漢字の音符

漢字の字形には発音を表す部分が含まれています。それが漢字音符です。漢字音符および漢字に関する本を取り上げます。

紛らわしい漢字 「畜チク」 と 「蓄チク」

2021年11月24日 | 紛らわしい漢字 
 「畜チク」と「蓄チク」の違いは、草かんむりが、ないか・あるか、だけ。家畜の意味の「畜チク」に草かんむりを付けたら、なぜ蓄(たくわ)える意味になるのか。

 チク・キク・キュウ・やしなう・かう  田部            

解字 甲骨文は「幺(糸束)+鹵(カゴ状のうつわに塩を入れたさま)」の会意。鹵は塩地から取れる天然塩をカゴ状のうつわにいれたさまの象形。これに幺(糸束。ここでは、ひもの意)がついた畜は、塩を入れたカゴなどの口をひもで結んで「たくわえる」こと。金文から、鹵⇒田に変化し、篆文から幺⇒玄に変化した畜になった。[落合淳思『漢字の成り立ち』を参照した]
 意味は甲骨文にあり、塩を「たくわえる」意だが、もうひとつの発音:キクは「鞠育キクイク」(鞠も育も育てる意)に通じ、やしなう・かう意となる。そこから、動物を飼う意となり家畜の意味ができた。現在はキク⇒チクの発音になっている。なお、鞠は本来「身+匊(まるく)」の身匊キク(これで一字。身をまるくかがめる)に通じ、身をかがめて子を抱き育てる意。この字が、まりの意味である同音の鞠キクで代用されている。
意味 (1)たくわえる(=蓄)。「予(よ=母鳥)の畜(たくわ)える所(ところ)は租(=苴。巣に敷く藁わら)なり」「『詩経』豳ヒン風・鴟鴞シキョウ)翻訳:私(母鳥)が蓄えるのは(巣に敷く)敷き藁です。 (2)やしなう(畜う)。かう(畜う)。「牧畜ボクチク」「畜養チクヨウ」(畜い養う) (3)人に飼われている動物。「家畜カチク」「六畜ロクチク」(馬・牛・羊・鶏・犬・豚の六種をいう)「畜産チクサン」「畜生チクショウ」(①人に飼われて生きるもの。②人をののしる語)
覚え方 ゲンタ(玄田)の家(ゲンタくんの家の家畜)

イメージ 
 「たくわえる」
畜・蓄
音の変化  チク:畜・蓄  

たくわえる
 チク・キク・たくわえる  艸部
解字 「艸(くさ)+畜(たくわえる)」の会意形声。畜は本来、たくわえる意であるが、家畜の意味に使われるようになったので、草をつけて本来の「たくわえる」意味を表した。
意味 たくわえる(蓄える)。たくわえ(蓄え)。「蓄財チクザイ」「蓄積チクセキ」「貯蓄チョチク」「備蓄ビチク
覚え方 草()を刈り、冬の家のエサにとえる。
<紫色は常用漢字>

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音符「甫ホ」<びったりとつく・つける>と「補ホ」「哺ホ」「捕ホ」「舗ホ」

2021年11月21日 | 漢字の音符
 鋪ホ・脯ホ を追加しました。 
 ホ・フ   用部

解字 甲骨文は、田(耕作地)に苗や苗木が植えられている形で圃(はたけ)の原字。金文に至ってこの字は別字となった。上部は発音の一つであるフを表すため父フになり、下部は田と似た形の用に変化した。篆文までこの字形が続いたが、隷書(漢代の役人などが主に使用した書体)になり上部がまた変化し、最終的に甫の字形になった。意味は、甲骨文の田に苗や苗木を植えた形から「はじめ」、田(耕作地)が「ひろい」、金文から発音を表すため追加された父に影響されて男子の美称に用いられる。
 なお、この字は発音の一つ「フ」が付(つく)に通じ、「びったりとつく・つける」イメージで多用される。しかし、日本語の発音はホ(漢音)が使われる(フは呉音)。
意味 (1)はじめ。 (2)ひろい。「甫田ホデン」(ひろい田畑) (3)男子の美称。元服したとき字(あざな)にそえる語。また、年長の男性にもつける。「尊甫ソンホ」(あなたのお父さん)「尼甫ジホ」(孔子のこと)

イメージ  
 「苗や苗木を植えた耕作地」
(甫・圃)
 「びったりとつく・つける」(補・哺・捕・浦・蒲・匍・葡・輔・舗・鋪・脯)
音の変化  ホ:甫・圃・補・哺・捕・浦・蒲・匍・葡・輔・舗・鋪・脯
  
苗や苗木を植えた耕作地
 ホ・フ・はたけ  囗部
解字 「囗(かこい)+甫(苗や苗木を植えた耕作地)」の会意形声。甫が、男子の美称などの意味に変化したため、もとの意味である「苗や苗木を植えた耕作地」を表すため、囗(かこい)をつけた。
意味  はたけ(圃)。果樹や野菜を栽培する耕地。「田圃デンポ」「農圃ノウホ

びったりとつく・つける
 ホ・フ・おぎなう  衤部
解字 「衤(ころも)+甫(つける)」の会意形声。衣の破れ目に布きれをあてて修理すること。欠けたところを補うこと。
意味 (1)おぎなう(補う)。つくろう。「補強ホキョウ」 (2)たすける。「補佐ホサ」「補助ホジョ」 (3)正式の職につく前の身分。「候補コウホ
 ホ・ブ・ふくむ・はぐくむ  口部  
解字 「口(くち)+甫(ぴったりとつける)」の会意形声。口をぴたりと当ててものを含むこと。
意味 (1)ふくむ(哺む)。口にふくむ。「哺乳ホニュウ」 (2)はぐくむ(哺む)。やしなう。
 ホ・ブ・とらえる・とらわれる・とる・つかまえる・つかまる  扌部
解字 「扌(て)+甫(つける)」の会意形声。手を相手に付けてとらえること。
意味 とる(捕る)。とらえる(捕らえる)。つかまえる(捕まえる)。「逮捕タイホ」「拿捕ダホ」「捕手ホシュ
 ホ・フ・うら  氵部
解字 「氵(みず)+甫(つける)」 の会意形声。水がひたひたと打ち寄せる岸辺。
意味 (1)うら(浦)。川や湖などのほとり。はま。岸。水辺。「浦の苫屋うらのとまや」 (2)支流が本流に、また、川が海にそそぐ所。「浦口ホコウ」「江浦コウホ」 (3)[国]海や湖が陸地に入り込んでいる所。入り江。「田子の浦うら
 ホ・フ・がま  艸部
解字 「艸(草)+浦(みずべ)」の会意形声。水辺に生える草。
意味 (1)がま(蒲)。水辺に自生するガマ科の多年草。葉を編んでむしろを作る。 (2)ヤナギ科の落葉小低木。「蒲柳ホリュウ」(カワヤナギの別称) (3)ガマの葉で編んだむしろ。「蒲団フトン」(①蒲の葉で編んだ円座。②布地で綿をくるんだ敷物や寝具) (4)「蒲公英ほこうえい・タンポポ」とは、タンポポ属の多年草の総称。根は生薬となる。
 ホ・フ・はらばう  勹部
解字 「勹(身をかがめる)+甫(つける)」の会意形声。勹は人が身をかがめた形。これに甫をつけた匍は、体を地面につけること。はらばう意となる。
意味 はらばう(匐う)。はう。「匍匐ホフク」(はらばうこと)「匍匐前進ホフクゼンシン」(はらばって進む)「匍匐茎ホフクケイ」(地上をはうようにのびる茎。ランナー)
 ホ・ブ  艸部
解字 「艸(草木)+匍(ブ・ホ)」の形声。ブ(漢音)・ホ(呉音)とよばれる植物。「葡萄ブドウ」に使われる字。また発音を利用し国名「葡萄牙ポルトガル」に用いられる。
意味 (1)「葡萄ブドウ」に使われる字。葡萄とは、蔓性落葉低木の果樹。房状の液果がなる。名前は西域の方言に由来し、発音を表す「匍匋」に草冠をつけた。「葡萄酒ブドウシュ」 (2)国の名。「葡萄牙ポルトガル」(ヨーロッパ南西端の国)
 ホ・フ・すけ・たすける  車部

