漢字の音符

漢字の字形には発音を表す部分が含まれています。それが漢字音符です。漢字音符および漢字に関する本を取り上げます。

落合淳思 著 『漢字字形史字典【教育漢字対応版】』

2022年04月17日 | 書評

 甲骨文字の研究者として名高い落合淳思氏が、このたび東方書店から『漢字字形史字典【教育漢字対応版】』を出版した。この本は2019年に発行された『漢字字形史小字典』の増補版ともいうべき本で、『小字典』が小学校1~3年生で学習する漢字を対象としているのに対し、今回の本は小学校6年生までに学ぶ教育漢字1026字を対象とし、その同源字を併せ1271字を収録している。

 この本の中心となっているのは字形変遷図である。以下に筆の原字である聿イツの変遷図を引用させていただく。

 筆を手に持った形で、筆の原字である上図の聿イツでは、甲骨文字が5種挙げられ、そのうちの2種が西周へ受け継がれ、東周へは右端の字体が受け継がれたのち、さらに変化して今日の聿イツと筆ヒツになっていることが図示されている。この変遷図を見ると甲骨文字から楷書まで聿イツがどのような変化をしながら現在に伝わり、秦の時代に竹冠のついた筆の原型が誕生していることがわかる。

変遷図の時代区分について
 なお、この変遷図では時代区分が上から、殷、西周、東周、秦、隷書、楷書となっている。普通、古代文字の区分をする場合、甲骨文字⇒金文⇒篆文⇒隷書⇒楷書という言い方をする。この本の最初の概論を読むと、本書の時代区分は、それぞれ重なる部分があるものの、殷(殷王朝BC16~11世紀)、西周(周王朝前期BC11~8世紀)、東周(周王朝後期:春秋戦国時代BC8~3世紀)、秦(戦国後期の秦以降‐前漢、篆書など・BC3~2世紀)、隷書(前漢・後漢BC2~AD3世紀)、楷書(東晋AD4世紀~)となるようである。

 引き続いて字体の解説を行っているが、以下の文献の解釈を交えながら進めている。
①許慎『説文解字』、②加藤常賢『漢字の起原』、③藤堂明保『学研漢和大字典』、④白川静『字統』、⑤赤塚忠ほか『角川新字源』、⑥鎌田正ほか『新漢語林』、⑦阿辻哲次ほか『新字源』、⑧谷衍奎『漢字源流字典』、⑨李学勤編『字源』、⓾李旭昇『説文新証』の10冊(⑧~⓾は中国の出版物)である。
 そして対象とした字に、これらの文献がどんな解釈をしているかを列挙しつつ、落合氏が自説を展開している。

 落合氏の解説は、専門とする甲骨文字の基本的意味を説明してから入るので説得力がある。そして上記10冊の解釈と異なるものが非常に多い。落合氏は、これまでの代表的な漢字字典が古い字形に基づいていなかったり、存在が確認されていない呪術儀礼をもとにした解釈したり、漢字の上古音の厳密な適用に欠けていたりする事例を指摘している。また、漢字の本家である中国の字典についても、総合的な字源字典が刊行されたのは21世紀に入ってからであり、その多くが古代漢字の知識が少ない状態で分析したりしているとし、現在のところ⑨李学勤編『字源』が最も優秀であるとしている。
 私の個人的な感想であるが、日本の漢字字典は親字の意味と用例・熟語などはしっかりしているが、解字については信頼できるものが少ないと感じる。

音符と音符家族字が一緒になった変遷図があった
 これらの変遷図のなかで、いくつか「我が意を得たり」と思うものがあった。それは例えば下図の「申」の図である。

 この図では、基本となる音符「申シン」と派生字の「神シン」それに「電デン」が、たまたま教育漢字であり、この3つが同じ図のなかに配列されているのである。この図をみると、イナズマの形である甲骨文字の申が時代を経てゆく過程で、ネ(示)偏がついた神シンができ、また雨の中のイナズマがすでに甲骨文字にあり、これが電デンになってゆく過程もよくわかる。わたしがブログ「漢字の音符」で思い描いているのは、一つの音符を中心とした、このような関連図的な記述である。

 落合氏は、こうした漢字変遷図をすでに2019年に『漢字の字形 甲骨文字から篆書、楷書へ』(中公新書)、さらに翌年刊行の『漢字の構造 古代中国の社会と文化』(中公選書)のなかで使用しているから、これらの本を読んだ方にとって、教育漢字がすべて収録されている『漢字字形史字典』は魅力的な一冊であろう。

 しかし、この本の定価は、10,780円(9,800円+税)と高額だ。1000ページを超える本だからやむを得ない面もあるが、漢字に興味のあるというだけの方にとっては手がでにくい。
 小学校の先生も読みたい方は多いと思われるが、一万円を払って買う先生は少ないだろう。ここは学校図書館か公共図書館で揃えていただくのがベストではないだろうか。それだけの値打ちのある本である。

(落合淳思著『漢字字形史字典【教育漢字対応版】』東方書店 1099+49頁 2022年3月刊 9800円+税)
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1 コメント

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Unknown (zyxzyx)
2022-04-17 22:25:12
「聿」を例示なさっていらっしゃり、
これは、殷朝でも、筆で木簡へ文字を書く行為を推測可能ですね。
なお、その現物および字体は何も出土していないことが残念です。
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