


群馬県東部、すでに紹介している八ッ場ダムがある長野原町や、吾妻川の上流での西隣の嬬恋村はユネスコの「浅間山北麓ジオパーク」に認定されている地域である。
「ジオパーク」は大地の成り立ちを知ることのできる自然遺産を含む公園のこと。この地域が日本ジオパークに認定されたのは2016年、浅間山の噴火による地質や地形、人の暮らしや動植物などがその特色となっている。
このジオパークは6つのエリアに分けられるのだが、その一番東側、吾妻川からみると下流の八ッ場ダムに近いエリアの拠点施設に「やんば天明泥流ミュージアム」がある。江戸期の浅間山大噴火と平成の大事業である八ッ場ダム建設を結びつける施設である。


長野原町では、八ッ場ダムの建設工事に伴い、1994年(平成6年)から2019年(令和元年・八ッ場ダムの完成年)までの26年間、群馬県の埋蔵文化調査事業団や町教育委員会によって大規模な発掘調査が行われたという。
その中で八ッ場ダムのすぐ上流にあたる川原湯地区からは、江戸時代後期の天明3年(1783年)の浅間山大噴火により発生した「天明泥流」で埋没した集落跡が広範囲に発見されたのだ。
やんば天明泥流ミュージアムは、2021年4月オープン。発掘調査結果により浅間山台噴火・天明泥流の全貌と被害を明らかにするとともに、当時の周辺集落の様子をよみがえらせながら、この地を襲った自然災害の歴史を後世に伝えるための施設なのである。


浅間山(写真上)は40万年前から火山活動が始まったと考えられている成層火山で、生成期により黒斑(くろふ)火山、仏岩火山、前掛火山などの噴火口をもち、大噴火と言われるものは3~4世紀ころから繰り返され、この天明3年のものが最も新しい。
8月5日に大噴火。浅間山からの泥流が吾妻川に流れ込み、川をせき止めることで氾濫、泥流が集落を飲み込むとともに、下流域にも甚大な損害を与えた。死者は1523名、被害家屋は1605戸と算出されているそうだ。
この大噴火の爆発音は、なんと京都・大阪まで聞こえたとか?降灰も470キロ離れた岩手県宮古でも観測されたとの記録があるそうだ。「鬼押出し園」を形成した火砕流もこの大噴火の活動(その前兆活動を含む)によるものだったという。


現在の吾妻線河原湯温泉付近と、吾妻川対岸の河原畑と地区は泥流が押し寄せた後に下流の吾妻峡の狭窄部があることから河道閉塞により水没、天然ダムが決壊を起こした後は下流の利根川流域まで被害を及ぼした。
ミュージアムの係員である樺沢剛志さんは、展示室のパネルを使って八ッ場ダム上流部の泥流が襲った地域と八ッ場ダムの建設にあたり行われた調査により、その被害の実態が明らかになったことを説明してくれた(写真上)。
フォッサマグナにある活火山・浅間山とその北麓・吾妻川の地形がもたらした災害記録、「泥流体験シアター」では調査を基に再現された爆発や押し寄せる泥流の様子が大画面に映し出される。これが大迫力!自然の脅威を体感できます。


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