 輔を付けた車輪
両図とも中国の検索サイトから。原サイトなし。
解字 「車(くるま)+甫(つける)」の会意形声。車に重いものを載せるとき、輻フク(スポーク)への負担を減らすため車輪にあてて渡す二本の添え木(図)。
意味 (1)たすける(輔ける)。すけ(輔)。力を添える。「輔車ホシャ」(車輪とその添え木のように互いに助け合う関係にあるもの)「輔車相依ホシャソウイ」(輔と車輪は相い依る。密接な関係にあって切り離せない例え)「輔佐ホサ」(=補佐)「輔弼ホヒツ」(天子が政治を行なうのを輔けること) (2)「大輔タイフ」とは、律令制の官職で省の長官を卿キョウといい、次官を大輔タイフと言った。大輔の下位に少輔ショウフがいた。) (3)人名。「大輔だいすけ」(高橋大輔、松坂大輔など)
 ホ・フ・みせ・しく  舌部
解字 「舎(建物)+甫(びったりとつける)」の会意形声。商品を敷きつめるように並べた店。
意味 (1)みせ。商店。「店舗テンポ」「老舗ロウホ・しにせ」 (2)しく(舗く)。しきつめる。「舗装ホソウ」「舗道ホドウ
 ホ・フ  金部
 門鐶(鋪首)
https://www.duitang.com/blog/?id=1014586734
解字 「金(金属)+甫(ぴたりとつける)」の会意形声。[説文解字]に「門に箸(つ)くる鋪首なり」とあり、門扉に亀蛇や獣などの形に金輪をつけた門鐶モンカン(門扉に付ける金輪)をいう。転じて、しく意ともなる。
意味 (1)門扉の金具。「鋪金ホキン」「鋪首ホシュ」 (2)しく(鋪く)。「鋪装ホソウ」(=舗装)「鋪道ホドウ」(=舗道)
 ホ・フ・ほしし  月部にく
解字 「月(にく)+甫(ぴたりとつける)」の会意形声。蒸して平らにのばした肉を、板状のものにぴたりとつけて日に干したもの。アンズなどの果物を干したものにも言う。
意味 ほしし(脯)。ほしじし。干した獣や鳥などの肉。ほししし(干し肉しし。干し宍しし)の略。乾肉。蒸して平らに延ばして干した肉。「脯資ホシ」(干し肉と食料。転じて、旅行の費用)「脯脩ホシュウ」(脯は平らな干し肉、脩は細長い干し肉。授業の月謝・謝礼の意味にも使う)「脯醢ホカイ」(ほししとしおから)「酒脯シュホ」(酒とほしし)
<紫色は常用漢字>

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音符 「歴レキ」 <めぐる・つぎつぎに> と 「暦レキ]

2021年11月15日 | 漢字の音符
  レキの解字を改めました。
 レキ・リャク・へる  止部     

解字 甲骨文は「秝レキ+止(あし)」の形。秝レキは、作物の禾(穂がたれるイネ科の米・麦・粟など)が二つ並んでいるさまで、畝(うね)に植えられたイネ科の作物が畝の間隔をあけて並んで続いているさま。それに止(あし)のついた「秝+止」は秝レキが続く耕作地のあぜ道を畝(うね)を横に(見て)歩むこと。しかし、甲骨文の意味は、祭祀名・地名またはその長、となっており原義ではない。
 金文になると、厂カンが加わり「厤レキ+止(あゆむ)」となった。問題は、この厂カンの意味である。厂は発音を表す音符として用いられることが多いが、厤レキでは発音を秝レキが受け持っいるので音符ではない。わたしは、厂は区切りを意味するのではないかと思う。つまり、秝レキが続く耕作地のあぜ道を歩んできたが、ここで区切りを入れ、これまで歩んできたこと、つまり経過したことを表したと考える。金文の意味は地名であるが、經歷(経過)の意味もある文例もあるという[漢語多功能字庫(ネット)]。金文の形を引き継いだ篆文は[説文解字]が「過(すぎ)る也(なり)」としており経過する意。旧字の「厤+止」から新字体は秝⇒林に変化した歴になった。意味は、へる・すぎる・めぐる意、また秝レキが畝(うね)で順序よくならぶことから、つぎつぎにの意となる。
意味 (1)へる(歴る)。年月をへる。「歴史レキシ」(歴てきたことを史(ふみ)に書く)「履歴リレキ」(履(くつ)でふみおこなってきた経歴) (2)めぐる。わたる。つぎつぎに。「歴訪レキホウ」「巡歴ジュンレキ」「歴任レキニン」(次々と官職に任ぜられる) (3)(経歴がわかる意から)確かな。はっきりしている。「歴然レキゼン」「歴レッキと」(レキトの促音化。はっきりしているさま)「歴とした証拠」「歴とした家柄」

イメージ 
 「へる・めぐる」歴・暦
 「つぎつぎに」瀝・靂・櫪・癧
音の変化  レキ:歴・暦・瀝・靂・櫪・癧

へる・めぐる
 レキ・リャク・こよみ  日部
解字 旧字は曆で「日(太陽)+歷の略体(つぎつぎにめぐる)」の会意形声。日が次々にめぐる意で、太陽の一年のめぐりを表したこよみ。新字体で暦に変化。
意味 (1)こよみ(暦)。「太陽暦タイヨウレキ」「暦日レキジツ」(暦で定めてある日)「暦法レキホウ」「西暦セイレキ」「花暦はなごよみ」 (2)めぐりあわせ。運命。「暦数レキスウ」(①太陽と月の運行を測って暦を作る方法。②めぐりあわせ) (3)リャクの発音。「延暦寺エンリャクジ」(京都北東の比叡山にある天台宗の総本山)

つぎつぎに
 レキ・したたる  氵部
解字 「氵(みず)+歷(つぎつぎに)」の会意形声。水がつぎつぎとしたたり落ちること。
意味 (1)したたる(る)。したたり。「瀝瀝レキレキ」(水などのしたたるさま)「滴瀝テキレキ」(滴も瀝も、したたる意) (2)そそぐ。ながれる。「披瀝ヒレキ」(披(ひらき)きそそぐ。心中の思いを包むことなくうちあける) (3)「瀝青レキセイ」とは、①本来は天然アスファルトの意。②石炭・石油を蒸留したあとの残りかす。道路の舗装や塗料に用いる。
 レキ
解字 「雨(あめ)+歷(つぎつぎと)」の会意形声。雨の中をつぎつぎと連続して鳴り響くカミナリの音をいう。
意味 「霹靂ヘキレキ」に使われる字。「霹靂ヘキレキ」とは、①急激な雷鳴の意。②はげしい音響の形容。「青天の霹靂」(晴天ににわかに起こる雷鳴で、突然に起こる大事件) 
※「ヘキ」は、「雨+辟ヘキ(切り裂く)」で、雨の中を切り裂くように響く雷鳴の意。
 レキ・かいばおけ・くぬぎ  木部
解字 「木(き)+歷(つぎつぎと)」の会意形声。つぎつぎと連続する板の意で桶のこと。特に馬の飼い葉おけをいう。また、発音の歷レキは櫟レキ(くぬぎ)に通じ、くぬぎの木をいう。
意味 (1)かいばおけ()。まぐさおけ。「櫪馬レキバ」(うまやにつながれている馬) (2)くぬぎ()。ブナ科の落葉高木。
 レキ  疒部
解字 「疒(やまい)+歴(つぎつぎと)」の会意形声。「瘰癧ルイレキ」に使われる字。
意味 「瘰癧ルイレキ」とは、首のリンパ腺につぎつぎと連なってできる腫れ物をいう。
<紫色は常用漢字>

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音符「僉[㑒]セン」<多くの人があつまる>と「倹ケン」「剣ケン」「険ケン」「検ケン」「験ケン」

2021年11月12日 | 漢字の音符
 セン・ケン・みな  人部

解字 僉は単独での出現は篆文(説文解字)以降であるが、他の音符字には金文から見える。金文は剣[劍]から僉の部分を取り出した。字形はA(屋根)の下に兄が二人並んださま。兄は「口+人」で、人が祝詞(のりと)を唱えるようすを表す。戦国(秦)の文字は、屋根が∧になり、兄兄の下に曰エツ(いう)が付いて、唱えるさまを表している。篆文は、屋根が亼に変わった僉となった。[説文解字]は「皆なり」としている。[字統]は、二人並んで祝祷(祈祷)する形であり神事に関する字であるとする。また、金文は剣ケンを僉ケンに作っており古くはケンの声があったのであろう、としている。新字体で用いられるときは、僉⇒㑒に変わる。
意味 みな(僉)。ともに。ことごとく。「僉議センギ」(多人数の人による評議。衆議)

