漢字の音符

漢字の字形には発音を表す部分が含まれています。それが漢字音符です。漢字音符および漢字に関する本を取り上げます。

落合淳思『甲骨文字小字典』筑摩書房

2013年02月19日 | 書評
 甲骨文字が発見されたのは1899年とされる。それから120年余を経て、この文字はすっかり有名になった。今では漢字の起源といえば、まず甲骨文字から説き起こすのが当たり前になっている。しかし、日本ではこの文字に関する書物は、これまで研究書や図版が中心で一般の人が手軽に読める入門書がなかったといってよい。
 著者の落合淳思氏は、甲骨文字と殷代史の研究者で近年、『甲骨文字に歴史を読む』(ちくま新書)や、『甲骨文字の読み方』(講談社現代新書)などこの文字をやさしく解説した本を出されている。甲骨文字に興味をもつ私は、この二冊を買い求めたが、さらに今回、同じ著者から甲骨文字の小字典が出たのを知り入手した。


何回も読んだので少し汚れてきた私の所蔵本

 収録文字は教育漢字の350字
小字典と名付けられているので、どれほどの文字が収録されているのか気になるところだが、教育漢字1000字のうち甲骨文字の段階で存在していた350字とのこと。約4500字といわれる甲骨文字種からすると一割にも満たない数である。いくら小字典とはいえあまりにも少ないのではなかろうか。これはおそらく小学校の先生向けに書かれたのだろう。巻末の字音索引も学年別になっているから引きにくい。

とはいえ、350の甲骨文字が一つ一つ解説されているのであるから大変参考になる。多くは白川静・藤堂明保・加藤常賢の3氏の説を引用したのち自分の意見を述べているから、これまでの説も分かる。そして、3氏の見解と異なる独自の意見を提唱している字も多い。例をあげると、「冊」の甲骨文字は二つの系統があり、ひとつは柵の原文になる文字と、もう一つは木簡や竹簡の「簡」にあたる字で、具体的に文字が示されており参考になった。また、同じように阝の原字となる阜も二系統あり、一つはハシゴを表し、もうひとつは丘を表す字だという。これを読んで「こざとへん」の表す意味がよく分かった。


甲骨以外に文字が書かれた可能性
しかし、落合氏の説は「3氏はこう述べているが、甲骨文字の用法には地名・祭祀名・人名・施設名としての用法しかなく、明らかでない」という文章が多い。例えば「児」「任」「因」「対(對)」「良」などがそうである。また、3氏の説を引用するまでもない文字の「争」は人名、「鼻」は地名、「文」は人名・王名、「欠」は人名、「好」は「婦好」で人名だという。
 こういう漢字の用法は日本でもある。ほとんどの漢字は地名や人名に使われる。しかし、甲骨文字で「争」や「文」が地名や人名だけだとしたら、この字の本来的な意味である「争う」や「文身・文様」はどこで使われたのか? 甲骨に刻まれる占卜以外にもっと他の用途で使われたのではないか? たとえば木簡や竹簡に書かれて記録や文書として使われていたのではないか、という想像がはたらく。事実、落合氏も甲骨文字の時代に木簡や竹簡があった可能性を「冊」の説明で指摘している。こう考えると甲骨文字は漢字の母でなく、占いに特化して使用された文字だ、ということになる。大いに刺激をうけた。


「同」の解説が物足りない
逆に、もうひとつ物足りない解説もある。「同」がそれだ。「同は祭祀名として使われ、凡と口から成るが由来は不明で「興」(祭祀名・人名)と同源であるかもしれない」と控えめな解説をしている。音符に興味をもっている私に言わせると、同の由来ははっきりしている。同は「凡(=舟・般・盤。容器)+口(口がまるい)」で、口がまるい形の器である。用途は酒杯。意味は字統にあるように、酒杯で献酬する祭祀。参加者が合一して一体となるので、会同・同一・共同などの意味がでてくる。そして、同が音符に使われるとき、酒杯が空洞であることから、筒(中空になった竹のつつ)・洞(水が大地を穿ってできた洞穴)・銅(穴がある貨幣に使われる金属)・桐(幹の中心に穴がある木)・胴(身体の筒のような部分)など、みな中空という共通したイメージがある。

次は常用漢字対象の中字典を
いろいろ感想を書かせていただいたが、この字典は甲骨文字を一般の読者に分かりやすく解説するとともに、水準の高い学術書でもあることは間違いない。惜しむらくは収録字数の少なさだが、次は常用漢字を対象にした「甲骨文字中字典」を刊行されることを願っている。


