◆産経新聞が5月24日付け朝刊で、以下のように報じた。「夏の参院選静岡選挙区(改選数2)で再選を目指す民主党の藤本祐司参院議員に対し、党本部が活動費の支給を止めていることが23日、分かった。党静岡県連への活動費支給も中断している。県連会長の牧野聖修衆院議員が、静岡市内で開かれた藤本氏の集会で明らかにした」、要するに小沢一郎幹事長による「反小沢派」に対する兵糧攻めである。
◆これは、いかにも恨み節である。衆院の選挙制度に小選挙区制度が導入されてから、政党の幹事長が、従来にもまして強力な権力を持ち、発揮することになるのは、当然視されてきた。選挙のときの公認権と選挙資金を完全掌握するとみられてきたからである。政党のなかにおいて、個々の政治家が、サラリーマン意識を持ち続けることは許されない。
幹事長は、政党の単なる調整役ではない。公認権と選挙資金を完全掌握とによって、個々の所属国会委員の生殺与奪権を握っているので、政府に入っている首相にはできない経大多な力を振うことができる。
◆記事は、続けてこう述べている。「静岡県連は、2人区に2人の候補を擁立する小沢一郎幹事長の方針に『2人が勝てる状況ではない』と抵抗。結局、小沢氏が県連の頭越しに2人目として新人の公認を決めた経緯がある。牧野氏によると、党役員が小沢氏の意向として、藤本氏と県連の活動費を出さないことを伝えてきたという。藤本氏は集会後、記者団に『3月末に100万円が入った後は届いていない。全員に聞いたわけではないが、2人区の別の現職には4月に100万円、連休明けに500万円入っている』と説明。牧野氏は『言うことを聞かないからカネを出さないという政党では恥ずかしい」と批判した』。という。これは、資金をもらえなった政治家に最大の問題がある。選挙の総指揮者である幹事長は、サラリーマンではない。何を言おうと目をつけられず、待遇が変わらないというのは、甘えの構造である。
◆いまの政治は、仲良しクラブではない。派閥政治の領袖がいなくなったり、力が弱体化している現在の政党政治の下では、個々の政治家は、トップの指導者には、右で倣わなくてはならないのである。この単純なことがわからないでは、政党政治家とはいえない。政党政治が嫌なら無所属に甘んじていなくてはならない。
◆小沢一郎幹事長の政治方針に従うのが、嫌なら民主党を出ていくしかない。残念ながら、こういう政治のあり方を多くの国民が望んだからには、その作法に従うべきである。ただし、小選挙区制度による政党政治は、「個人主義」を重んじる日本国憲法の基本原理からは、遠く離れている。団体主義的政党政治は、むしろ危険である。
◆これは、いかにも恨み節である。衆院の選挙制度に小選挙区制度が導入されてから、政党の幹事長が、従来にもまして強力な権力を持ち、発揮することになるのは、当然視されてきた。選挙のときの公認権と選挙資金を完全掌握するとみられてきたからである。政党のなかにおいて、個々の政治家が、サラリーマン意識を持ち続けることは許されない。
幹事長は、政党の単なる調整役ではない。公認権と選挙資金を完全掌握とによって、個々の所属国会委員の生殺与奪権を握っているので、政府に入っている首相にはできない経大多な力を振うことができる。
◆記事は、続けてこう述べている。「静岡県連は、2人区に2人の候補を擁立する小沢一郎幹事長の方針に『2人が勝てる状況ではない』と抵抗。結局、小沢氏が県連の頭越しに2人目として新人の公認を決めた経緯がある。牧野氏によると、党役員が小沢氏の意向として、藤本氏と県連の活動費を出さないことを伝えてきたという。藤本氏は集会後、記者団に『3月末に100万円が入った後は届いていない。全員に聞いたわけではないが、2人区の別の現職には4月に100万円、連休明けに500万円入っている』と説明。牧野氏は『言うことを聞かないからカネを出さないという政党では恥ずかしい」と批判した』。という。これは、資金をもらえなった政治家に最大の問題がある。選挙の総指揮者である幹事長は、サラリーマンではない。何を言おうと目をつけられず、待遇が変わらないというのは、甘えの構造である。
◆いまの政治は、仲良しクラブではない。派閥政治の領袖がいなくなったり、力が弱体化している現在の政党政治の下では、個々の政治家は、トップの指導者には、右で倣わなくてはならないのである。この単純なことがわからないでは、政党政治家とはいえない。政党政治が嫌なら無所属に甘んじていなくてはならない。
◆小沢一郎幹事長の政治方針に従うのが、嫌なら民主党を出ていくしかない。残念ながら、こういう政治のあり方を多くの国民が望んだからには、その作法に従うべきである。ただし、小選挙区制度による政党政治は、「個人主義」を重んじる日本国憲法の基本原理からは、遠く離れている。団体主義的政党政治は、むしろ危険である。