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ちゃんちきおけさ

2008-07-06 22:50:30 | Weblog
今日は梅雨明け、暑い日となりました.父の七回忌を昨日済ませて朝から義兄とともにゴルフに行った夫は真っ赤になって帰ってきました.熱中症になりそうな一日だったと言っています.蝉が鳴き始めました.それでもウグイスは、「ホーホチョクリ!」と鳴いています.とうとう卒業できそうにもありません.

夫のなつメロテープの中にある三波春夫の『ちゃんちきおけさ』、若い頃はあまり興味のある歌とは言えませんでした.最近なつメロテープの復活(?)で再び聞きました.これはお互いに誰だか知らない初対面同士が屋台で小皿を叩いて体に染み付いた囃し歌で故郷を思う切なさを分かち合う歌です.そこには居合わせた誰かがどこの誰かは知らなくても、お互いに確実に同じ土から生まれたことを知っており自分の帰るべきところを思って小皿を叩く同士がいるのです.それと引き換え現在の社会情勢を考えると、私達は今に自分が誰なのか分からなくなるのかもしれないと思います.そしてそこに生きていくという実感も覚悟もなくなるのではと思います.或いは何をしているのかも分からなくなるのではと恐ろしく思います.

マクロビオティックでは身土不二を食事の原則としていますが、社会情勢は非常にかけ離れた状況となっています.これが現代社会のすさみの原因であることに間違いはないと思います.私達の社会は急速に支える土台を失いつつあります.身土不二ということは、私達人間も所詮は草や植物と同じだということなのです.植物は土地を失っては生きていけません.土地には土地柄というものが環境により決定されています.土地柄を省みずに食を選ぶことはありえないことです.私達は根無し草になって心身ともに枯れつつあるか腐れつつあるのだと思います.

肉も魚も何でも食べて構いません.マクロビオティックでなくても構いません.最低守るべきことは、自分が活動している範囲にある自然なものを自然な量食べることではないでしょうか.自分の活動で手に入れられる範囲のものをその程度食べることです.私達は分際を知るべきです.動物性食品の食べすぎで病気になるかもしれません.高山性植物を食べすぎて、古の伯夷叔斉のように死ぬかもしれません.でもそれでも悪いとはいえません.人間社会が人間社会のようにあるのであれば.人が人を信じて生きていけるのであれば.最低同じ土地のような心持をもっていることが人間社会の基礎なのですから.

行き過ぎた流通社会は必要ないのです.行き過ぎた流通がいかなる悪を生み出してきたか反省して改めるべきです.流通によって生み出されたお金の上にある生活が如何に無残な様相を呈しているか・・・・・今も流通を支える燃料のオイルは高騰し続けています.様々な食品業界の不正によって行き着いたところが詐欺であることを私達はまざまざと見せ付けられています.『商は詐なり』と喝破した人がいました.人間が身の程を知ってつつましく活動すれば世のため人のためになっても、行き過ぎるとそのおそろしい本性が一人歩きするようになってしまいます.道の無い商は詐となる以外にないからです.

道は人の辿るべきものであり、道は自分を追求するためのものです.自分が誰なのか、どこに生えているものか分からなくなるような食べ物は、道を失わせる食べ物です.道を失えば社会が成り立つはずがありません.今私達はそんな危機に差し掛かっています.マクロビオティックの役割は大きいと思います.私の小さな教室もささやかながら役割を果たしていかねばならないと思います.無力を思い知らされますが、目の前にあることを果たしていくしか方法は無いことを胸に刻んで、生徒さんと一緒に頑張りたいと思います.そんな流通社会を変えていくものは、私達が何を選んで食べるかという一人一人の小さな選択なのだと思いますから.


<お知らせ>教室は例年8月をお休みにしていますが、今年は娘典子の帰省により、第2回目の『オーガニックベース in 田平 8/23』を開く予定です.詳細は柿本医院のホームページ、「お知らせ」にて発表しますが、夏休みでもあり予定がおありでしょうから取り急ぎ公表いたします.
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