなんですね!
そして、世の中には、今も柔道にエネルギー注いで頑張っている人がいっぱいいるんですね。
長々と書いてきましたが、その気持ちを確認するための自己満足みたいなもんです。
最後まで見ていただいた方、ありがとうございました。
仕事をシャキッと進め、柔道部を引っ張り、切れた靭帯を治し、バリバリ稽古をして、負け犬根性を吹っ飛ばしていこうと思います。
ではでは、おやすみなさい。
僕が柔道を始めたのは、中学1年生の頃でした。
第1希望の卓球部がその年でなくなり、第2希望の柔道部に入ることになりました。
体重40kgちょっとで、基本もできてないままに稽古してきたので、全然勝てませんでした。
でも、負けん気だけは強く、試合で投げられても「次は勝てるねん!」という妙な自信があったのは、今思うと不思議です。
高校は公立高校の受験に失敗し、私立の上宮高校へ入学しました。
何となく柔道部を覗いてみると・・・今まで見たことないようないかつい人たちがいっぱいいました!
ベンチプレスで100kg挙げたりする人間を目の前で見て、「すげーーー!!!」って驚いたのを覚えています。
そう、上宮高校は大阪でバリバリの強豪校だったのです。
入部したのはいいものの、僕の体力が稽古についていかず、今思えばオーバーワーク状態で、「頑張らないと!」って思っても、全く体が動かない毎日でした。
でも、インターハイに出場した先輩や他校の強豪と触れ合うことで、「自分も強くなりたい!」という気持ちが強くなりました。
とはいえ、人生そんなに甘くはなく、インターハイ出場もなく卒業。
和歌山大学に入学。
筑波大学に入りたかったけど、修行不足で渋々和歌山へ。
得るものはないだろうと思っていたら、全くそんなことはなく、素晴らしい指導者と仲間に恵まれました。
人間的に一番成長できた時期だと思います。
全日本学生出場を目指すも、目標は果たせず。
自分に納得できず、1年間フリーター生活へ。
アルバイトを掛け持ちしつつ、SSRという実業団チームに所属させてもらって柔道三昧。本当に自由で柔道漬けの1年でした。
この年、大阪実業団個人戦(-66kg級)で優勝。
別に上につながる大会でもないけれど、自分自身を納得させられたし、一緒にやってきた仲間と喜べたことが一番嬉しかったです。
大阪某私立高校に就職。
ここがメチャクチャ勉強に力入れてた学校で、クラブに力を入れられる状況ではなく、いろいろ試すも全て潰される。
ホンマに楽しい先生や生徒と出会えたんですが、「何か違う」と悩んだ結果、1年で退職。周りから見たら、典型的な「わがまま」に映っていたのではないでしょうか。柔道部の生徒に辞めることを伝えるのは本当に辛かった。
今思えば、若かったです!
その後、人生どうしようか悩んでいたら、大阪商業大学高校で非常勤講師の面接があり、採用決定。
大商大高校は、アットホームで自由な学風。悪く言えば適当な部分も。
非常勤って時間的拘束が緩いので、いっぱい若手の仲間と騒いで、いっぱいアホなことさせてもらいました(笑)
柔道でも、指導と共に自分の稽古もさせてもらい、全日本実業団(-73kg級)でベスト8に。これはメチャクチャ嬉しかった!
とはいえ、日の丸クラスの選手との壁を感じた機会でもありました。
ここで出会った柔道部の子達の多くは、今も柔道を頑張っている子が多いです。
1年生から見てきたさかもっちゃん達(写真)も来年の4月に卒業。早いもんです。
こうして振り返ってみると、自分はホンマに柔道にのめり込んでるんやなって思います。
そして、僕の人生は挫折とコンプレックスの歴史(笑)
そう、敗北者の気持ちがよくわかる。
でも、勝利者の気持ちはわかりにくい。(自分が勝ってきてないから)
とか言ってて、まだまだ他人のことはよくわかっておりません(笑)
いわゆるKYという部類に属しているのかも知れず、人の逆鱗に触れてしまうこともしばしば。。。
まだまだガキんちょやし、修行が足りないようです。
そして今。
和歌山県の那賀高校へやってきました。
柔道部員は物凄い頑張る子が多いです。勉強も精一杯やっています。(たぶん)
人間的にも可愛げのあるヤツらです。
そんな環境なんですが、実を言うと、最近は時間をうまく使えず、大好きだった柔道を負担に感じてきている部分がありました。
しかし、今回のテスト期間中にいろいろ考え、自分の歩んできた道を振り返ってみると・・・
やっぱ僕は「柔道」が好きなんですね!
そして、世の中には、今も柔道にエネルギー注いで頑張っている人がいっぱいいるんですね。
長々と書いてきましたが、その気持ちを確認するための自己満足みたいなもんです。
最後まで見ていただいた方、ありがとうございました。
仕事をシャキッと進め、柔道部を引っ張り、切れた靭帯を治し、バリバリ稽古をして、負け犬根性を吹っ飛ばしていこうと思います。
ではでは、おやすみなさい。