イメージ 
 「多くの人」(僉・斂・瞼)
  多くの人が「あつまる」(検・験・鹸)
 「形声字」(剣・険・嶮・倹・簽・匳・臉)
音の変化  セン:僉・簽  ケン:検・験・瞼・鹸・剣・険・嶮・倹・臉  レン:斂・匳 

多くの人
 レン・おさめる  攵部

解字 金文は「僉(多くの人)+曰エツ(いう)+攴ボク(手に棒状のものを持ち打つ形)」で、集まって祝詞を唱えている人を打つ形。兄兄の両側や間にタテ線が描かれているが、叩かれた衝撃か。金文の意味は、賦税フゼイ(税を賦課する)、および労役の意で、つまり斂は租税の意味になっている[簡明金文詞典]。篆文は曰エツが取れた形で[説文解字]は、「収める」としている。現代字は攴⇒攵に変化した斂になった。発音は、センがレンに変化した。
意味 (1)あつめる(斂める)。とりいれる。徴収する。「貲材を斂(あつ)め以て其の行(コウ)を送る」(資材を集めて彼らの出発を見送った。)「斂穫レンカク」(穀物の取入れ)「苛斂カレン」(租税など苛酷に取り立てる)「苛斂誅求カレンチュウキュウ」(租税などをきびしくとりたてる) (2)おさめる(斂める)。かたずける。しまう。「斂手レンシュ」(①手をひっこめる。②両手を組む)「斂足レンソク」(足をおさめて進まないさま) (3)死者のなきがらをおさめる。「斂葬レンソウ」(死者を地中に葬ること)「斂殯レンビン」(死体を納棺して安置する) (4)「収斂シュウレン」とは、①作物をおさめる(収穫する)、②租税をとりたてる意であったが、近年は数学用語で、③ある一つの値に限りなく近づくこと。生物学で、④発生の異なる生物の器官が似てくること(例:鳥の翼と昆虫の羽)、の意で使われる。
 ケン・まぶた  目部  
解字 「目(め)+僉(=斂。おさめる)」 の会意形声。目玉をおさめる覆い。
意味 まぶた(瞼)。目をおおっておさめる瞼まぶた。眼球の表面をおおって開閉する「目の蓋」(まなこのふた⇒まなこ)。「眼瞼ガンケン」(まぶた)「花瞼カケン」(美しいまぶた。美人のまぶた)「瞼(まぶた)の母」(瞼を閉じると浮かぶ母の姿)
 ケン・レン  月部にく
解字 「月(にく)+僉(=瞼。まぶた)」の会意形声。まぶたの下の肉で、ほおを言ったが、のち顔全体や体面を言うようになった。現代中国で、顔は顔料(色)の意味で用いられることが多く、かおの意は臉がよく使われる。
意味 (1)ほお(臉)。かお(臉)。「花臉カケン」(花のように美しいかお)「紅臉コウケン」(紅いほお、転じて赤いかお・美人のかお)「変臉ヘンレン」(中国の川劇センゲキ(四川省の劇)で行われる、劇中に登場人物が一瞬に面を変える技) (2)体面。面子。

あつまる
 ケン・しらべる  木部
解字 旧字は檢で「木(木ふだ)+僉(あつめる)」の会意形声。役所で集めた竹簡や木簡の文書を先方に送るため、宛先別にひとまとめにし、木ふだに宛先などを書き、紐をつけて括ること。発送する者や受け取った者が、木ふだを見て確認することから、しらべる・あらためる意となる。また、しらべる意からさらに転じて、とりしまる意となった。新字体は、檢⇒検に変化。
意味 (1)しらべる(検べる)。あらためる(検める)。「検査ケンサ」「検閲ケンエツ」 (2)とりしまる。ただす。拘束する。「検束ケンソク」(取り締まりを行い行動を抑制する)
 ケン・ゲン・ためす  馬部
解字 旧字は驗で「馬(うま)+僉(あつめる)」の会意形声。集めそろえた馬を乗り比べてためすこと。僉は神事に関する字でもあることから、「霊験レイゲン」(神仏などのしるし)などの意ともなる。新字体は、驗⇒験となる。
意味 (1)ためす(験す)。しらべる。こころみる。「試験シケン」「実験ジッケン」 (2)しるし(験)。あかし。効果。「霊験レイゲン」(神仏などのしるし)「効験コウケン」(ききめ)
 ケン  鹵部 
解字 本字はで「鹵(塩地)+僉(あつまる)」の会意形声。鹵は天然の塩地の意で、それに僉(あつまる)がついた鹸は、あつまった純粋な塩分のこと。また、塩分は藻(も)などを焼いても作れるので、草木灰および、その灰から作るあく(灰汁)の意ともなる。
意味 (1)しおけ。地質にふくまれる塩分。塩の析出成分。 (2)あく(灰汁)。灰を水にとかした上澄み液。アルカリ性なので洗剤となる。「石鹸セッケン」(あたためた油脂に灰汁を入れてかため石のようにした洗剤。いわば固形アルカリ) (3)アルカリ。水溶性の塩基。「鹸性ケンセイ」(アルカリ性)

形声字
 ケン・つるぎ  刂部

解字 金文第1字は「金(金属)+僉ケン」の形声。ケンという名の金属(ここでは青銅)の、つるぎ(剣)をいう。第2字は兄兄の下部に二本線をいれ、二人が一体化していることを表し細長いつるぎを意味させたものであろう。篆文は金の代わりに刃を付けた字。刃は刀の切る部分である薄く鋭い部分のこと。この刃が両側にあるつるぎを表す。のち、刃⇒刂(刀)に変化した旧字の劍をへて、新字体は剣となった。
意味 (1)つるぎ(剣)。刀を使う術。「剣士ケンシ」「剣道ケンドウ」 (2)つるぎのように先のとがったもの「剣山ケンザン」(生け花で花を挿すのに使う道具)「剣玉ケンだま
 ケン・けわしい  阝部
解字 旧字は險で「阝(丘)+僉(=劍の略体)」の形声。つるぎを横にした刃のような阝(丘)の意で、傾斜が急で登るのにむずかしい丘をいう。新字体は、險⇒険となる。
意味 ①けわしい(険しい)。傾斜が急なけわしい地形。「険峻ケンシュン」「険路ケンロ」「険阻ケンソ」(2)あやうい。あぶない。「危険キケン」「保険ホケン」(人が危険に陥ったとき保障する制度) (3)とげとげしい。「険悪ケンアク
 ケン・けわしい  山部
解字 「山(やま)+僉(=険。けわしい)」の会意形声。けわしい山で、けわしい意。
意味 けわしい。山の切り立っているさま。「嶮路ケンロ」(けわしい山路)
 ケン・つましい  イ部
解字 旧字は儉で「イ(人)+僉(ケン)」の形声。ケンは兼ケン(かねる)に通じ、一つのものをいろんな用途に兼ねて用い、贅沢をしないこと。新字体は、儉⇒倹となる。
意味 (1)つましい(倹しい)。つづまやか。「倹約ケンヤク」「勤倹キンケン」(勤勉で倹約する) (2)へりくだる。ひかえめ。「恭倹キョウケン」(人にうやうやしく、自分の行ないは慎み深い)
 セン・ふだ  竹部
解字 「竹(竹簡)+僉(セン)」の形声。センは箋セン(薄い竹のふだ)に通じ、ふだをいう。また、ふだに署名すること。
意味  (1)ふだ(簽)。見出しを書いてつける。また、表題。「題簽ダイセン」(和漢書の表紙に貼った書名を書いた細長い紙=題箋) (2)署名する。「簽押センオウ」(署名捺印する)「簽書センショ」(署名を書く)
 レン・はこ  匚部
解字 「匚ホウ(はこ)+僉(レン)」の形声。レンは斂(おさめる)に通じ、物をおさめるはこ。特に化粧品や小物を容れる容器をいう。
意味 (1)はこ(匳)。化粧用具を容れる小箱。くしげ(櫛笥)。鏡ばこ。「鏡匳キョウレン」(鏡や化粧品をいれるはこ)「香匳コウレン」(香をいれるはこ)
<紫色は常用漢字>

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漢字音符研究の魁(さきがけ) 後藤朝太郎 (下)

2021年11月10日 | 漢字音
     「支那通」作家となった後半生
 1912(明治45)年7月、31歳の時、後藤朝太郎は大学院を卒業した。大学院在学中に少壮言語学者としての評価が定まったといえる彼は、その後どうしたのだろうか。実は、その後の彼の経歴について、はっきりした資料が出てこない。昭和2年(1927)に発行された『五十年後の太平洋 大阪毎日新聞懸賞論文』(大阪毎日新聞社)には、佳作となった後藤朝太郎の略歴が以下のように記されている。

