クラブ休みが3日間もらえたので、錬成大会が終わった夜から、夜行バスに乗って山口県へ行ってきました。
前から行きたかったんだよな~。
人生2回目のひとり旅です。
まずは鍾乳洞で有名な秋芳洞に寄ってきました。
入り口はこんな感じです。とても神秘的な雰囲気が漂っています。
こやつら100年間で2cmしか伸びないとのこと。中には10万年前にできたものもあります。
洞窟からつながるエレベーターを使って山に登り、展望台の方へ向かうと・・・
絶景かな!
カルスト地形で有名な秋吉台です。
かつては海の底深くに沈んでいた土地が、隆起して地上に盛り上がって出てくると、こういう景観が生まれるんですて!
こいつは名物「かっぱそば」。そばにワサビが練りこまれているのが特徴。味は・・・ハオチー!!
さてさて、昼食を食べた後、萩へ向かおうとバス乗り場の待合室に行ってみると・・・秋芳洞で仲良くなったおばちゃん2人組(愛知から参戦)と感動の再会。
ということで、おばちゃん達と一緒に萩へ行き、共に萩を旅することになりました~!
幕末の長州藩を動かした若者達のほとんどは、萩に生まれ、松下村塾で学び、その多くが志半ばで死んでいきました。
しかしながら、生き残った伊藤博文、木戸孝允、山県有朋、品川弥ニ郎らは政府の中枢に入り、明治以降の日本を引っ張っていく役割を果たしました。
明治維新をつくりあげた長州藩は、幕末に凄まじいエネルギーを放出しました。そのエネルギーの源は、吉田松陰だと言われます。彼の思想が多くの若者に影響を与え、その後の日本の礎をつくったのです。
これは素晴らしいことと同時に、とても怖いことだと思います。
こういう人たちが育つ萩という町はどのような町なのか、とても楽しみにしていました。
まずは、毛利の殿様が住んでいた萩城の南に位置する武家屋敷を周ってきました。
僕の尊敬する高杉晋作の家です。
青年時代に上海に留学していた晋作は、欧米人によって清国(中国)の人間が奴隷のように使われる姿を目の当たりにします。日本もこのようになるのではないかという危機感を持ち、尊王攘夷運動に身を投じ、波乱万丈の人生を送ります。
明治維新を目前にして、労咳のため死去。
辞世の句 : おもしろき こともなき世を おもしろく
これは授業の最初に、必ずみんなに紹介する歌です。
晋作はかなりスケールの大きな人物で、絶対マネできへんな~ってことを、普通にやってのけてしまいます。
天下泰平の世ならば、狂人として世を終えていたかもしれません。
これは町人の久保家の邸宅です。質素な武家の家と違い、かなりゴージャス!この台所で、たくさんの使用人が料理をつくっていたであろう姿が想像できます。
続きまして、木戸孝允(桂小五郎)邸。高杉さんちから歩いて2分って感じです。
木戸さんは写真が残っていますが、かなりの男前。仲間がバシバシ捕まり、殺されていく中、どのような修羅場も全て逃げ切ったこの木戸さん、「逃げの小五郎」という不名誉な異名を持っています。
明治維新後は、周りとの折り合いがつかず、華々しい活躍の場もないまま死去しています。
木戸さんが7~8歳の時に書いた習字。かなり上手で、城下でも彼の達筆ぶりはよく知られていたようです。ありえないうまさ☆
木戸さんの家から2件隣に、円政寺というお寺があります。
伊藤博文が小さい頃、ここで読み書きを習っていました。彼は武士ではなく、貧しい農民の家出身です。しかしながら、台風で家が吹き飛ばされたため、一家総出で萩に移住し、跡取りのない伊藤家の養子に入り、ようやく武士階級(といっても最下級)になることができました。
この時、博文8歳。この寺によく遊びに来ていた晋作は10歳。この出会いが彼の運命を大きく変えます。まさか日本初の総理大臣にまで上りつめるなんてね!台風さんに感謝せーなね。
寺の中にある木馬。晋作少年がこれに乗ってよく遊んだらしいです。なんかこういう話を聞くと、幕末の志士も身近に感じます。
ここで感じたのは、木戸さん、高杉さん、伊藤さん、みんな幼馴染で家が近いな~ってこと。これは鹿児島に行ったときにも感じたことなんですね。西郷隆盛、大久保利通、大山巌、東郷平八郎ら、薩摩藩の志士もみんなご近所さん。
こうした信頼できるネットワークをつくり上げたことが、幕末に勝ち残った原因のひとつなのかも知れません。
ちなみに、萩の武家屋敷、一部の屋敷を除き、ほとんどの屋敷には今も住人がいます。まさにここは、長州藩の頭脳部にあたる優秀な人々が集まっていたわけで、現在でもこの町から東大へ入学する子は毎年いるとのこと。DNAくれや~!!
萩城は明治時代に取り壊され、その礎石のみが残っています。萩城跡をバックに武将チックに撮影。ちょっと角度が失敗・・・
一緒に萩を周ったおばちゃん達と。知り合ったその日に一緒に旅するなんて思いませんでした。ホンマにいろいろと教えてくれてありがとう。ムチャクチャ元気なおばちゃんやったな(笑)
今頃愛知県に帰ってるんかな~。
桜満開!ホンマにきれかったよ~。
さぁ帰ろう!って時に後ろを振り返ると・・・この景色、絶対忘れません!
1時間150円の貸自転車。これに乗って我々3人は萩を疾走しました!
