教え教えられ
レクチャーするというのは贈り物を与える
つまり贈与であり
レクチャーされるというのは
贈与を受け取るということです。
とはいえ、
贈与するのはそれほどむずかしいことではありませんが
贈与を受け取るのは口で言うほど簡単なではありません。
受け取る側に
オープンマインディテックな姿勢がなければ
贈与はいつまでたっても届かないまま終わってしまいます。
それはいわば
水を注ごうとしても、コップを上向きにしていなければ、そこらあたりにまけ散らかってしまうということです。
閉じたコップ然としている自分自身に気がつかなければ、注いでくれているはずの水がいっこうに身体に入っていなかったという笑えない笑い話です。
逆にいえば
その姿勢さえあれば贈り物を与える側がどこの誰であろうと
またデキる人であろうとダメな人であろうと
その贈り物がコンテンツとして優れていようがたいしたことがあるまいが
本質的にはどうでもよいことです。
もちろん
そこでは、目上であるとか目下であるとか、
あるいは
立場が上だとか立場が下だとか
それもまた
本質的にはどうでもよいことです。
受け取る側のマインドしだいで
いついかなるときにも学びは起動します。
つまり
贈与には受け取る側が贈与と認識してはじめて
贈与としての価値が生じます。
そこから
贈与と返礼のサイクルがスタートします。
あるいは
連綿とつづく贈与と返礼のサイクルへ仲間入りができるのです。
ちょっとした旅に出ています。
宿の朝、
さて、今日の『現場情報』はどんなネタで行こうか、
と撮りためた写真をながめていたら
そんなことなどを思ってしまいました。
さ、今日もまた、笑顔でたたかえ、エブリバディ。
では
また来週。
(みやうち)
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