(筑摩書房 2011年2月刊 1900円+税)
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山本康喬編著「漢字音符字典 増補改訂版」

2013年02月11日 | 書評
 5年前に『埋もれていた漢字のつながり発見 漢字音符字典』と題して自費出版された山本康喬氏の著作が、このたび東京堂出版からサブタイトルを「新しい漢字学習法」と変えて装いも新たに出版(2012年10月)された。初版は、テレビで人気のロザン宇治原さんが漢字クイズ番組の中で紹介して話題になったこともあり、5500部売れたという。
 

 著者の山本康喬氏は、住友金属工業を定年退職後、趣味で漢字を勉強し漢字検定試験に挑戦、これまでに1級に19回合格しているという「漢字博士」。その山本氏が1級合格の奥の手として考案したのが漢字を音符順に配列して覚えることだった。漢字の字形の中には発音を表す部分がありそれを音符というが、山本氏は同じ音符をもつ漢字群は発音の変化が限られることを見いだし、音符家族と名付けて類型化した。

 たとえば音符「焦ショウ」は、「礁ショウ」「蕉ショウ」「樵ショウ」「憔ショウ」など、「焦」を含むすべての字が「ショウ」と読む。これを純粋家族と名付けた。また、音符「咸カン」の読みは、「感カン」と「鍼シン」と「減ゲン」に代表される3種類しかなく、これを三音家族と名付けた。つまり「咸」の字が含まれている漢字はカン・シン・ゲンのいずれかになるから非常に覚えやすいわけだ。

 こうして漢検漢字辞典にのっている6500字を音符順に配列し、ひとつの音符がどのタイプ(音符家族)に属するかを示したのが漢字音符字典である。たしかにこの字典をつかうと新しい漢字を覚えやすい。また、忘れた漢字も思い出しやすい。初版が多くの漢検受験者の支持をえた理由がここにある。

 その後、2010年に新たに196字が常用漢字に追加された。初版は常用漢字を赤字で示しているので、当然訂正が必要になる。そんなこともあって、このたびの増補改訂版の出版になったのであろう。私は2007年刊の初版を持っているが、それと比較して今回の増補改訂版の変更点を挙げてみたい。

(1)2010年に新しく追加された常用漢字を赤色表示に変更し、常用漢字の範疇に組み入れている。

(2)赤色で示した常用漢字の右上に、1ー10までの数字をつけて、小学校や中学校のどの学年で学ぶ漢字であるか表示した。小学校は学年順に1ー6を、中学校は1年から順に7ー9を、新指定の常用漢字に10を付している。学校の先生にとって便利になった。

(3)音符と部首を兼ねる漢字については、見出しの音符の下に黒丸をつけて分かるようにした。これで、音符と部首と両方の分野で働く忙しい漢字がわかる。

(4)これまで巻末に一括して表示していた一字だけの音符について、常用漢字と準1級対象漢字を本文に組み入れた。これは一字だけであっても音符である漢字は、音符としての地位を与えたということである。組み入れに当たってはこれまで別々だった「上」と「下」および「「峠」を一緒にするなどの工夫をこらしており、分かりやすくなった。

(5)シンニュウ、食へんはすべて統一した。具体的にはシンニュウは一点シンニュウと二点シンニュウがあるのをすべて一点シンニュウに、食へんは二種類の字を「食」に統一したことである。これは大英断といえる。とくに、これから漢字を学ぶ子供たちにとって必要なことであろう。新聞社をはじめとするマスコミも見習ってほしい。

 私は漢字音符字典をただ漢検を通るためのツールとして見ていない。漢字にはすべて発音があるから、すべての漢字は発音を表す音符に分類することができるのである。むずかしい象形文字であっても発音があれば、それはその文字字体が音符になる。こう考えると、漢字を部首別に分けた漢字字典(ほとんどの漢和辞典がこのタイプ)、および一字一字が五十音順の漢字字典(字統、漢検漢字辞典がこのタイプ)に加え、音符順に分けた漢字辞典のジャンルが当然あってしかるべきなのである。

 本書は音符分類による字典の分野を切り拓いた先駆の書である。東京堂という字典を多く手がける老舗の出版社から発行されたこともあり、今後、音符字典が社会的に認知される第一歩を大きく踏み出したといえる。

(東京堂出版 2012年10月刊 2200円+税)



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