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国というもの

2011-11-14 10:02:06 | 父の懐
3月の大震災以来8カ月が過ぎました。日本を直接まきこんだ戦争が絶えて65年余、私達は久しく考えなかった国というものについて深く考えさせられたと思います。

東北の悲惨な状況を救うことが出来るのは国しかない・・・・・国が責任を持って復興する・・・・・?????
今年全国民が実感した思いを表す言葉は『絆』だ・・・・・多くの人々がボランティア活動に参加したし、もっと多くの人々が義援金に生活費を削った・・・・・

今回の大災害から早く復興させるためには大きな自然の時の流れを加速させなければなりません。それを思った時『国』というものを感じます。大きな力が無ければ動かすことのできない自然の大災害の被害!!!国内という地域社会を守ろうという『国』の心を感じます。そしてその心を動かす組織としての『国』を実感することが出来ます。同胞の災害は時代時代によって様々なものがあっただろうと思います。『国』の恩恵にどっぷりとつかって忘れかけていた『国』の実感を取り戻すことが出来ました。

天皇皇后両陛下の被災地お見舞いに、全国民が心を重ねてお見舞いしたと思います。われらが組織である『国』に心を寄せたと思います。そして我らが見たものは我らが行政機関と我らが全権を委託した国会の8ヶ月でした。『国』の心は堕落しない、というより国民の健全性を映していると思いますが、組織は堕落する・・・・・たとえどんな組織でも堕落する・・・・・そう思います。

かの昔孔子様が『自分は終生学を好んで学び続けた』という主旨のことを述べておられます。何時までも自分をたたくことだけが、堕落しないで生きる方法だと思います。そんな孔子様の生きられた時代は春秋戦国時代、群雄割拠した下克上の時代です。そんな500年も続く無法(?)時代は、『国』というものに求める夢も絶望も含めて、組織というものの堕落次第図とでもいうべきお手本を示しています。それで現代の私達もあの時代の物語に魅かれるのでしょうか。

幸か不幸か私達日本人の記憶の中には、『国』というものの建国の欲求が無い!!!!!どういうわけかアマテラスオオミカミの御心のままに私達は生かされている!!!!!『国』というものはオオミカミの御心を映すべき機関なのですから・・・・・もしかして私達日本人は生かされることは出来るけれども、生かすことが出来ないのでは・・・・・?『国』を運営することが出来ないのでは・・・・・?明治の元勲たちは一生懸命水を吸い込む砂のように西欧の組織を学んだけれども、『国』を建てる(建てられている)ことを知らなかったのでは?????

だって私達は横田めぐみさん達を取り返す手段を知らない!!!!!横田めぐみさん達が年を取ることを黙って看過するしかない!!!!!横田めぐみさん達が北朝鮮で新しい記憶を作っていくことを放置している!!!!!つまり日本人でなくなるかもしれない・・・・・風化させる以外の解決法がない現実が胸をかき乱します。私達の責任です。そして最も大きな責任を負っているのは国会議員です。その為に選ばれたのでしょう。国会は日本人の心を現実に映すためにある機関なのでしょう。この問題を解決できない事と、災害復興の遅れることの理由は同じだと思います。

私達の国会は、国会議員は国を知らない!!!!!それは私達日本人の姿勢に由来していると思います。つまり私達は建国の喜びを知らない!!!!!

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