ということで、萩の旅1日目を終えました。本当に風情のある穏やかな町です。
幕末に狂気とも言える暴走を始めた人々が、この町から生まれたなんて不思議です。
ではでは、2日目の日記はまた今度☆
前から行きたかったんだよな~。
人生2回目のひとり旅です。
まずは鍾乳洞で有名な秋芳洞に寄ってきました。
入り口はこんな感じです。とても神秘的な雰囲気が漂っています。
こやつら100年間で2cmしか伸びないとのこと。中には10万年前にできたものもあります。
洞窟からつながるエレベーターを使って山に登り、展望台の方へ向かうと・・・
絶景かな!
カルスト地形で有名な秋吉台です。
かつては海の底深くに沈んでいた土地が、隆起して地上に盛り上がって出てくると、こういう景観が生まれるんですて!
こいつは名物「かっぱそば」。そばにワサビが練りこまれているのが特徴。味は・・・ハオチー!!
さてさて、昼食を食べた後、萩へ向かおうとバス乗り場の待合室に行ってみると・・・秋芳洞で仲良くなったおばちゃん2人組(愛知から参戦)と感動の再会。
ということで、おばちゃん達と一緒に萩へ行き、共に萩を旅することになりました~!
幕末の長州藩を動かした若者達のほとんどは、萩に生まれ、松下村塾で学び、その多くが志半ばで死んでいきました。
しかしながら、生き残った伊藤博文、木戸孝允、山県有朋、品川弥ニ郎らは政府の中枢に入り、明治以降の日本を引っ張っていく役割を果たしました。
明治維新をつくりあげた長州藩は、幕末に凄まじいエネルギーを放出しました。そのエネルギーの源は、吉田松陰だと言われます。彼の思想が多くの若者に影響を与え、その後の日本の礎をつくったのです。
これは素晴らしいことと同時に、とても怖いことだと思います。
こういう人たちが育つ萩という町はどのような町なのか、とても楽しみにしていました。
まずは、毛利の殿様が住んでいた萩城の南に位置する武家屋敷を周ってきました。
僕の尊敬する高杉晋作の家です。
青年時代に上海に留学していた晋作は、欧米人によって清国(中国)の人間が奴隷のように使われる姿を目の当たりにします。日本もこのようになるのではないかという危機感を持ち、尊王攘夷運動に身を投じ、波乱万丈の人生を送ります。
明治維新を目前にして、労咳のため死去。
辞世の句 : おもしろき こともなき世を おもしろく
これは授業の最初に、必ずみんなに紹介する歌です。
晋作はかなりスケールの大きな人物で、絶対マネできへんな~ってことを、普通にやってのけてしまいます。
天下泰平の世ならば、狂人として世を終えていたかもしれません。
これは町人の久保家の邸宅です。質素な武家の家と違い、かなりゴージャス!この台所で、たくさんの使用人が料理をつくっていたであろう姿が想像できます。
続きまして、木戸孝允(桂小五郎)邸。高杉さんちから歩いて2分って感じです。
木戸さんは写真が残っていますが、かなりの男前。仲間がバシバシ捕まり、殺されていく中、どのような修羅場も全て逃げ切ったこの木戸さん、「逃げの小五郎」という不名誉な異名を持っています。
明治維新後は、周りとの折り合いがつかず、華々しい活躍の場もないまま死去しています。
木戸さんが7~8歳の時に書いた習字。かなり上手で、城下でも彼の達筆ぶりはよく知られていたようです。ありえないうまさ☆
木戸さんの家から2件隣に、円政寺というお寺があります。
伊藤博文が小さい頃、ここで読み書きを習っていました。彼は武士ではなく、貧しい農民の家出身です。しかしながら、台風で家が吹き飛ばされたため、一家総出で萩に移住し、跡取りのない伊藤家の養子に入り、ようやく武士階級(といっても最下級)になることができました。
この時、博文8歳。この寺によく遊びに来ていた晋作は10歳。この出会いが彼の運命を大きく変えます。まさか日本初の総理大臣にまで上りつめるなんてね!台風さんに感謝せーなね。
寺の中にある木馬。晋作少年がこれに乗ってよく遊んだらしいです。なんかこういう話を聞くと、幕末の志士も身近に感じます。
ここで感じたのは、木戸さん、高杉さん、伊藤さん、みんな幼馴染で家が近いな~ってこと。これは鹿児島に行ったときにも感じたことなんですね。西郷隆盛、大久保利通、大山巌、東郷平八郎ら、薩摩藩の志士もみんなご近所さん。
こうした信頼できるネットワークをつくり上げたことが、幕末に勝ち残った原因のひとつなのかも知れません。
ちなみに、萩の武家屋敷、一部の屋敷を除き、ほとんどの屋敷には今も住人がいます。まさにここは、長州藩の頭脳部にあたる優秀な人々が集まっていたわけで、現在でもこの町から東大へ入学する子は毎年いるとのこと。DNAくれや~!!
萩城は明治時代に取り壊され、その礎石のみが残っています。萩城跡をバックに武将チックに撮影。ちょっと角度が失敗・・・
一緒に萩を周ったおばちゃん達と。知り合ったその日に一緒に旅するなんて思いませんでした。ホンマにいろいろと教えてくれてありがとう。ムチャクチャ元気なおばちゃんやったな(笑)
今頃愛知県に帰ってるんかな~。
桜満開!ホンマにきれかったよ~。
さぁ帰ろう!って時に後ろを振り返ると・・・この景色、絶対忘れません!
1時間150円の貸自転車。これに乗って我々3人は萩を疾走しました!
ということで、萩の旅1日目を終えました。本当に風情のある穏やかな町です。
幕末に狂気とも言える暴走を始めた人々が、この町から生まれたなんて不思議です。
ではでは、2日目の日記はまた今度☆