文部省国語調査員、台湾総督府高砂寮長、東洋協会大学教授へ
 「原籍は東京。明治四十年東京帝国大学文学部言語科を卒(お)へ、後同大学院学生となり、次いで文部省国語調査員、台湾総督府高砂寮長となる。大正十年『支那文化の解剖』を著し、なお多くの著書がある。」
 また、大正10年(1921)刊行の『支那文化の解剖』(大阪屋号書店)の凡例に、「自分は東洋協会の主事に兼ねて東洋協会大学の教授をしている関係上、本書の如きも協会の調査部の出版として出した訳である。」と書いている。
 そして、(上)で冒頭に挙げた劉家鑫氏の論文「『支那通』後藤朝太郎の中国認識」には、「1918年(大正7)ごろから26年(大正15)ごろまでに20数回も中国に渡り、生きた中国の現実に触れた」とし、「この時期の後藤は、東洋協会大学の主事兼教授として、あらゆる休みを利用して中国に渡った。」と書かれている。東洋協会大学とは拓殖大学の前身で、明治33年(1900)設立の台湾協会学校に始まり、旧制東洋協会大学となり、大正15年(1926)拓殖大学、昭和24年新制大学へ移行した、現在東京都文京区に本部がある私立大学である。
 こうして見ると、大学院を修了した後藤は、文部省国語調査員および台湾総督府高砂寮長となって台湾に渡ったのち、明治33年(1900)に設立されていた台湾協会学校でも教鞭をとり(ここは未確認)、次いで東京にある東洋協会大学の教授になったのではないかと思われる。なお、ウィキペディアには彼の経歴が、「文部省、台湾総督府、朝鮮総督府嘱託[4]。東京帝国大学・東京高等造園学校各講師、日本大学教授[1]、日本庭園協会・東京家庭学院各理事、日本文明協会・東洋協会各評議員などをつとめた[4]。」(出典は[1]がコトバンク。[4]が「人事興信録・第12版上」と掲載されている。

1918年(大正7)ごろから26年(大正15)ごろまでに20数回も中国に渡る
 東京帝国大学で「支那語の音韻組織」という研究テーマで学問をしてきた後藤朝太郎にとって、中国に渡り各地の方言を採集し、それを材料として古代の音韻との比較研究をすることによって支那語の音韻組織を解明したいという思いは何よりも強かったにちがいない。ましてや1910年、スエーデンの二十歳の若者カールグレンが、中国大陸にわたり方言の調査をし、1915年に『中国音韻学研究』を著している。自分も中国で調査したいという気持ちは起きて当然である。劉家鑫氏の論文にあるように後藤朝太郎は、「1918年(大正7)ごろから26年(大正15)ごろまでに20数回も中国に渡り」、方言調査などを行った。こうして、後藤朝太郎と中国の深い関係が始まったのである。

朝太郎は大学院卒業後、20年間にどんな本を出したのか
 後藤朝太郎が大学院を卒業した年の1912年(明治45)以降、1931年(昭6)までの20年間、彼がどんな本を出版したかを以下に一覧してみよう。出版物を国立国会図書館のデータから調べると、

漢字関係(書道を含む)の本
 「文字の沿革 建築編」(成美堂書店)     1915(大正4)
 「文字の起源 通俗大学文庫6」(通俗大学会) 1916(大正5)
 「文字の教え方」(二松堂)          1918(大正7)
 「国訳漢文大成11 淮南子訳注」(国民文庫刊行会)1921(大正10)
 「文字の智識」(日本大学)         1923(大正12)
 「文字の沿革」(日本大学)         1926(大正15)
 「翰墨談」(富士書房)           1929(昭和4)
 「標準漢和辞典:共編」(正和堂書店)    1929(昭和4)
 「標準ポケット漢和:共編」(聚文閣)    1931(昭和6)
 「翰墨行脚」(春陽堂)           1931(昭和6)
 これらの本のうち、「文字の沿革」「文字の起源」は彼が大学院時代に出版した本を再版したものであり、「文字の教え方」も大学院時代の「漢字の教授法」の類似版である。また、「翰墨(かんぼく)談」「翰墨行脚」は彼が書道関係の本まで執筆分野を広げたことがわかる。また「標準漢和辞典」「標準ポケット漢和」は、垣内松三氏との共編である。こうしてみると、大学院卒業後の後藤は漢字分野で特に目立つ研究業績をあげていない。

中国(支那)関係の本
 「現在の台湾」(白水社)          1920(大正9)
 「支那文化の解剖」(大阪屋号書店)     1921(大正10)
 「支那料理の前に」(大阪屋号書店)     1922(大正11)
 「長城の彼方へ」(大阪屋号書店)      1922(大正11)
 「おもしろい支那の風俗」(大阪屋号書店)  1923(大正12)
 「支那趣味の話」(大阪屋号書店)      1924(大正13)
 「支那文化の研究」(冨山房)        1925(大正14)
 「歓楽の支那」(日本郵船)         1925(大正14)
 「支那の田舎めぐり」(日本郵船)      1925(大正14)
 「支那の社会相」(雄山閣)         1926(大正15)
 「支那の国民性」(巌翠堂)         1926(大正15)
 「支那風俗の話」(大阪屋号書店)      1927(昭和2)
 「支那行脚記」(万里閣)          1927(昭和2)
 「支那今日の社会相と文化」(文明協会)   1927(昭和2)
 「支那風俗の話」(大阪屋号書店)      1927(昭和2)
 「支那国民性講話」(巌翠堂)        1927(昭和2)
 「支那遊記」(春陽堂)           1927(昭和2)
 「長久の支那」(北隆館)          1927(昭和2)
 「不老長生」(日本郵船)          1927(昭和2)
 「老朋友」(日本郵船)           1927(昭和2)
 「お隣の支那」(大阪屋号書店)       1928(昭和3)
 「支那の風景と庭園 造園叢書17」(雄山閣) 1928(昭和3)
 「阿片室:支那綺談」(万里閣書房)     1928(昭和3)
 「青龍刀 支那秘談」(万里閣書房)     1928(昭和3)
 「支那長生秘術」(富士書房)        1929(昭和4)
 「大支那体系8 風俗趣味篇」(万里閣書房) 1930(昭和5)
 「支那料理通」(四六書院)         1930(昭和5)
 「支那労農階級の生活」(三省堂)      1930(昭和5)
 「支那民情を語る」(雄山閣)        1930(昭和5)
 「哲人支那」(千倉書房)          1930(昭和5)
 「支那旅行通」(四六書院)         1930(昭和5)
 「時局を縺らす支那の民情」(千倉書房)   1931(昭和6)
 中国関連の本は大学院卒業後7年間の空白を置いて、まず1920年(大正9)に「現在の台湾」が出版され、翌年、中国本土をテーマにした「支那文化の解剖」が初めて刊行された。その後、1931年(昭和6)まで途切れることなく出版がつづき、最も多い1927年(昭和2)は9冊もの本を刊行している。こうなると流行作家なみである。以下の表は、大学院卒業後20年間に後藤朝太郎が出版した主な本の点数である。
 
中国を旅行するときのスタイルは支那帽と支那服
 こうして大学院卒業後から51歳になるまでの20年間、後藤は漢字音の研究は片手間となり、もっぱら中国大陸を行脚し、卒業後7年間の雌伏の期間をへて、中国各地の民情・風俗・文化を伝える作家に変身したのである。彼が中国を旅行するときのスタイルは支那帽と支那服であった。1942年(昭和17)に再版された「文字の研究」の口絵写真には著者の支那服姿が掲載されているが、その説明に「支那の文字金石学者や文人墨客老農禅僧を巡訪するには和服は適せず、又洋服姿はぎごちなく環境にも調和しない。清談には、こうしたシーコワピマオ(西瓜皮帽)と、マーコワル(馬褂児)に限る。似合う似合わぬは問題でなく、目的遂行の上から云ってピッタリ来るし、又なごやかに行けもする。」と書いている。
 こうして中国音韻学の専門家は各地を訪ねて方言を調査するはずが、村落の生活や庶民の暮らしに興味をもつ中国通となり、さらに支那の魅力にとりつかれてしまうのである。

