Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「1Q84 BOOK1 BOOK2」村上春樹

2009-08-06 22:47:08 | book
1Q84 BOOK 1
村上 春樹
新潮社

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1Q84 BOOK 2
村上 春樹
新潮社

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村上春樹を一気読み。
この小説には理由は分からないのだけれど、ワタシを、浅瀬に引っ張っていくようなかすかに禍々しい香りのする力で引き込んでいく。このわずかに禍々しいという温度感が実に気色悪く独特だ。この力に捕われると、もうダメだ。仕事をしていても小説のことを考えている。早く続きが読みたくなり、仕事をしている時間がどうしようもなく空虚に思えてくる。病が高じると、いよいよ仕事を休んでホンを読む・・・ということになる。
マズい。

なわけで、青豆さんの、天吾くんの1Q84を共に生き、呼吸しました。

ネタバレのつもりはありませんが、これから読まれる方は、この駄文は読まずに先入観なしに読まれることをオススメしておきます。

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まず思うのは・・村上春樹にとってセックスはやはりミラクルなんでしょうかねえ??ということでした^^;
青豆の場合は、幾層にも折り重なったトラウマ体験の頂点からふっと一線を越えてしまったところから彼女の性遍歴が始まるのだし。
天吾の場合は、自分ではなにもしないけれども、性交によって変化した世界と対峙するための力と契約する。生きる力をふかえりから与えられたのです。

sex is a miracle...

これは全く変わることのない村上的命題であることが、ここでもまた明らかになってしまったのです。
ここが一番賛否のわかれるところではないでしょうか。
きっとハルキ氏はセックスの実像などはまったく求めておらず、そこに抽象的な意味を求めてしまう。それは普遍的ですらなく、ほとんど妄想に近いものですから、ワタシにはどうしても、「それはありえない」「そんなセックス観を持っている人間(特に女性)などいない」と正面から目くじらを立てる気にはならんのです。
この小説の(あるいは過去の、例えば「ノルウェイの森」などの)性生活の描写は、ある面ではフェミニズムやジェンダー論の世界から大いなる反論を呼びそうですらありますが、そもそも論争を仕掛ける以前の原始的な(というか幼稚とさえいえる?)段階のリビドーに怒る気もしないというところなのでしょうか?
いずれにしろそれにもかかわらず彼の小説のファンに女性も多い、ということは、なにやらよく考えてみるべきものがあるように思えます。

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と、セックスについて思わせぶりな事を書きつつ、次に何を書こうかなあ?

この物語はどうやら1984年に青豆が某所の階段をおりたところでくるっと1Q94年の世界に入り込んでしまった、パラレルワールド的なお話のようでありますが、そこは、パラレルな世界へ迷い込むという異体験が主題なのではなくて、親しんでいたはずの世界がいつのまにか違和感にあふれたものになっている、という、内的/外的な「世界の変質」を、80年代半ばに置いてみたということだろうと思います。

どこかで誰かが言っていたのですが(これではなにもわからない^^;)60年代というのは、62年頃にはじまって72年頃までの10年を言うのだと。
これは何となく共感できるのです。矛盾するようですけど70年代というのは69年ころに始まって82年頃までのような気がします。
何を言っているのかというと、よくわからないのですが、80年代って84年頃から始まっているような気がするのです。(で89年に終わる)
今日的なもの、過去と明らかに異なっている今日的な社会の特質の起源がその84年に種蒔かれたと考えると、なんだか腑に落ちるものがあるのです。直感ですけれど。

小説には、その後社会を振り回すいろいろな要素が、周到に網羅的に登場します。羽振りのいい不動産屋の若者とか、新興宗教の教祖とか、年少の小説家とか、高級ホテルに泊まるサラリーマンとか、ワープロとか(パソコンでなくね)、あやしげな財団とか・・ああ、もういろいろ忘れてしまっているなあ・・
そこはとてもよく考えられてるように思います。

あのときから、社会は、慣れ親しんだ世界から別の世界へと移行してしまったのかもしれません。だから今日とこれからを考えるためには、その移行の特異点に戻ってみる必要がある、とこの小説は言っているような気がします。

そう、村上春樹的総括の試みなのだろうと思いました。この異質な世界に責任がある世代としての、未来へ向けたメッセージを、小説家らしい態度で(という概念はハルキストならばおなじみでしょう)形にしてみようと思ったに違いありません(と突然断言してみる)。
だって、いつになく真摯な態度が伝わってくる小説でしたもの。セックスは除き(笑)

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天吾君が、活躍していそうで実はなにもしていないというところが妙に可笑しかった。ふかえりの件について「技術屋」としてちょっと働いたあとは、ほぼ状況に対して無力で受け身であるし、でもそのくせ未来への希望をひとり手にしてしまう。
これは謎だなあ・・・ふかえりの行方よりも青豆の顛末よりもふかえりの父親の身の上よりも牛河の団体の正体よりも安田恭子の運命よりも教団の内情よりも、天吾のことが一番謎でした。
ほかにもそんなに謎があるのか?(笑)と皆さんお思いでしょうが、いやいや、もっといっぱいあるんですよ(笑)

伏線は回収さるべき、という心情の方にはまったくおすすめできませんね、この小説は。ワタシは謎が謎のママであることが大好きです。ほんとうに大好きなのです。だから、『1Q84』は大好きな小説です。
『スプートニクの恋人』と『アフターダーク』は今ひとつだったのですが、これはワタシ的には合格です。

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もっと書くべきことがあるように思うのですが、うまくまとまりません。
再読の機会があったらまた書くでしょう。

ワタシの通った学校のことがちらと出てくるのもなにかの因縁でしょう。



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コメント (6)
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