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引っ越し片付けのまにまに

2017-02-11 22:50:19 | Weblog

昨年末故郷に戻って・・・・・新年を迎えお正月を過ぎ立春も過ぎ・・・・・延々と片づけをしています。というのも、大方の家財道具を置いて『手鍋一つで』に近い状態で上京し8年もの長い間に増えてしまった本類や所帯道具を『元々道具が埋まっている家に埋め込まなければならない』という事態に陥ってしまったからです。それで夫共々『人生の整理』を決心して・・・・・死後に残さないほうが良いようなものを『片付けよう!!!!!』とばかりに片付けていますが・・・・・ 

なかなかに大変で・・・・・1年がかりになるか、2年がかりになるか・・・・・入れる場所を空けるために不用品を捨てたり譲ったり、無理やり始末したり、長い留守の間に傷んでしまったものを取り換えたり、疲れて「気長にやろう!!!!!」と片付けのまにまにテレビを見て・・・・・時代劇やら、昭和を回顧する歌謡曲の番組を見たり・・・・・懐かしい顔や美しい声に引っ越し疲れを忘れたりしています。

 

そんなテレビ番組の中で気が付いたことがあります。と言うより、以前から気になっていたのですが、今回『記事にしておこう』と思ったことがあります。それは日本語の音についてです。戦前戦中の歌手にははっきりと守られている日本語の音についての決まり(?)が、戦後の『昭和の歌手』では美空ひばりでははっきりと守られており、森昌子にはまったく無い・・・・・この愛くるしい少女歌手が出て来た時は本当にびっくりしました。そして物凄い違和感を感じたのも、歌の文句もあったのでしょうが、その『決まり』のせいが大きかったような気がします。

歌の題名は『先生』・・・・・この言葉の読み音は『センセエ』のはずでした。おくり仮名は『センセイ』で『センセエ』と読む・・・・・という『決まり』だったはずです。だけど、森昌子は『センセイ』という音にして歌っていました。これは一体どういうことだったんでしょう。私が習ってきた『決まり』は何だったのか?????『おうま(馬)』は『オンマ』、『い(行)く』は『ユク』・・・・・というようなわけで、昭和の回顧番組に国語としての懐かしさも感じています。そして依然として違和感を禁じ得ないでいます。これは、私が知らないばかりで、既に決着のついた問題なのでしょうか。

 

 

 

 

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