支那の魅力にとりつかれた後藤朝太郎
昭和16年頃(60歳頃)の後藤朝太郎
 大学院卒業から20年をすぎ、1933年(昭和7)に52歳になった後藤朝太郎は、その後も旺盛な出版活動をおこなっている。
 まず漢字関係の主な図書としては、
 「文字の研究」(関書院)         1935(昭和10)
 「文字行脚」(知進社)          1936(昭和11)
 「改定 漢字音の系統」(関書院)     1937(昭和12)
 「文字の起源と沿革」(峯文壮)      1939(昭和14)
 「漢字の学び方教え方」(丸井書店)    1940(昭和15)
 「文字の研究」(森北書店)        1942(昭和17)
 「文字講話」(黄河書店)         1943(昭和18)
 以上の7冊である。このうち「文字の研究」は大学院在学中の1910年(明治43)に発行された本であるが、よほど評判が良かったらしく出版社を替えて2回も再版されている。昭和18年刊「文字講話」(黄河書店)の凡例に「字音の方言中に散在する訛音(なまりのある発音)の聞き取りは四十有余回にわたり各地の水村山郭を普く行脚中に努めて採集した。」とあり、中国を旅行中に調査した結果を、以前刊行した書物の再版のなかで追加しているようである。
 1936年(昭和11)の「文字行脚」は、文字についての幅広い案内書。また「改定 漢字音の系統」は、1909年(明治42)に発行されたものの改訂版である。また「文字の起源と沿革」は、大正時代に発行された「文字の起源」「文字の沿革」をまとめたもの。「漢字の学び方教え方」は、「文字の教え方」(大正7)の類書である。「文字講話」は古代文字の変遷を主に書いている。したがって後藤朝太郎の漢字学に対する成果は、主に大学院在学中の研究成果を中心にした改訂版や普及版を出したことであろう。

中国関連の図書は相変わらず多数出版
 一方、中国関連の図書は相変わらず多数出版した。「文字の研究」(森北書店)(1942・昭和17)の最後に彼の著述書目として103冊が挙げられているが、そのうち1933年(昭和8)以降は、
 1933年(昭和8)   「支那の山水」など5冊
 1934年(昭和9)   「支那庭園」など2冊
 1935年(昭和10)  「支那風土記」など3冊
 1936年(昭和11)  「支那民族の展望」など5冊
 1937年(昭和12)  「土匪村行脚」など6冊
 1938年(昭和13)  「大支那の理解」など7冊
 1939年(昭和14)  「支那の下層民」など3冊
 1940年(昭和15)  「支那の土豪」など2冊
 1941年(昭和16)  「論語と支那の実生活」など2冊
 この後を国会図書館の目録から追加すると、
 1943年(昭和18)  「支那風物志1」など3冊 
 があり、合計38冊となる。大学院卒業後20年間の32冊より多い。後藤は昭和17年刊の「文字の研究」に「支那四百余州の遊歴四十幾回に及ぶ」と書いており、先の劉家鑫氏の論文には、「1918年(大正7)ごろから26年(大正15)ごろまでに20数回も中国に渡り」、と書いているので、その後も20回ほど訪中したことになる。この飽くなき情熱で後藤朝太郎は当時の中国を題材としたルポルタージュ作家になったと言える。そして、中国の文化と人々を愛し、かの国の魅力にとりつかれてしまったのである。

突然の逝去
 劉氏論文「『支那通』後藤朝太郎の中国認識」は、昭和初期から没年(昭和20)までを彼の人生の第四段階とし、「支那通として研究者たちからは軽蔑な眼で見られながらも、中国の民族文化や民衆社会を鑑賞、描写する一方、日本の軍国主義的権力者に対して、精神的心理的に抵抗した時期であった」とする。そして、
 「日中戦争が勃発後、後藤は特高警察の尾行、憲兵の逮捕、大学講義内容の検閲、巣鴨拘置所入り等々の迫害を受けるようになり、ついに敗戦直前の1945年(昭和20)8月9日夜八時半、都立高校駅踏切で轢死を装い暗殺されるに至る」と記述している。
 昭和20年8月9日といえば終戦(8月15日)の7日前である。大変惜しいことであった。もし生存していれば、戦後の漢字音符研究ももっと進展していたに違いない。

謝辞 本稿の作成にあたり、劉家鑫氏の論文「『支那通』後藤朝太郎の中国認識」(『環日本海研究年報』第4号、1997年3月)の第一章「後藤朝太郎その人」を参照・引用させていただきました。感謝いたします。
 また、ブログ「礫川全次<コイシカワ・ゼンジ>のコラムと明言」の
「後藤朝太郎、東急東横線に轢かれ死亡」2016.1.22で、劉氏の論文の第一章「後藤朝太郎その人」の全文を公開しているので、利用させていただきました。御礼を申し上げます。



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漢字音符研究の魁(さきがけ) 後藤朝太郎 (中)

2021年11月07日 | 漢字音
漢字音符研究の魁となった『漢字音の系統』(1909年・明治42)
 前回に紹介した『文字の研究』(1910年)の前年に発行された『漢字音の系統』(六合館 1909年・明治42)の紹介をさせていただく。この本こそ、私が「漢字音符研究の魁」と位置づける本なのである。明治42年に東京の六合館から出版された228ページの本である。(この本は昭和12年(1937)にも出版社を関書院に替えて再版された。)
 
『漢字音の系統』(左は明治42年の初版、右は昭和12年の改訂版)

字音の観察には先ず字形を解剖する
 この本の前半で後藤は漢字音について、次のように書いている。
「字音の観察には、先ず字形を解剖して見るのが徑徢(ケイショウ・近道)である。例えば、今若し
  網の字は何故にモウの音を有するか。
  償の字は何故にショオの音を有するか。
 と云う問いが起これば、先ず此の字を解剖し、網は、望、盲、茫などと同じく亡、即ちモオ(一つにボオ)の音符を有するに依るもので、は、嘗、掌、常、裳、廠などと同類で尚、即ちショオの音符を有して居るからである、と云う点に着目すべきである。又
  奬の字は何故にショオの音を有するか。
  草の字は何故にソオの音を有するか。
 と云うに、は、戕、壯、將などと同じく爿ショオの音符を有するからであって、草の字は早ソウの音符を含んで居るからである。

 と云うように観て来ると大抵の文字は、殆ど其の総てが音符の方面から窺うことが出来ると云っても過言でない。
 下に漢字と、其の音符とを相対照させて、更に多くの適例を挙げてみよう。
  様の音ヨオ‥‥‥‥‥‥‥‥羊
  養の音ヨオ‥‥‥‥‥‥‥‥羊
  勇の音ユウ‥‥‥‥‥‥‥‥用
  の音ヨ‥‥‥‥‥‥‥‥‥
  軋の音アツ‥‥‥‥‥‥‥‥乙
  齒の音シ‥‥‥‥‥‥‥‥‥止
  衷の音チュウ‥‥‥‥‥‥‥中
  築の音チク‥‥‥‥‥‥‥‥竹
  托の音タク‥‥‥‥‥‥‥‥屯
  徒の音ト‥‥‥‥‥‥‥‥‥土
  究の音キュウ‥‥‥‥‥‥‥九
  懇の音コン‥‥‥‥‥‥‥‥艮
  轗の音カン‥‥‥‥‥‥‥‥咸
  錮の音コ‥‥‥‥‥‥‥‥‥古
  簿の音ボ‥‥‥‥‥‥‥‥‥甫
  嫋の音ジョオ‥‥‥‥‥‥‥弱
 音符は大略かくの如くに字面の一部分に含まって居る。

漢字音符に2種類がある
 音符には、羊、竹、土、貝の字の如く、形の方において既に標準となって居ると同時に、又、他方に於いて音の符号としても用いられて居るものがある。
 しかし、其の他の多くは上記の字とは別物である。今、字典類の画引き索引に見える、字形の標準となるものを全部音符として認めると、上記の整った音符よりはるかに多く、両方の字を合計すると実に八百余に達する。此の数は余りにも多すぎる感がするが、しかし、音の立場から字形を解剖し、帰納的に観ると、別々に立つべき音符があまた発見される。

 今ここに或る一群の漢字から、その音符を抽象して立てて見ると、例えば、
  僊、遷、韆、躚‥‥‥‥‥‥‥‥‥セン
 に於いて其のセンの音が出されて居る共通の部分は何処かと云うに、䙴であることがわかる(注:現代の新字体は字形が変化している)。然るに此の字は唯、音の標準としてのみ立てられるだけで、画引き索引の場合には決して立てられない(注:現在の漢字字典では立てられている)。いったい漢字にはセン及びゼンの音を有するものが頗(すこぶ)る多くあるが、しかし其の音符となるものを列挙すると、僅かに次の15個に帰せられる。
  先、占、戔、専、川、扇、韱、廌、羴、䙴、泉‥‥‥‥‥‥‥セン
  前、善、然、全‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ゼン
 かくの如き音符は、上述の如く漢字全体を通じて八百余に達している。

