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サキハエタマヘ・幸とは何か

2013-04-09 11:06:27 | 日本語・古事記・歴史・日本人

主人の親戚に『幸子』さんという方がおります。別に普通だ・・・・・と思いになられないでください。『サキコ』さんと呼ぶのです。初めて会った時私はその名前に魅かれて親しみを感じました。そしてその名前を付けられた父君が神官様だということを知りました。・・・・・・そうか~~~~『サキハエタマヘ』か~~~~~もう20年以上(あるいは30年だったか)も前のことですが、私のインスピレーションは昔も今もいつも同じ・・・・・『父の背負子』です(成長していない?????)

『サキハエタマヘ』・・・・・・何を思い出されますか。『父の背負子』としてはもちろん、アマテラスオオミカミの『天壌無窮』の御神勅です。『父の背負子』を背負ってない戦後の人間は知りませんよね。それで念のためにここに書きます。


葦原(アシハラ)の千五百穂(チイホ)秋の瑞穂(ミズホ)の国は これ我が皇孫(スメミマ)の王(キミ)たるべき国なり。爾(イマシ)皇孫行いて知らせ幸くませ(サキクマセ)。天津日嗣(アマツヒツギ)の栄えまさんこと、当(マサ)に天壌(アメツチ)と窮(キワマ)り無かるべし


こう仰ってアマテラスオオミカミは皇孫ニニギノミコトを瑞穂の国に遣わされました。『サキクいなさいね。』と、祈りを込めてアマテラスオオミカミは王たるべきかわいい孫君に丁寧語を使って『サキクマセ』と言われましたが、私達が申し上げるときは尊敬語を使って『サキハエタマヘ』です。

その『サキク』あるとはどういうことでしょうか。つまり『幸』とはどういうことでしょうか????現代人はその意味を忘れかけています。というより個人個人は知っているのだけど、社会は明確に答えることが出来ない・・・・・一昨年の大震災で私達は『当たり前』の幸せを再確認しました。十人十色の答えの表明があります。ブータンの国王陛下は『心の幸せ』をお示しになられました。

ここで思い出していただきたいのが、我が国語の言い回し『山の幸、海の幸』・・・・・山でとれる食べ物、海でとれる食べ物・・・・・・山幸彦は山の幸で暮らす人々の長官(?)、海幸彦は海の幸で暮らす人々の長官・・・・・・つまり『幸』とは『命をつなぐもの』です。私達の食べ物です。ですから『サキクある』とは命をつなぐ食べ物が豊かでそのおかげで命がつながっていることです。

もちろん祖母アマテラスオオミカから食べ物の保証としての稲を授けられた王たるべきニニギノミコトの『サキクある』あり方とは、『サキクある』国家運営です。それで、天津日嗣(アマツヒツギ)の栄えまさんこと、当(マサ)に天壌(アメツチ)と窮(キワマ)り無かるべし、と続くのです。『幸』である『イノチをつなぐ』とは『日嗣ぐこと』、つまり『代々受け継がれること』・・・・・・アマテラスオオミカミの国民の幸せの祈りを持った王の日嗣が永遠に続くように・・・・・・

これはつまり私達一人一人の家が代々受け継がれていくように・・・・・・、子供に恵まれ孫に恵まれますように・・・・という祈りと同じことです。これが幸せの根源で、その当たり前の日々の繰り返し・・・・・これをかみしめることが人間の喜びだろうと思います。ですが今は少子化の時代、イザナギノミコトが仰せられた幸せの保証は揺らぎつつあります。たくさんの孫に支えられる老人は少なくなりました。

弟が生まれた時お産婆さんが言った言葉を思い出します。『子ども二人は自分たち二人のため、三人目は社会のため・・・・・三人以上生まないといけない』・・・・・子供を持てない人がいる・・・・・それに関して発生するもろもろの不幸を包み込むシステムが『社会』という人間の発明であって欲しいと思います。アマテラスオオミカミが込められた祈りが今も息づいているはずです。今年は折しも伊勢神宮の『遷宮祭』の年・・・・・・・神々の心と知恵が『先生え(サキハエ)』ていることを感じたいと思います。『先生える』・・・・・『未来が生まれる』。相似象の宇野先生のお言葉に『サキタユ』という反対語を見つけました。

自分達の不心得のために『サキタユ』ることの無いように、社会を営んで行きたいものですね。私達は今も神々の後を生きているのだと思います。




それでは今日も:

     私達は横田めぐみさん達を取り戻さなければならない!!!

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