◆北沢俊美防衛相が上海万博前夜の4月30日、訪問先のインドでアントニー国防相と約1時間40分会談したと読売新聞の「ニューデリーの白川義和特派員」が伝えている。扱いは、ベタ記事である。「中国が軍事力や軍事行動の透明性を高めるべきだ」との認識で一致したとさりげない。
朝日新聞は、「ニューデリーの河口健太郎特派員」が、同行記者団に語った内容を報告。わずか2段扱いである。ポイントは「南西諸島への自衛隊配備検討の調査費を来年度予算の概算要求に盛り込む考えを明らかにした」というものである。北沢防衛相が背景について「九州から沖縄本島、与那国島までの間に、何がしかの配備を考えなければいけないとの空気は省内でも強くなっている」と語っているのを受けて、北沢防衛相が、中国軍に対する監視の拠点づくりを視野に入れていると見ている。しかし、河口特派員は、北沢防衛相がゴールデンウィク中とはいえ、国民の血税を高額使い、何のためにわざわざインドくんだりまで出かけていき、アントニー国防相と会談して、具体的に何を決めたのかを一切レポートしていない。
◆鳩山由紀夫首相は平成21(2009)年12月27日から3日間、インド訪問している。2006年に始まった両国首脳の相互訪問の一環で、鳩山首相夫妻はムンバイ到着後、平成20年11月のムンバイ・テロ事件で標的となったトライデント・ホテル、タージマハル・ホテル(日本人1人も犠牲)を訪れ、追悼の献花と記帳を行った。鳩山首相は28日、タタ・グループのラタン・タタ会長など財界人との会合に出席した後、ニューデリーに入り、首相官邸でシン首相主催による私的な夕食会に出席、29日にニューデリーでマンモハン・シン首相との会談している。両首脳は会談で戦略的グローバル・パートナーシップをいかに拡大・強化していくかについて話し合い、地域的、国際的な問題についても協議し、「日印協定」に調印している。これは、中国はインド北部のアルナーチャル・ブラデシュ州タワン地域、南は、セイロン島に軍港施設を設けて、インドを挟みうちにしていることへの予防措置の目的を持っている。インドは、この協定により中国の覇権主義の代名詞とも言える「東アジア共同体構想」に対抗しようとしているのである、
インド側は、中国からの侵攻を強く警戒している。この原因は、20世紀初頭にまで遡る。インドを植民地支配していた英国と中国併合前のチベットは、アルナーチャル・ブラデシュ州タワン地域に国境として定めたマクマホン・ラインを国境線として主張してきた。これに対し、中国はこれを認めず、中国軍が昭和37(1962)年、同ラインを越えてタワンを含む同州全域を一時占領し、中印国境紛争が勃発した。中国は兵を引いた現在も領有を主張しているので、インドは油断できず、平成21(2009)年6月8日、2個師団を増派して兵力10万人を配置している。
◆日本は、インドに親近感を抱いている。仏教発祥の地であるばかりではない。大東亜戦争後に開かれた極東軍事裁判の判決で、たった一人、日本無罪の意見を述べたのが、インドのパール判事たったからである。日本は大英帝国に支配されたインドを味方と思い、インドは、帝国主義者からアジアを解放した日本を味方と考えている。「血の一滴」である油田・ガス田のある中東につながるシーレーン防衛のためにも、日本は大国インドを大事にしなくてはならないのである。
朝日新聞は、「ニューデリーの河口健太郎特派員」が、同行記者団に語った内容を報告。わずか2段扱いである。ポイントは「南西諸島への自衛隊配備検討の調査費を来年度予算の概算要求に盛り込む考えを明らかにした」というものである。北沢防衛相が背景について「九州から沖縄本島、与那国島までの間に、何がしかの配備を考えなければいけないとの空気は省内でも強くなっている」と語っているのを受けて、北沢防衛相が、中国軍に対する監視の拠点づくりを視野に入れていると見ている。しかし、河口特派員は、北沢防衛相がゴールデンウィク中とはいえ、国民の血税を高額使い、何のためにわざわざインドくんだりまで出かけていき、アントニー国防相と会談して、具体的に何を決めたのかを一切レポートしていない。
◆鳩山由紀夫首相は平成21(2009)年12月27日から3日間、インド訪問している。2006年に始まった両国首脳の相互訪問の一環で、鳩山首相夫妻はムンバイ到着後、平成20年11月のムンバイ・テロ事件で標的となったトライデント・ホテル、タージマハル・ホテル(日本人1人も犠牲)を訪れ、追悼の献花と記帳を行った。鳩山首相は28日、タタ・グループのラタン・タタ会長など財界人との会合に出席した後、ニューデリーに入り、首相官邸でシン首相主催による私的な夕食会に出席、29日にニューデリーでマンモハン・シン首相との会談している。両首脳は会談で戦略的グローバル・パートナーシップをいかに拡大・強化していくかについて話し合い、地域的、国際的な問題についても協議し、「日印協定」に調印している。これは、中国はインド北部のアルナーチャル・ブラデシュ州タワン地域、南は、セイロン島に軍港施設を設けて、インドを挟みうちにしていることへの予防措置の目的を持っている。インドは、この協定により中国の覇権主義の代名詞とも言える「東アジア共同体構想」に対抗しようとしているのである、
インド側は、中国からの侵攻を強く警戒している。この原因は、20世紀初頭にまで遡る。インドを植民地支配していた英国と中国併合前のチベットは、アルナーチャル・ブラデシュ州タワン地域に国境として定めたマクマホン・ラインを国境線として主張してきた。これに対し、中国はこれを認めず、中国軍が昭和37(1962)年、同ラインを越えてタワンを含む同州全域を一時占領し、中印国境紛争が勃発した。中国は兵を引いた現在も領有を主張しているので、インドは油断できず、平成21(2009)年6月8日、2個師団を増派して兵力10万人を配置している。
◆日本は、インドに親近感を抱いている。仏教発祥の地であるばかりではない。大東亜戦争後に開かれた極東軍事裁判の判決で、たった一人、日本無罪の意見を述べたのが、インドのパール判事たったからである。日本は大英帝国に支配されたインドを味方と思い、インドは、帝国主義者からアジアを解放した日本を味方と考えている。「血の一滴」である油田・ガス田のある中東につながるシーレーン防衛のためにも、日本は大国インドを大事にしなくてはならないのである。