音のみを示す音符と、意味も示す音義両方面を兼ねた音符がある
 音符は一種類の音に於いて、多くは12~13個、少なくとも2~3個の音符が発達しているが、その音符には、純粋に其の字の音のみを示すものがあり、また半ば意義をも示して音義両方面を兼ねたものもある。漢字の大多数は後者に属して、其の根本に音義両方面を兼ねたものが随分ある。例えば、
  杉の字の音サン‥‥‥‥‥‥‥‥彡サン(枝振りの整然たること)
  輻の字の音フク‥‥‥‥‥‥‥‥畐フク(物が豊かに集合すること) 
  忘の字の音ボオ‥‥‥‥‥‥‥‥亡ボオ(物をなくすること)
  酣の字の音カン‥‥‥‥‥‥‥‥甘カン(味うまきこと)
  奸の字の音カン‥‥‥‥‥‥‥‥干カン(おかすこと)
  決の字の音ケツ‥‥‥‥‥‥‥‥夬ケツ(剔(えぐ)り断つこと)
  授の字の音ジュ‥‥‥‥‥‥‥‥受ジュ(うけること)
  暮の字の音ボ(古音マク)‥‥‥莫マク(かくれること)
  鳩の字の音キュウ‥‥‥‥‥‥‥九ク(鳩の鳴き声)
  鶏[鷄]の字の音ケイ‥‥‥‥‥奚ケイ(鷄の鳴き声)
  蛙の字の音ア(古音ガイ)‥‥‥圭ガイ・ケイ(蛙の鳴き声)

 以上の如きは其の好例である。要するに諧声文字(形声文字)が含む音符が単に音を現すことのみを、その役目の全部としているとは云えないのである。以上列挙した類の文字は、これを諧声に会意を兼ねた文字(現在の会意形声文字)と云い、その音符は一面より見れば音符で、他の一面より見れば意義を示して居る。

組み合わせ字も音符となる
 これまで説明した音符は漢字の中に含まれているが、字形全体で音符の役目をはたす単位となるものが少なくない。例えば、辱ジョクの字について見るに、これには何らの音符も認められない。しかし、これが音符の単位となって更に、
  ジョク、ジョク、ジョク、ジュク・ドウ、の如き諧声文字を発達させている。
 同様に、相の字は
  想ソウ、霜ソウ、孀ソウ、廂ショウ、湘ショウ、に通じており、音符の単位として見ることが出来る。

音符の代用
 音符には同音の音符を以って代用とすることがある。これは、代用となる音符の画がむずかしいものの場合に限って多く起こるようである。
  キン   禁と今 ⇒ 襟と衿
  リョオ  量と良 ⇒ 糧と粮
  リュウ  留と㐬 ⇒ 瑠と琉
  サイ   妻と西 ⇒ 棲と栖
  エン   袁と爰 ⇒ 猿と猨

字音の転換
 同じ音符を有している漢字が、同一の音を有していないのは、結局その音符の音が他の音に転じて行くからである。少なくとも其の音符の古音と、今昔の間に音韻上の変遷があったということ。これがその原因の主たるものである。以下にそれらの音符について、その諧声文字を列挙してみよう。

至シの諧声文字
  1.テツ 姪、垤
  2.チツ 窒、銍
  3.チ  致、緻、輊
  4.シツ 室、蛭、桎
  5.シ  鵄
 至の字には単独の時のシの音以外に、テツ、チツ、チ、シツの四通りの音がある。これらの音は実際に於いて、いずれもかつて至の音が取っていた古音の片見として見るべきものである。つまり至の音は最初テツの音からチツ、チ、シツ、シと順次うつり移って、シとなったものである。それ故、垤における至の音テツが、唯(ただ)の時の至の音シに符号していないからと云って、直ちに垤テツが至の音符を有する諧声文字ではないものの如くに思うは誤りである。至の字音については以上のような考え方が必要である。(注:これは貴重な提言であるが、私個人としては判断がつかない。以下の區クも同じ。)

クの諧声文字
  1.ク   嶇、軀、驅、敺
  2.チュ  
  3.スウ  
  4.ウ   
  5.オオ  漚、嘔、甌、歐、鷗、嫗
 區の諧声文字については、その単独の時のクの音が本音であって、それからチュ、スウ(又はス)、ウ、オオにと転じ移っている。それ故、これらの諸音は、區クの音がかつて経過した音と見るべきである。


字音の転換には法則がある
 字音の転換には法則があり、その転換によって色々な音の変化は秩序と統一を得ている。
1. カ行音とラ行音との転換
   各カクの諧声文字   1.カク閣   2.ラク落
   僉センの諧声文字   1.ケン險(険)2.レン斂
   林リンの諧声文字   1.キン禁   2.リン淋
2.タ行音とラ行音との転換
   龍リュウの諧声文字  1.チョオ寵  2.リョオ龍
3.ハ行音とラ行音の転換 
   聿イツの諧声文字   1.ヒツ筆   2.リツ律
   品ヒンの諧声文字   1.ヒン品   2.リン臨
4.マ行音とラ行音の転換
   萬マンの諧声文字   1.マイ邁   2.レイ厲
   里リの諧声文字    1.マイ埋   2.リ理
5.カ行音とマ行音の転換
   黒コクの諧諧声文字  1.コク黒   2.モク黙
   毎マイの諧諧声文字  1.カイ晦   2.マイ毎
   勿モチの諧諧声文字  1.コツ忽   2.モツ物

第二篇 字音系統表
 『漢字音の系統』の後半はP105~229まで125ページに渡って漢字音符が綴音の発音順に配列されている。以下の図は142ページを示している。

 上に綴音を示し、続いてその音符と、音符に所属する音符家族字を列挙している。個々の家族字で発音が音符字と異なるものは、その漢字の右辺にカタカナでルビを振っている。

 最後のページに付記として収録した漢字一覧の統計表がある。それによると、
  綴音220、音符828、収録字数の合計は現行正字5,326、俗字略字624、となっており、収録字数の合計は5,950字となる。
 この字数は後藤がこの本の第一篇「序説」で「我が小学・中学・その他諸学校の教科書・参考書類・衆議院速記録・その外諸種の新聞雑誌類などのうちから残らず漢字を拾い、網羅して見ても先ず5,950字を以って大体の限度としている」と説明しているように、当時の日本人が用いる漢字をほぼ網羅したものと云ってよい。
 これだけ多くの漢字を音符ごとに分類して一覧表にし、しかも前半でそれらの音符についてかなり理論的に解説した本書は、まさに漢字音符研究の魁(さきがけ)と云える。むしろ現在の漢字音符についての理解よりはるか先を行っている感がある。これだけの研究が明治末期になされていたことは驚嘆する。

改訂版の音符数
 なお、後藤朝太郎は昭和12年(1937)に『改訂 漢字音の研究』と題して、関書院から改訂版を発行している。内容はほぼ同じであるが、前書に加え、「漢字活用の指針」「文字研究の一端」を加えている。
 収録漢字は、綴音219、音符830、現行漢字5,186、俗字・略字657、で漢字の総数を5,843字として、最初の版より107字減らして整理している。

 今後の漢字音符研究は、後藤朝太郎が本書や『文字の研究』で提案した課題をいかに解釈し今後に生かしてゆくかが重要な課題となる。


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漢字音符研究の魁(さきがけ)  後藤朝太郎 (上)

2021年11月04日 | 漢字音
後藤朝太郎(1909年)字素数828とは?
 私が後藤朝太郎氏(以下敬称略)の名前を知ったのは最近のことである。ネットで「漢字音符」と入れて検索していたところ、ドイツ出身の日本語学者カイザー・シュテファン氏の漢字の字素数にふれた論文に「著者・後藤朝太郎(1909年)字素数828」とあるのを見つけた。

