柔道つながり ~からみつく大外刈~

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脱線話

2008年04月06日 | プライベート
ここ5日くらい、腰、膝、足の指が痛み出し、「あ~!ついに痛風発症しちゃったな~。これからの人生つまらんなー。」と落ち込んでいたところ、2日前から扁桃腺が痛み出し、昨日熱を計ってみると、38度でした。

ということで、この痛みは痛風ではなく、風邪の前兆だったと理解すると共に、今後もハッピーな人生を送れることを神様に感謝したいと思います☆


今日も柔道会館で稽古する予定が、急遽お休みになったので、本日はじっくり休んで鋭気を養いたいと思います。


新任ということでやるべき課題がドカドカと山積みになり、新しい刺激を受けまくり、人間関係を築いていく段階ということで緊張もあり、一気にその疲れが出てしまったのでしょう。
あまり目の前の仕事ばかりに気を取られ過ぎると、視野が狭くなってしまいます。むしろこういう時こそ、一歩引いて客観的に自分の状態をチェックするべきではないかと思うのです。




ここらで脱線。

おもしろき こともなき世を おもしろく

この歌をご存知でしょうか?

これは、高杉晋作の辞世の句と言われています。
政治のことは置いといて、人生として彼の一生を見た場合、しがらみに苦しみながらも、自分のやりたいことを無茶苦茶にやり切っています。それでいて、大きな仕事も果たした。おそらくその人生で持っている力を出し切り、悔いなく生きたのではないかと思います。

時には、藩から留学費として頂いた費用を遊郭で一夜のうちに費やしたり、正妻がいるにも関わらず、常に愛人であるおうの(高杉の死後、彼女は尼となって高杉を供養する一生を送る)を伴って行動したりと、現代の倫理観では許されない行動もありますが、この句からは「俺は俺の人生を行く!」という意気込みが150年を経た今でも伝わります。

賛否両論あるでしょうが、僕は大好きです☆



脱線ついでにもうひとつ。

遊びをせんとや生れけん 戯れせんとや生れけん 遊ぶ子供の声聞けば 我が身さえこそ動(ゆる)がるれ

訳しますと、「遊ぶために生まれたのだろうか 戯れるために生まれたのだろうか 遊んでいる子供の声が聞こえてくると 自分の身体まで動いてしまう」という感じでしょうか。

これは、『梁塵秘抄』という歌謡集で、後白河法皇が編者であります。
ちょうど鎌倉時代に入る手前の動乱の時代、皇室の最高権力者として政治を行った後白河法皇自らが、一般庶民の間で謡われている歌謡を撰び、まとめた作品集で、この歌は最も有名な部分です。

当時の国家最高権力者が、人生とは遊ぶため、戯れるためだけのものでないことは、当然わかっているはずです。一歩身の振り方を間違えれば、自分の生命さえ危ぶまれるような状況を生き抜いた人なのだから。

では、なぜ後白河法皇はこの歌を選び、現代でも広く知られているのでしょう?

僕は、「人間が生きていく苦しい道程の中で、しっかり遊び心を持って生きていこう」という風に解釈しています。そして、いつの時代の、どの身分の人間にも共通する大切な要素が盛り込まれているからだと考えます。

新任研修の講和で、とある先生が、「教師が輝いていないと、子どもは輝かない」と仰っていましたが、上に立つも者が厭味なく遊び心を発揮することは、本当に大切なことだと思うのです。


以上、脱線話おしまい。



ではでは皆様、素敵な日曜日を☆

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