 この論文の名は「漢字学習書各種アプローチの検討(2)―字素アプローチ:形音義の狭間―」(ネットにPDFあり)という、いささか分かりにくいタイトルだが、内容は「中国では伝統的に部首で配列した字書か、字音で配列した韻書しかなかったが、中国に滞在した宣教師によって漢字の字素という要素が見いだされ、彼らによって研究書が刊行された。字素の数は研究者により違いがあるが、多いもので1689、少ないもので300である」として6名の研究者の字素数の表があり、その最後に「音符である」と注記がついて後藤朝太郎の名が含まれていたのである。音符の数が828というのは、私がこのブログで解説している音符約850字に近い。興味をもった私は「後藤朝太郎」について調べてみることにした。

後藤朝太郎の略歴
 「後藤朝太郎」の略歴は、劉家鑫氏の論文「『支那通』後藤朝太郎の中国認識」(『環日本海研究年報』第4号、1997年3月)の第一章「後藤朝太郎その人」を要約させていただく。まず、生まれから31歳までの歩みを辿ると以下のとおりである。
 後藤朝太郎(ウィキペディアより)
 「後藤朝太郎は1881年(明治14)4月、広島県人で平民の後藤栄次郎の次男として愛媛県に生まれた。五高(現熊本大学)時代、あまり目立つ生徒ではなかったらしい。1903年9月、五高から東京帝国大学文化大学言語学科に入学、同窓に橋本進吉、一年後輩に金田一京助が入学している。在学中にマックス・ミューラーの『言語学』(博文館)を翻訳、出版し、早くも識者間にその存在を知られるようになった。
 1907年(明治40)7月、大学を卒業、膨大な卒業論文「支那音韻K.T.Pの沿革と由来」を提出した。1907年9月、後藤は大学院に進学した。「支那語の音韻組織」というのがその研究テーマである。大学院に入ると、彼は言語学を武器に漢字、漢字音の大海に分け入り、旺盛な執筆活動を続け、大学院在学中の五年間に七冊もの著作を世に問うた。彼が大学院を卒業するのが1912(明治45)年7月、31歳の時であるが、少壮言語学者としての後藤の評価は、この大学院在学中に定まったといえる。こうして後藤は言語学者から出発した。」

他日、大(おおい)に世界の学者を啓発させること疑いなし・・上田萬年 
 以上が劉氏論文「後藤朝太郎その人」の前半の要旨であるが、後藤朝太郎が1909年に出版した『漢字音の系統』に東京帝國大學文科大学長や文学部長を務めた上田萬年が序文を寄せている。
「帝国大学に文学科が出来てから最早や茲(ここ)に三十年にもなり、卒業した学士も数百人になるであろうが、しかし、東洋の学術研究に志し、殊に漢字漢音の研究に一身をゆだねた者は、今迄に幾人あろう。滔々たる幾十の所謂漢学者が、夙(はや)く此に手を着けなかったのは猶更(なおさら)我輩の平素怪しんだ所である。後藤君は我が言語学科出身の学士で、素と漢学の素養ある人ではなかったが、一度此研究の上に趣味を感じてから辛苦励精せられた結果、此二、三年間に着々注目すべき成績を挙げられて居る。これはもとより、旧套を脱し新立脚地から観察された為めだとはいえ、或る点では既に世の漢学者をして、後に瞠着たらしむる所がある。況(ま)して彼の泰西の学者輩が企てても及ぶことの出来ない点が、決して尠(すくな)しではないと思われる。これから推して考えると、他日、大に世界の学者を啓発さするのも我輩の断じて疑わぬ所である。」と彼の将来に嘱望をよせている。

注目される2冊の本
 後藤朝太郎が大学院時代に出版した本で注目されるのは以下の2冊である。
『文字の研究』(昭和17(1942)の改訂版)
『漢字音の系統』六合館(1909年)と、『文字の研究』成美堂 (1910年)で、いずれも国立国会図書館のデジタルコレクションで閲覧できる。出版年は逆になるが、『文字の研究』は、後藤が学生時代から大学院を通じて書いた主要な論文がほとんど収録された1467ページに及ぶ大著である。彼の卒業論文も収録されている。この本は、よほど評判が良かったらしくのちに昭和10年と17年の2回、出版社を変えて再版されている。この本のなかに彼の漢字音に対する考え方が表れているので、『漢字音の系統』と重複する部分を除いて、まずこの本から後藤のエッセンスを紹介してみよう。

後藤の漢字音に対する考え方
 『文字の研究』(1910年)は内容が多岐に渡るが、漢字音に関して述べている基本的なことは以下に要約できる。
 「支那の文字は、その特色として、形と音と意義の三要素が備わっている。漢字は日本の仮名やヨーロッパのletter(a,b,c)の如き表音的符牒のみだけでなく意義の要素も加わったものであり、文字の資格を完全に具備している。強いて同類を西洋に求むるならば英語のcharacter(文字。表意文字)が最も近い。それ故、支那の漢字は西洋のa,b,cで綴られた単語の文字(character)と較べるべきものである。この綴られた文字(character)が、それぞれの意味を有することは、漢字が偏旁から成る組み合わせで成り立って意味を持つのと変わりない。
 しかし、両者はその文字としての趣きから云えば少なからずの相違、否、反対の性質がある。すなわち西洋文字は一目でその音の方は分かりやすいが、意義の方は表面的には分かっていない。これに反し漢字は西洋文字のように音は見えていないが意義の方は大抵わかり易く仕組まれている。少なくとも原意を汲むだけの手がかりは形の上に残っている。」

英語の綴り文字(character)と漢字の比較
 ここまで読んで、以前の私だったら英語の綴り文字(character)と漢字の比較はピンとこなかったかもしれない。しかし、近年、英単語の語源の本がブームになっており、私もこれらの本を読んで英単語の構造が始めて理解できたからである。『英単語の語源図鑑』かんき出版(2018)によると、
例えば、structは、積む意であり、
 con(共に)がつくとconstruct(建設)
 de(離れる)が付くと、destructive(破壊的な)
 ure(名詞化)が付くと、structure(構造物)と言った具合である。
これを漢字の、音符「シン」に例えてみると、
 (人偏)がつくとシン・のびる、
 (示偏)がつくとシン・かみ、
 かんむりがつくとデン・いなずま、と言った具合になる。

後藤は、ここから漢字音の特徴を指摘している。
 「音韻上、支那の文字はすべて一種の『綴音字(2つ以上の音が結合した音)なり』と云い得ないでもない」。つまり、英語の綴り文字(character)の音と同じく、漢字の音は一種の綴音字だというのである。この指摘により、日本の漢字音に、キャ・キョウ・ジュン・ミョウ・ゲン・コンなど奇妙な音がある理由が明らかになる。これらの音は、中国で漢字一字が表す意味(character)を反映した音だったのである。

説文より入りて設文を超脱すべし
 後藤はまた「説文解字」の重要さを説くとともに、それを超えるべきだとする。「文字研究の方法は、まず説文(説文解字)から入って行くべきことは言うまでもない。後漢に出来た説文の文字学入門としての価値は支那の書籍中この右に出るものはない。しかし、説文の9353字の説明を、すべて丸呑みしそのまま信仰することは考えものである。後漢は周代を去ること一千年の時代をへだて、しかも文字はすでに周初以前にかなり発達していた。著者の許慎は千年以上前の漢字の意義と構造について説明を加えたのである。
 多くの漢字を意符と音符に分け、「〇に従い〇の聲」としているが、その説明にも疑問のある文字が多い。また、それは文字だけの話であって、当時どんな発音であったかは分からない。これは後に作られた「韻書」(7世紀~)も同じである。韻書は作詞のとき、句末に同じ韻の文字を置くことから、作詞の便のため同じ韻を集めた書物であるが、発音は漢字二文字で表される半切という方法による。しかし、半切に用いる漢字は当時、実際にどんな発音をしていたのか分からないのである。その後に現れた「韻鏡」とよばれるさらに精密な発音図表(韻図。8世紀ごろ)も、発音の種類を表すのに漢字を用いているが、その漢字が実際にどんな発音だったか分からない。」

実際の言語上の音は、常に変化する
 「実際の言語上の音は、時と所を異にするのに従って常に変化するから、容易に真の発音を得ることは難しい。半切法が音韻研究法上から見ると左程の価値を有していないことになる。つまり半切の基本となる文字の音がいつも時と所を変えるに従って転々と移り動いて行くからである。
 当時の実際の発音を把握するためには、同じ時代に漢字を使って表現した外国の発音と比較する必要がある。例えば、梵語の仏典を翻訳した漢字は、当時の梵語の発音が分かるため、それに用いた漢字の発音も類推できるのである。また、支那の各方言とくに南の各地方の方言を観察することは頗(すこぶ)る必要である。このような意味で、安南(ベトナム)や朝鮮、そして日本の各時代の漢字音も参考になるのである。
 文字研究の方法は既にここまで進んで来た。この際、この漢字研究の荒野は鋭意以って開拓せられなければならぬ。」として、説文解字を超越して漢字研究の荒野を開拓すべきと意気込んでいる。

同じころスエーデンの二十歳の若者が中国で方言調査をしていた。
 若きカールグレン
https://alchetron.com/Bernhard-Karlgren
 実は後藤朝太郎が『文字の研究』を出版した1910年、言語学を学んだスエーデンの二十歳の若者が、奨学金をもらって中国大陸にわたり、24か所で方言の調査をしていた。名前はカールグレン(Bernhard Karlgren)。中国人と同じ服装で召し使いと馬だけをともない、中国北方の各地の方言を求めながら旅した。1912年にヨーロッパにもどった彼は、1915年に『中国音韻学研究』を著した。この本は半切法による音韻体系の基礎のうえに、方言による実際の音を加味して音韻体系の復元を図った画期的なものだった(大島正二『中国語の歴史』の「カールグレンの業績」より)。
 後藤朝太郎は、中国音韻史がこれから花開こうとする時期に漢字学の世界に入っていこうとしたのである。当時、後藤朝太郎が持っていた中国の古代漢字音に対する認識は、彼個人だけでなく当時の中国や西欧の研究者たちの共通する見方であった。後藤が活躍した時代は、中国古代漢字音の研究がまさに進展しようとする時代だったのである。

 次回は、「漢字音符研究の魁(さきがけ) 後藤朝太郎 (中)」として、彼の代表作『漢字音の系統』(明治42)を紹介します。

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音符「万 (萬) マン」<数が多い>「栃とち」と「厲レイ」<といし>「励レイ」

2021年11月01日 | 漢字の音符
  レイを追加しました。
[萬] マン・バン・よろず  一部

解字 甲骨文字はサソリの象形。金文以後、少しずつ変形し、旧字の萬は、草かんむりがサソリのはさみ、その他の部分を禺で表している。仮借カシャ(当て字)して数の単位「まん」に用いる。新字体の万はもと別字だが、古くから萬の略字として用いられた。萬を音符に含む字は、「数が多い」、原義の「さそり」のイメージを持つ。
意味 (1)まん(万)。数の単位。千の10倍。「数万」(2)数の多いこと。よろず(万)。「巨万キョマン」「万力マンリキ」「万難バンナン

イメージ  
 「マン・数が多い(仮借)」
(万・栃・邁)
  原義の「さそり」
音の変化  マン:万  マイ:邁  タイ:  とち:栃

マン・数が多い
<国字> とち  木部  
解字 もと「杤」と書き、「木+万」 の会意。十と×千ち=万、即ちたくさんの実をつける木の意。木と万の間に厂が入った栃は、明治初年に栃木県の「とち」を栃と書くことに定めてから広まった。[大修館漢語新辞典]
意味 とち(栃)。トチノキ科の落葉高木。実は栗に似て食用となる。「栃餅とちもち
 マイ・バイ・ゆく  辶部
解字 「辶(ゆく)+萬(数が多い)」 の会意形声。一歩一歩着実に数多く進むこと。
意味 (1)ゆく(邁く)。どこまでも進んでゆく。すぎる。「邁進マイシン」(元気よく目的に向かって進む)「邁往マイオウ」(勇んでひたすら進む) (2)すぐれる。まさる。「英邁エイマイ」(才知が抜きんでてすぐれる)「高邁コウマイ」(けだかくすぐれる)
 
さそり
 タイ・さそり  虫部
解字 「虫(むし)+萬(さそり)」の会意。萬は、さそりの意。仮借カシャ(当て字)されて、万の意になったので、虫をつけて原義を表した。
意味 さそり()。蠍カツ・蝎カツとも書く。尾の先の針に猛毒をもつ虫。「蜂蠆ホウタイ」(ハチとサソリ。小さくて恐ろしいものの例え)「蜂蠆之螫ホウタイのセキ」(ハチとサソリが螫(さ)すこと)


    レイ <はげしくこする石>
 レイ・といし  厂部   

解字 「厂(石の略体)+萬(サソリ⇒はげしい)」の会意。萬は毒をもつサソリであり、猛毒のサソリに刺されて痛みが「はげしい」イメージがある。厂は石の略体であるから、厲は、はげしくこする石の意で、砥石の荒砥(あらと)をいう。また、萬のイメージである「はげしい」意ともなる。新字体の文字で「厂+万」の形になる。
意味 (1)といし()。あらと。とぐ。みがく。 (2)はげしい。きびしい。わるい。「厲疫レイエキ」(はげしい疫病)「厲疾レイシツ」(はげしく速い)「鷙鳥厲疾シチョウレイシツ」(鷲や鷹などが空高く速く飛び始める。七十二候の一つ。大寒の次候(中国)。鷙鳥シチョウとは、ワシ・タカなどの猛鳥) (3)はげむ(=励レイ)・はげます。

イメージ 
 「といし」
厲・礪・糲・蠣)  
  「はげしい」励・癘
音の変化  レイ:厲・礪・糲・励・蠣・癘

といし
礪[砺] レイ・あらと・みがく  石部
解字 「石+厲(といし)」 の会意形声。石を付して砥石の意味を明確にした。みがく意もある。現在は新字体に準じた「砺」が地名に使われる。
意味 (1)といし。あらと()。刃こぼれした刀などを研ぐ表面の粗い砥石。「礪石レイセキ」(といし)「砥礪シレイ」(① 砥石。②研ぎ磨くこと)「砥礪切磋シレイセッサ」(学問に励み徳義を磨く。佐藤一斎「言志録」にあり) (2)みがく(く)。みがく。「礪行レイコウ」(行いをみがく) (3)地名。「砺波市となみし」(富山県西部にある市)「砺波平野となみへいや」(富山県西部の沖積平野。散居集落で知られる)
 レイ・ライ・ラツ・くろごめ・あらい  米部
解字 「米(こめ)+(=。みがく)」の会意形声。厲(礪)は、荒砥でみがく意があり、刃こぼれなどを修正するために粗くみがくこと。米がついたレイは、米を粗くみがく意で、もみ殻を除いただけで精白していない玄米をいう。くろごめ。
意味 (1)くろごめ()。精白していない米。「糲粢ラッシ・レイシ」(玄米とキビ。粗末な食物) (2)あらい(い)。粗末な。「粗糲ソレイ」(①くろごめ。②粗末な食物)「疎糲ソレイ」(粗末な食べ物)
蠣[蛎] レイ・かき  虫部
解字 「虫(貝)+厲(原石の砥石)」の会意形声。虫は、ここでは貝。厲はここでは砥石の原石。加工前の原石の表面は層をなしていたため模様があり、蠣かきの貝殻と似ていることから。蛎は新字体に準じた俗字。
牡蠣    砥石の原石
意味 かき()。イボタガキ科の二枚貝の総称。海中の岩石などに付着して生育しており、収穫するとき「かきとる」ことから「かき」という名がついたとされる。牡蠣(かき)とも書く(以前、蠣かきはすべて牡(オス)だと考えられていたからと言われる)。「牡蠣鍋かきなべ」「牡蠣かきフライ」「牡蠣灰かきばい」(カキの貝殻を焼いた灰。漆喰や肥料などに使う)「蠣殻レイカク」(かきのから)

はげしい
[勵] レイ・はげむ・はげます  力部
解字 旧字は勵で、「力(ちから)+厲(はげしい)」 の会意形声。はげしく力を出す形で、はげむ意となる。新字体は励に変化。
意味 (1)はげむ(励む)。「勉励ベンレイ」「励行レイコウ」 (2)はげます(励ます)。「激励ゲキレイ」「奨励ショウレイ」(すすめはげます)
 レイ・ライ  疒部やまいだれ
解字 「疒(やまい)+萬(=厲の略。はげしい」 の会意形声。はげしい病。悪疫。疫病をいう。
意味 えやみ。はやりやまい。流行病。「癘気レイキ」(感染性の熱病などを引き起こす悪い気)「瘴癘ショウレイ」(瘴も癘も、えやみの意。気候・風土が原因の熱病。風土病)「癘疫レイエキ」「癘疾レイシツ
<紫色は常用漢字>

   バックナンバーの検索方法
※一般の検索サイト(グーグル・ヤフーなど)で、「漢字の音符」と入れてから、調べたい漢字1字を入力して検索すると、その漢字の音符ページが上位で表示されます。



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